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 スーパーの出入り口には、大きい仕掛け時計が立っていた。

 丸い球体から円錐の柱が伸びており、三鏡駅前の広場に比べればさして人の集まる場所でもないのに、まるで「ここが三鏡市のハチ公前だ」とでもいいたげに佇んでいる。そこそこの年季が入っていて、十二時になると変形し、中の人形たちが踊りながら出てくる。

 流れる音楽だけは整備され変わっていない。僕はエコバッグを片手に大時計のまえを過ぎ、枝垂挫は数秒立ち止まって観察してから、小走りで追いついてきた。

 買い物を終え、あとは枝垂挫宅に荷物とお荷物(枝垂挫のこと)を届けるだけだ。すこしゆっくりめに歩こう。その方が気分が落ち着く。

 というのも、枝垂挫はなんでもかんでも興味を示すため、つい先ほどのレジで大変な思いをしたのである。

 「ポイントカードはありますか?」と訊かれれば枝垂挫は「ポイントカードってなんですかっ?」と訊き返すし、「袋はお付けいたしますか?」と尋ねられれば「袋までくれるんですか!?」と感嘆の声をあげた。店員さんも店員さんで懇切丁寧に対応してくれるため、他人の目に耐える時間が長かった。

 駅構内を通過し見慣れたロータリーに出ると、自然とため息がこぼれた。最近は何度も目にしている駐輪場、そこから伸びるイチョウ並木。アスファルトに散りばめられた黄色を目にすると、不思議と帰ってきたような安心感があった。

 枝垂挫と行動するのはまあまあ楽しい反面、疲れる……。雨飾駅の反対側はめったに行かないため、気を遣うせいもある。

 一方の彼女はというと、依然として余裕の表情をしていた。


「ごめんね瑞枝くん、付き合ってもらっちゃって!」


 横に並びながら、枝垂挫が笑いかける。

 どうしてか、その顔をみると疲れが和らいでしまう自分がいて不思議だ。僕は「気にしないで」と首を振った。


 それから、互いに無言で歩いた。

 辿る帰路は枝垂挫宅へ向いている。どちらが何を言うまでもなく、自然と並んで足を運ぶ。片手の重みは気になるが大した影響はなく、平日と同じく景色を眺めることに意識を注ぐことができる。

 今日は風がない。空に雲は浮かんでいるけれど、悪化する兆候は見られない。このまま文化祭まで快晴が続けば良いのに、とぼんやり考える。

 視線を下ろす。

 先日の雨で、すこし紅葉が落ちたようだ。風に運ばれた落ち葉が、ロータリーの隅に吹き溜まっている。

 前よりも増えている葉を流し目に見て、前に向き直る。遠くのイチョウ並木が視界に入り、もうすぐ別れの時間がくることを示していた。歩みを緩めた枝垂挫に会わせ、速度を落とす。

 最近は、こういった時間が増えた気がする。


「ね、あそこでお昼、食べないっ? 自販機もあることだし!」


 となりからそんな提案を受けて、僕は頷いた。

 買い物に付き合ってくれたから、袋を持ってくれたから、と言い訳じみた理由をつけ、枝垂挫が自分の分の飲み物を買ってくれる。断るのも悪い気がしたので、黙って好意に甘えることにした。

 休憩用に備え付けられたベンチに、並んで腰を落ち着ける。

 もらったお茶のペットボトルをあけ、一口含む。それからスーパーに併設されたパン屋で買ったお昼――コロッケパンとベーコンチーズパン――を取り出し、枝垂挫にはバゲットの紙袋を渡す。

 パン屋のラインナップの中でも、カタチと大きさが際立つバゲット。またの名をフランスパン。枝垂挫は棚の隅っこに立てられたソレを発見し、「これがいい!」と即決してしまった。マーガリンもジャムもないため、僕が買ったような惣菜パンに比べれば味気ない……が、本人が喜んでいるのなら良しとしよう。

 バゲットをちぎって食べる枝垂挫の楽しげな表情をみて、意図せず笑みがこぼれた。


「ねえ瑞枝くん、君のこと教えてよ」


 唐突にその話題が切り出されたのは、パンを堪能し終えて、口のなかの水分を補っているときだった。

 僕はすこし驚いて、彼女の方を見やる。改まってそんなことを訊かれるとは微塵も思っていなかったから。


「どうしたんだ藪から棒に」

「いやあ……私、瑞枝くんに色んな質問をしてきたけど、瑞枝くん本人については何も訊いてなかったなあ、と思って」


 枝垂挫は「あはは、変だよね!」と言った。

 僕は「そうでもないよ」と返した。

 後方の駅のホームに車両が入り、会話が途切れる。アナウンスと駆動音が流れ、車両が次の駅に向けて発車する。数人の利用客がロータリーを横切り、駐輪場に入る。軽いギアの音をあげて、自転車が遠ざかっていった。

 辺りに再び静けさが満ちる。

 枝垂挫がそっと、「瑞枝くんは、」と切り出した。


「おうちでいつもなにしてるの?」

「家で? 家では……本を読むこともあれば、動画を見てることもある。あとは昼寝とか」

「どんな動画を見るの?」

「キャンプに行く動画。僕自身はまったくと言っていいほど行く気がないんだけどね」

「へえ~……! 私も色んなものみるよ! 昨日は『地底人と火星人の関係性』っていう動画みた! 何十年もまえに実は火星人が地球へ降り立ってて、今は地中深くに隠れてるんだって!」


 ――趣味の話。


「瑞枝くんの好きな食べ物は?」

「ピザ」

「今度瑞枝くん家で一緒にパーティーしようよ、ピザいっぱい頼んで! 一度やってみたかったんだあ」


 ――食べ物の話。


「もうすぐ文化祭だね」

「文化祭ってどんなカンジなのっ? 初めてだから知りたい!」

「騒がしい、暑苦しい、長い」

「ええっ!? 賑やか、盛り上がる、長い、じゃないのっ?」

「最後の『長い』は同じでは?」

「ニュアンスが違うの!」


 ――文化祭の話。


 その他にも、他愛のない会話を繰り返した。僕はペットボトルのお茶がなくなるまで。枝垂挫はフランスパンの完食を諦めるまで。話した内容は、どれも今までとすこし趣が違っていた。

 初めて『枝垂挫ゆい』に話しかけ、追い詰めてしまったあの日から何年も経った。些細な会話が波紋を生んで、ときに相手を傷つけてしまう――そんな、人間関係の危うさや恐ろしさを目の当たりにして、他人から距離を置くようになっていた。

 僕はこれまで、こんなにも誰かと語り合ったことがあっただろうか。

 ただ単純に相手のことを知って、同時に自分のことを知ってもらう時間など、経験しただろうか?

 いいや、なかった。それだけに、この時間はとても新鮮で……。

 気づけば、枝垂挫の持つ『やりたかったことリスト』とは関係なく、会話を楽しんでいる僕がいた。亡くなってしまったあの子の償いをおざなりにしているようで、後ろめたさはあるけれど。それでも、枝垂挫と向き合って話すこの時間は、貴重で何にも替えがたいものに思えた。


「そろそろ行こっか、瑞枝くん!」


 そう言って立ち上がる枝垂挫を、一瞬だけ、眩しそうに見てしまう。

 とてもじゃないが、以前の僕なら関わろうと思えない性格をしている。姿は『枝垂挫ゆい』、中身は別人。だというのに、僕は彼女に近づいている。

 なんの因果か、今になって、あの日の後悔を毎日のように思い出す。


「あまり遅くなっても悪いしな」


 そう言って、僕も腰をあげる。

 胸の奥に残る、苦い痛みを意識したまま。



◇◇◇



 頂点に上った太陽が、沈む方向に傾き始めた昼過ぎ。

 僕と枝垂挫はロータリ-を抜けて、イチョウ並木の通りにはいった。

 駅周辺とは異なり、こちらは落ち葉が掃かれていない。そのため、歩行者限定の道端にも黄色い扇形が散りばめられていた。目線を上げると、先日の雨に見舞われたとはいえ、木々は秋の色を保持している。さわさわと葉の擦れる音が耳に届き、頬を撫でる微風も気持ちがいい。

 ふと足音がひとつ途絶え、僕は振り返った。


「枝垂挫?」


 首をかしげると、枝垂挫は繕うように笑顔を浮かべた。そして、柄にもない態度で口をひらく。


「今日、楽しかった」


 僕は一瞬だけ目を見開いて、彼女を見据えた。

 その感想は、もはや『枝垂挫ゆい』のものではない。おそらく現在の枝垂挫が抱いた裏表のない感情であって、過去のできごととか、死んでしまった人格だとか、そういったしがらみの混ざらない純粋な色をしていた。

 その佇まいから、真意を読み取ることはできない。

 罪滅ぼしとして彼女を手伝う義務がある自分は、利己的な感情を抱いてはいけない。そう言い聞かせていたけれど、もう限界なのかもしれない。気づくと僕は枝垂挫との時間を享受してしまっていて、同時に可笑しくなった枝垂挫のことばかり考えるようになっていた。

 可笑しくなった枝垂挫にとって、僕はなんなのだろう?

 胸のざわつきは、結局のところこの疑問に帰結する。互いの関係性が始まるその瞬間から抱いていたものだ。思い出すたびに頭の隅に追いやって、強引に目をそらすことで関係性の維持を図ってきた。答えを追求してしまうと、僕は『罪滅ぼしをする』という使命をないがしろにしてしまいそうだった。

 だというのに、あろうことか枝垂挫自身が踏み込んでくる。


「瑞枝くん」


 イチョウの天蓋。

 隙間から差す光のなかで、甘栗色の前髪が揺れた。


「また誘っていい?」


 息を止めてしまうような一瞬だった。

 世界のコントラストに紛れて、でも確かな存在感を放つ彼女は、こちらの目を釘付けにする。

 僕は微笑んで言う。


「誘う、なんて過程をすっ飛ばして、君は僕を連れ回すだろう?」


 枝垂挫が視線を僅かにさげる。口元は静かに綻んでいた。


「でもまあ、もう慣れたから。誘ってくれたなら、また枝垂挫に付き合うよ」


 顔をあげて、それからまた、俯いた。

 フランスパンの紙袋を抱えた手が、二の腕をさすっていた。


 陽気は鬱陶しいほどに眠気を呼んできて、僕は欠伸を噛み殺しながら歩きを再開した。

 背後で、ぽそりと一言がこぼされた。


「うん。また……」

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