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「おはようございます、瑞枝くん!」
玄関で僕の顔を見るなり、枝垂挫がご丁寧に頭をさげた。
「おあよう」
欠伸を噛み殺して挨拶すると、枝垂挫はふふっと嬉しそうにして、背中を押した。
『一緒に学校いきたい!』という旨のメールが送られてきたのが、昨夜十一時をまわったあたり。唐突な要請に応えるため、僕は一本はやい電車に乗る羽目になった。
枝垂挫家まで出向き、合流して雨飾駅に引き返す。
話題を振る頻度は圧倒的に彼女が多かった。話題が尽きないところは、それだけみるもの知るものに興味を抱いているということに他ならない。
彼女が気になったことについては逐一僕が説明するのだけど、枝垂挫の顔で疑問を抱かれると、なんだか複雑な心境ではある。けれどそれを飲み込めば、会話は楽しい時間に思えた。
波長が合ってきたということだろうか。それとも、ただ僕が順応――否、毒されてきただけだろうか?
朝の寒さに身震いしながら現状を憂慮していると、横から悩みのタネがずい、と覗き込んだ。
重い目蓋の向こうで、枝垂挫がくすりと笑った。
「なに?」
「いーやー、なーんでもー。ただ、今日はどこ行こっかなーって考えてただけ!」
軽い足取りでさきを行くご機嫌な彼女をみつめ、僕は事実を伝えた。
「あんまり時間はとれないぞ」
その言葉を耳にして、わかりやすく枝垂挫が立ち止まった。吊られて僕も足をとめ、後方を振り返った。
ぽかんと口をあけて、わけがわからないとでもいう風な顔でこちらをみつめる。
「今日から、文化祭当日まで準備期間なんだよ。ウチのクラスは生真面目な委員長が仕切ってるから、たぶん昨日までより拘束される」
「……ファミレスは?」
「長居はムリだね」
「……映画は?」
「もっと難しい」
「……じゃあショッピングは?」
「短時間なら」
枝垂挫の顔が目に見えて不機嫌になった。
表情を曇らせ、しゅんと肩を落とすととぼとぼと歩き出す。今まで見たこともないほどの落ち込みようだったせいか、つい甘やかしてしまいそうになる。
出そうになった言葉をつぐんで、代わりに言い訳じみた声をかける。
「いや、そのですね? 約束はもちろん守るよ。今度の休日はちゃんと付き合うからさ! ただ君のお母さんに任されてるから、平日にあんまり遅くなるのは申し訳が立たないっていうか、そこら辺はしっかりしておきたいっていうか……ああもう、何言ってんだろうな僕」
「瑞枝くんは私のこときらい?」
「嫌いじゃない。そんなことない。だからこそ連れ回すのはよろしくないっていうか……」
「じゃあ今日は私と居て!」
「――はい?」
数十歩の間のやり取りが、途切れた。今度は僕が立ち止まる番だった。
朝の冷たい風が吹き付ける。駅からほど遠い道端で立ち止まる僕らを咎めるものは、人通りの少ないここでは皆無だ。
学校のように遠目にひそひそと囁く気配はないし、通りかかった自転車の中学生を除けば、人影は数メートル先で玄関を掃くおばあさんくらい。電線にとまるスズメも鳴き声はあげていない。
そこはなんてことない通学路であると同時に、束の間に訪れたふたりだけの隙間。
顔を俯かせていた枝垂挫が、まじめな表情で僕を見あげていた。目の前の出来事を追いかけて、間の抜けた表情で驚いて、朗らかに僕を引っ張り回す――そんな、秋の紅葉と似た暖かさを感じさせる雰囲気が、今は感じられない。
口元の笑みはなく、じっと見つめる瞳がこちらの意識を惹きつけてやまない。
枝垂挫の我が儘というには空気が真剣にすぎて、僕は思わずたじろいだ。
「それは……放課後の話?」
確認の意図も、頭を整理する時間稼ぎの意図も含んでいた。
しかし、枝垂挫は迷いなく答える。クセである手慰みも見られず、あっさりと。真摯に。
「ち、違うよ! これは……私のお願い」
◇◇◇
流されるように頷いてしまった僕に対して、枝垂挫はいつもと変わらぬ一日を過ごしていた。授業の合間に僕の机にやってきては、教えを請い。美術のデッサンでは、僕の絵を大げさに褒め称え。先生に指名されれば慌てふためく。
なにも変わらない。枝垂挫は『可笑しくなった枝垂挫』としての日常を送っていた。問題があるわけでもないし、気に病むこともない。
はずなのに、どうも落ち着かなかった。
原因はわかっている。枝垂挫のあの言葉が、ずっと耳奥に残っていた。目を閉じれば、すぐにでも今朝の光景が目蓋の裏に浮かぶ。
「うーん……」
付近に誰もいないことをいいことに、机に突っ伏してうなり声をあげる。
思い返せば、『可笑しくなった枝垂挫』が自分の願いを口にすることはなかった。いつだって彼女の要望の裏には、消えてしまった『枝垂挫ゆい』の影があって、だからこそ僕は贖罪の意識に従って頷いてきた。
一緒にゲームをしたい。放送室をジャックしたい。クレープを焼きたい。その他、ファミレス映画カラオケ……受け入れてきた要望の数々を突き詰めるとキリがない。
すべて生前のあの子が望んでいたことなのだと、そう自分を説得してきた。
でも、今朝の一件はまったくの別物だ。
――「これは私のお願い」
『私』が、今を生きている彼女を指し示していることは明白。
だからこそ、僕には枝垂挫がわからない。混乱している。どう接するのがいいのだろう? と迷ってしまう。今のところ普段と変わった点はないけれど、生前の『枝垂挫ゆい』ではなく、今を生きている『枝垂挫』個人の願いに頷いてしまった事実は、なんだか使命に反してしまったような感覚がある。
そう、あの日喫茶店で真実を聞かされて、自分へ課した償いの使命。『枝垂挫ゆい』を追い詰めてしまったひとりとして、僕は僕に罰を与えたのだ。機械のように、使命を全うするのが理想。
けれど今は、かつての自分を裏切ってしまったみたいで後ろめたい。
「ああー……わかんね……」
これじゃまるで、仕事を放棄した処刑人だ。
彼女に現を抜かしていないで、さっさと罪人である僕を捌かなければならないのに。
「枝垂挫はなに考えてるんだろうか……」
「なにがっ?」
耳元の近くで声がして、僕は全身を跳ねさせた。
「うぉわっ」
「おっと、どしたの瑞枝くん! 悩みごとっ?」
イスから転げ落ちるように逃れ、僕は神出鬼没な彼女を睨む。
枝垂挫は口元に指をあてて、首をかしげた。
「いたなら声かけてくれよ、心臓にわるい……」
「なぁに? 今のアンニュイな感じ! 私がどうしたって?」
「な、なんでもない。それより仕事は?」
僕は適当に誤魔化すと、席に座りなおす。枝垂挫はというと、すぐ傍らの席を拝借して、向かいあうカタチで腰を下ろした。
「荷物運んで……ぽすたー貼って、机運んで……あと何やったっけ?」
放課後に突入するなりクラスの女子から「枝垂挫さんはこっちね」と引っ張られていった後、どうやら雑用を手伝わされていたらしい。特に大きな事件を起こしてはいないようで安心した。
「何にせよお疲れさま。枝垂挫はどうする? もう帰る?」
「んー」
問われ、枝垂挫は教室を眺めた。
視線を追うと、未だに作業に取り組むグループがいくつか見受けられる。心なしか増えているのは、枝垂挫と共に行動していた生徒が合流したせいだろう。
……彼女らは、可笑しくなった枝垂挫に慣れてきたようだ。
ごく普通の級友として接してくれている節がある。少なくとも女王可奈浦とその配下たちに比べれば、はるかに友好的に感じられる。彼女らだけではない。クラス内で、枝垂挫は今の立ち位置を築きはじめている。もちろん浮いてしまっているところはあるけれど、それでも徐々に受け入れられてきているのだろう。それが嬉しくもあり、ちょっと寂しい部分もあり。複雑な感覚だ。
「そうだ! 瑞枝くん、今日もすこしお付き合いくださいっ!」
ガタ、と机を蹴って、枝垂挫が頭を下げた。
クラスでの扱い如何に関わらず、僕はこれからも連れ回されるようだった。
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