第188話 そう思っていた。

15.


 まだ朝食を運ばせる前の時刻に、レニから至急会いたいという言伝てを受けて、エリカは寝台の中で不機嫌そうに眉を寄せた。

 リオが首尾よくレニを篭絡ろうらくしたため、今後のことを相談するために来るのだろうか。

 それにしても、時刻が早すぎる。

 エリカは気だるげに欠伸をして言った。


「私は昼近くまで寝ていると伝えてちょうだい」

「それが」


 侍女はエリカの機嫌を損ねないかと、おどおどしながら上目使いをする。


「急ぎの話があるから、起こしてもらうまで待つと。八の刻までにお目覚めにならなければ、この部屋にいらっしゃるとおっしゃっています」

「何ですって」


 エリカは呆気に取られて呟いた。

 親子とはいえ寝所に承諾なしにやって来るなど、王族では考えられない振る舞いだ。

 追い返しても良いが、王都へ行くまでは今の関係性を壊したくはない。

 エリカは苛立ちを押さえつけて、侍女に言った。


「支度をして八の刻には行くから、応接間に待たせておいて。シンシヴァにも来るように伝えてちょうだい」

「かしこまりました」


 侍女は頭を下げるとそそくさと部屋から出ていく。

 ほどなく、エリカ付きの侍女たちが現れ、朝の支度を始める。

 まったく、朝は花を浮かべた湯にゆっくりとつからないと体がだるくなるのに。

 これからまたしばらくは、愛情深く優しい母親の仮面を被らなければならないと思うとうんざりした。

 鏡の前で髪を結われている時、ふとエリカは先日、レニに渡した髪飾りのことを思い出した。元々は自分用に作らせたものだが、細工が気に入らず、一度もつけなかった。

 たまたま目に止まったので、やるのにちょうどいいと思って何の気もなしに渡したのだ。

 レニは驚きで息が止まったかのような顔つきになり、差し出された髪飾りとエリカの顔を交互に見比べた。

 自分が物をやるのがそんなに意外なのか。

 エリカはそう思い機嫌を損ねかけたが、俯いたレニがうっすらと涙ぐんでいるのを見た瞬間、頭の中から言葉が消えてしまった。

 とても美しいものを見るように、年月の経った素朴な贈り物を胸に押し抱く娘の姿を、エリカはしばらく眺めていた。

 娘を疎んじ憎んでいるが、今は仕方なく愛情深い母親を演じている。

 そちらのほうが夢であるかのような、奇妙な感覚に囚われた。

 自分はレニを喜ばせようと思って、ずっと前から娘に似合うプレゼントを選んでいた。それなのに、ついいつもの癖で「自分が気に入らなかったから」というようないかにも素っ気ない調子で渡してしまった。

 今日こそは、レニが心の底から自分を慕ってくれているように、自分もちゃんと気持ちを表そう。いつも心にある愛情を。

 そう思っていたのに……。


「痛い! 何するのよ」


 不意に髪に痛みを感じて、エリカは声を上げる。

 震え声で平謝りする侍女の手をピシャリと叩くと、エリカは再び鏡のほうへ向き直る。

 鏡の中には美しい顔を、怒りと苛立ちで歪めた、権高い女の顔が映っていた。

 それを見た瞬間、娘に贈った髪飾りのことやそれを渡した時の気持ちは跡形もなく霧散していた。

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