第183話 夜の訪ない

11.


 その夜。

 与えられた広く豪奢な部屋の中で、レニは一人で物思いにふけっていた。

 あの後、結局立ち去るリオの背中を追うことは出来なかった。

 この先、エリカと一緒に暮らすことを選ぶのであれば、リオと会うことはほとんど出来なくなるだろう。追いかけたとしても、結局はあの時リオに言ったこと以上のことは言えない。

 必死で訴えれば、泣いてすがれば、リオはいつものように微笑みながら頷いてくれるかもしれない。

 だがそんな風に、リオの優しさに甘えて自分の事情や気持ちを理解することを無理強いはしたくなかった。何を受け入れて何を受け入れないかは、リオ自身が決めることだ。

 レニはそう自分に言い聞かせ、胸が破れそうな痛みに必死で耐える。


 レニを東屋に一人残して去っていったリオの態度は、初めて会った時のことを思い出させた。

 レニが初めてリオに会ったのは、皇帝位について間もなくの内輪の宴の席だった。

 祖父のグラーシアの命令で、無理に連れて来られたのだろう。リオに付き添っていたイリアスの態度は不信と敵意に満ち溢れ、あらゆる害意からリオを守るという気迫で全身を鎧っていた。

 レニは祖父が自分とイリアスの仲を裂いておくために仕組んだ茶番だろうと思っていたので、いつも通り何の感慨もなく席に座っていた。

 しかし自分の前に現れたリオの姿を見た時、まるで世界が突然別の物に変わったかのように胸が震えた。他の全てが遠くの世界の背景と化し、ただ俯いて体を震わせているリオの姿だけが光を放っているように見えた。

 こんなに美しい人がこの世にいるのか。

 触れたら消えてしまいそうな幻想的な美しさの前に、レニは言葉を失った。


 リオはそれ以上に衝撃を受けたようで、レニに会った瞬間に全身の血の気が失せたように顔を蒼白にし、体を震わせ始めた。信じられないと言いたげな瞳には何故か恐怖がはっきりと浮かび、その感情の余りの大きさに耐えきれなくなったように、リオはイリアスの腕の中に崩れ落ちた。

 イリアスが敵意に満ちた眼差しでレニを睨みつけ、リオを部屋から連れ出した後も、レニはずっとその姿を追っていた。

 もしかしたら。

 イリアスの妻である自分が寵愛を受けているリオに対して烈火のごとく怒り狂うか、もしくは恐ろしく意地の悪い侮蔑を投げつけ公の場でなぶりものにすると思ったのかもしれない。

 それとも権力によってイリアスと引き裂かれることを恐れたのだろうか。

 どちらにしろリオの目に浮かぶ恐怖は、女帝としての自分を恐れてのことに違いなかった。


 そのころのレニは、祖父に疑念を抱かれないように、心のうちを誰にも明かさないようにすることが当たり前になっていた。

 周囲の人間が自分を敬遠し、近づかないほうがいいと思ったほうが好都合だ、そう思っていた。

 だがリオにだけは、どうしてもそう思われるのが嫌だった。

 あの美しい人にだけは、自分の気持ちを分かって欲しい。

 自分はリオの存在を疎ましく思ってなどいない、イリアスと引き裂こうなどとも思っていない。出来れば友達になりたいと思っている、そうわかって欲しかった。


 レニから見れば、あの頃のリオは明らかに自分のことを避けていた。ようやく打ち解けてくれた時は、天に昇るような心地で幸せだった。

 祖父もイリアスも兄から与えられた使命も宮廷も、何もかも無くなり、リオと二人だけでいつまでも過ごせたら。

 何度もそう夢見た。

 リオを初めて見た時から、女性だと信じて疑っていなかった時から、レニはリオに恋焦がれてきた。今まで、ずっと変わらず。


 レニはほの明るい寝台の中で、顔を膝に埋める。

 リオにはイリアスがいる。

 でも、エリカには自分しかいない。

 だから側にいてあげなければ、そう思う。

 どれほどリオを失う痛みが強くても。


 その時、寝台から離れた場所にある扉が、ゆっくりと開く気配がした。

 レニは顔を上げ、慌てて頬を濡らす涙を拭う。

 何か緊急の用件があり、宿直とのいの侍女が入って来たのか。

 そう思いレニが扉のほうへ顔を向ける。

 頭から侍女用の全身を足首まで覆う長いベールをかけた人影が、寝台のほうへ静かに歩み寄ってくる姿が見えた。

 立ち上がろうとしたレニは、しかしその姿を見た瞬間、凍りついたように動けなくなる。

 その人物は寝台の側まで来ると、呆然としているレニの前で、被っていたベールを上げた。薄いベールは風をはらんでふわりと一瞬宙に舞い、ゆっくりと床の上に落ちる。


「リオ……」


 レニは薄闇の中に浮かび上がったリオの姿を見つめる。ベールを脱いだリオは、申し訳程度に腰周りを隠し、その上にごく薄い羽織ものを纏っただけのひどく扇情的な姿をしていた。

 レニにそれなりの知識があれば、それは高級娼妓が上物の客を接待する時の姿だとわかっただろう。

 普段よりも濃い色合いの縁取りをした瞳を、リオはレニに向ける。

 それからごく自然な動きで、寝台の中へと入り、レニの頬に手を伸ばした。


 レニさま……。


 リオは優しい手つきでレニの丸みを帯びた頬に、指を滑らせる。


「リオ、どうし……」


 レニの疑問を封ずるように、リオは紅く彩れた唇でレニの口を塞いだ。微かに開かれたままだったレニの唇の隙間に馴れた様子で舌が潜り込み、敏感な部分を巧みに撫で吸われる。

 レニが戸惑う隙を与えないように、手はレニの体の丸みをたどり、ゆっくりと自然な動作で夜着をくつろげ始めた。

 リオが触れるだけでその部分が熱を帯び、まるで生き物のようにレニの中で蠢き、声を上げる。自分ではないものに体を乗っ取られたかのような感覚に、心は怯えているのに、体は熱くなり快感によって濡れ始めていた。

 首筋を唇で愛撫され、内腿を優しい手つきで撫でられた瞬間、余りの心地よさに声を上げそうになった。高まっていく快感に呑み込まれそうになりながら、レニは何とかリオの手を押し止める。

 リオは逆らうことなく、まるで急に糸が切れた人形のように動きを止めた。

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