第80話 あんたが正しかった。

30.


イズルは、咄嗟にリオを背後に庇う。


「獣ではないな。出てこい」


 誰何すいかの声を上げると、繁みから小柄な人影が気まずそうな、おずおずとした様子で出てきた。


「レニさま!」


 リオは声を上げると、弾かれたようにレニの下へ駆け寄った。

 地熱で蒸された地面に膝まづいてレニの顔を見上げ、赤い髪についた葉っぱや雪をはらい出す。


「お一人で来られたのですか? 危ないことを」

「ごめん……話を聞くつもりはなかったんだけど」


 レニはばつが悪そうな顔で、リオと後ろに立つイズルに交互に目を向ける。


「レニさま、ここではお体が冷えてしまいます。中へ参りましょう」

「えっと……」


 抱きかかえんばかりにして、小屋の中にいざなおうとするリオに向かって、レニは戸惑ったように声をかけた。


「リオ、イズルと話があるんじゃないの?」

「いま、ちょうど終わったところです。さあ、レニさま。お風邪を召してしまいます」


 遠慮がちなレニの指摘に、リオはレニの体を冷気から守るように抱きかかえながら答える。

 半ば強引に、小屋の前に連れてこられたレニに、イズルは踵を返しながら声をかけた。


「一刻ほど後に、迎えの人間を寄越す」

「あ、ありがとう」


 リオの腕の中で、まだ戸惑った表情でいるレニに、イズルは目を向ける。


「あんたが正しかった」

「え?」


 イズルは一瞬リオのほうへ視線を向けた後、再びレニのほうを向いた。


「この娘を信じる、と言った、あんたが正しかったな」


 イズルの言葉に、リオはハッとしたように自分の腕の中のレニの顔を見つめた。

 イズルは、そんなリオの様子をしばらく眺めた後、それ以上は何も言わず、橇のほうへ戻って行った。



31.


 一人で村まで戻ったイズルは、カリブーたちを畜舎へつなぎ、母屋のほうへ歩き出した。

 その途中で、同じように母屋へ戻ろうとしていた人影に、声をかけられた。


「イズル、リオは一緒じゃねえのか?」


 イズルは立ち止まり、声をかけてきたコウマのほうへ顔を向ける。


「『水の器』の娘ならば、クルシュミの湯で身を清めている。連れの娘も一緒だ」


 コウマはイズルの下に、歩み寄った。


「連れの娘? ああ、レニのことか。一緒に温泉に浸かっているのかよ」


 あいつら、マジで仲良すぎだろ、とコウマは、半ば呆れたように笑う。

 イズルはコウマを見ながら、独り言のように言った。


「『水の器』が受け入れる火は、お前なのかと思っていた」

「あ? リオが俺の女とか言う話か? だから言ったろ、ちげえって」


 肩をすくめたコウマを見て、イズルは力を抜くように息を吐いた。


「どうやらそうらしい」

「イズル、お前、もしかして……」


 コウマは口をつぐんだイズルの顔を、穴が開くほど眺める。

 それから合点がいった、というようにまた笑顔になった。


「ははーん、リオに惚れたか」

「ユグに残らないか、と伝えた」

「おいおい、いきなりすぎるだろ。すげえな、マジで惚れてるじゃねえか」


 コウマのからかうような言葉を気にする風もなく、イズルは淡々とした口調で続けた。


「もう自分の心を燃やす火はいる、と言われた」


 そう聞いた瞬間、コウマの顔から表情が消えた。

 黒い瞳に一瞬だけ、この陽気な商人らしかぬ哀切を帯びた光が浮かぶ。

 だがコウマは、その光を自らの意思でかき消すように笑った。


「リオの奴、言うねえ」


 コウマの言葉に含まれる何かが、イズルの注意を引いた。

 空色の瞳をコウマに向け、イズルは先程よりもはっきりとした口調で問いを口にする。


「お前ではないんだな?」

「ちげえよ」


 コウマはその後の言葉を続けるか悩むように、不自然に語尾を区切った。

 結局、その言葉が音となることはなかった。

 イズルは、その言葉を聞き取ったかのような表情になり、空に広がる蒼い極光を見上げる。


「あの娘の火が……羨ましい」


 コウマはしばらく黙った後、不意に言った。


「珍しく気が合うじゃねえか。何が何だかよくわかんねえが、俺もその『火』がうらやましいよ。うらやましすぎて、歯噛みしちまいそうだわ」


 コウマは半ば皮肉そうな半ば楽しそうな笑いを浮かべた。


「血かねえ、女の好みが似ていて惚れやすいのは」


 コウマの言葉に、イズルは顔をしかめる。


「俺は別に惚れやすくはない」

「まあまあ、いいじゃねえか、細かいことは。よし、今日は兄弟水入らずで飲み明かそうぜ。パアッと騒いでりゃあ、明日には神さまが湖を凍らせておいてくれんだろ」

「おい、ふざけるな。何で俺がお前と……」

「固いこと言うなよ、お兄ちゃん。女の口説きかたを伝授してやっからさ。いきなり夫婦になろう、はねえよ。下手くそすぎて聞いてらんねえや」

「ふん、お前を見ていると、人のことをとやかく言える身分とは思えないがな」


 コウマはイズルのたくましい体をバンバン叩き、イズルはコウマの適当な口上に刺々しい言葉を返しながら、二人は連れ立って母屋の中へ消えていった。

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