第48話 恋の話

8.


 昼食後、クシュナは宿になっている二階に三人を案内した。コウマが一室を使い、レニとリオは二人でひと部屋だった。

 荷物の整理もそこそこに、レニは一人で部屋から出た。


 「パッセ?」


 厨房で昼の片づけを一人でしているクシュナに声をかけると、クシュナは「そう言えば」と言いたげに辺りを見回す。


「どこに行ったのかしら? たぶん自分の部屋だと思うけれど」


 レニが教えられた通り、厨房の奥にある一階の廊下に出る。廊下の先に足を向けた瞬間、不意に横から腕を引っ張られた。


「パ、パッセ?」


 レニは、自分の腕を掴んでいる、泣きはらしたように浮腫んだ瞼をしたパッセの顔を驚いたように見る。


「ちょっといい?」


 パッセはそれだけ言うと、返事も待たずにぐいぐいとレニの腕を引っ張る。小柄な体を引きずるようにして庭のほうへ連れて行った。



9.


「陽だまり亭」の裏庭は、その名前の通り、暖かな陽射しが入りこむ居心地のいい場所だ。

 こじんまりとしているがきちんと手入れをされており、洗濯物を干す場所と小さな野菜畑もある。


 パッセは家から庭に続く石段に勢いよく腰かけると、レニにも「座ったら?」と愛想のない声をかけた。

 レニは言われるがまま座り、何とはなしに自分の隣りに座る少女の顔を眺める。

 年齢は、レニよりも少し年下くらいだろう。

 陽が当たるとキラキラと光りがこぼれる茶色の明るい髪と、いかにも感情が豊かそうな茶色の瞳をしている。

 ツンと上向いた鼻が勝気でやや我儘そうな印象を与えるが、表情がくるくると変わる素直さがそれを補っていた。

 造作のひとつひとつはクシュナと余り似たところはないが、全体的な雰囲気を見ると不思議なほどよく似ているように感じられた。

 「自分」という輪郭がはっきりしている、意思が強い眼差しのせいかもしれない。


 パッセはレニのほうへ少し視線を向けたが、レニがおずおずと微笑むと、またツンと顔をそらした。

 だがすぐに、膝の上に視線を落とし、低い声を吐き出した。


「ねえ、あなたたち、コウマと旅で知り合ったの?」


 レニは頷いた。


「うん、港街のフローティアからここに来るまでの隊商で知り合ったんだ」

「ふうん」


 パッセはいかにも気がなさそうに呟いて、また黙り込んだ。

 レニが緊張しながら次の言葉を待っていると、突然顔を上げた。


「ねえ! あなたの友達のリオって人!」

「う、うん?」


 パッセはレニにのしかからんばかりの勢いでにじり寄ってきた。余りの勢いに、レニは気圧されたように上体をそらす。

 パッセは両手を握りこぶしで固め、赤くなった瞳を爛々と輝かせてレニを見つめる。


「あの人……あの人、コウマと何もなかったの?!」

「なっ、何も? 何も? って?」


 パッセは、話についていけず目を白黒させているレニの肩に手をかけて、乱暴に揺さぶる。


「あの人、コウマのことが好きなんじゃない?! そういうことを言っていたこと、なかった? 相談とかされたことない?!」


 レニはポカンとした表情で、パッセの顔を眺めた。

 だが、頭の中で言葉の意味を理解した瞬間、辺りに響き渡るような大きな声で叫んだ。


「え……っ? えええー-っ?! リオが? リオが、コウマのことを、す、好き?! 好きぃぃ?!」

「ずっと一緒に旅をしていたんでしょう? そういうことがあったっておかしくないじゃないっ。あなたに打ち明け話とか、相談とかされなかった? ねえっ?!」


 レニの飲み込みの悪さに苛立ったように、パッセは言葉を畳みかけた。


「相談、相談はされていない、と思う……」


 パッセの勢いに押されたように呟いてから、レニはふと気づいたように声を大きくした。


「リオは、リオがコウマのことを好きなんてことはないからっ! 絶対に!」


 自分の思いに囚われて興奮しきっていたパッセは、レニの言葉の強い響きに打たれたかのようにハッとして少し体を引いた。

 そうして今初めてレニの存在に気付いた、とでも言いたげに、ジロジロとその姿を眺める。


「まさか」


 パッセは、自分で自分の考えを疑っているような、猜疑に満ちた口調で呟いた。


「あなたが……コウマのことを好き、とかじゃないわよね?」

「ふええええっ?!」


「リオはコウマのことが好きなのでは?」と言われたとき以上に仰天して、レニは大声を上げた。

 

「ちょっと大声を出さないでよっ」


 先ほどまでの自分の興奮は忘れて、パッセは慌ててレニの口を片手で塞ぐ。

 口をもごもごさせているレニの顔を用心深く観察していたが、そのせいで興奮が醒めたのか、ゆっくりと手を離すと石段に腰かけ直した。

 自分自身を落ち着かせるためにか、ホウッと大きく息を吐き出す。

 そうして、強情そうな眼差しを前に向けたまま口を開いた。


「あの人、あのリオっていう人、コウマはああいう人、好きだもの。都のお姫さまみたいに上品で、静かで大人しそうなのに、しっかりしていて」


 喋るうちにパッセの声は、感情の波で揺らいでくる。声が徐々に小さくなり、最後には唇を噛んで俯いた。


「あの人……すごく綺麗ね」

「う、うん」

「あんなに綺麗な人……生まれて初めて見た……」


「私も」と、レニは、リオを褒められた嬉しさで頬を上気させて答えようとしたが、パッセの勝気そうな茶色の瞳にうっすらと涙が浮かんでいるのを見て言葉を飲み込んだ。


「コウマ、あの人のことがきっと好きだわ……。今は好きじゃなくても、きっと好きになっちゃう。さっきだって、あの人のこと、ずっと気にしていた……」


 レニは泣きそうな顔をして俯いているパッセの顔を、ジッと見つめる。

 そうして自然な仕草で、そっとパッセの頭に小さな手を当てた。

 パッセは、ハッとしたように一瞬反応したが、そのままジッとしていた。


「馬鹿みたいでしょ。コウマは私のことなんて、ちっとも相手にしていないのに。そんなの、誰が見たってわかるのに……」


 レニは勢いよく首を振る。

 その勢いの激しさに、パッセは驚いたように振り返った。

 レニはハシバミ色の瞳で真っすぐにパッセの顔を見て、力強く言った。


「わかるっ」

「えっ?」

「私、わかるよ! パッセの気持ち」


 パッセは、自分のことをジッと見つめるレニの眼差しを見つめ返した。

 そこに余りにはっきりレニの感情が表れていたためか、パッセはすぐに、レニの瞳から自分の中にある感情と同じものを読み取った。


「あなたも……誰か、好きな人がいるの?」


 問われた瞬間、レニは顔を真っ赤にして目を伏せた。

 そうしながらも力強く、はっきりと頷いた。

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