第35話 商人の血

12.


 翌朝。

 コウマとレニは、夜明け間近に村を立った。


「コウマ、ありがとうな。レニも。気をつけて帰れよ」


 家主の男はそう言って、コウマとレニの手を握りしめた。

 家主一家も早々に起きだし、二人のことを姿が見えなくなるまで見送ってくれた。



13.


「レニ、急ぐぞ。昼前には、向こうに着かないといけねえからな」

「うん」


 二人はまだ薄暗い山道を、素早い足取りで歩き続ける。

 日が昇る前の時間は、まだ夜の冷気が辺りに残っていた。歩くうちに、熱気を帯びてくる体を程よく冷ましてくれる。


「コウマは、あの村の人たちともう長いこと知り合いなの?」


 レニの質問に、朝飯用に、ともらった燻製のチーズを口の中に放り込みながら、コウマは答えた。


「親父の代からの付き合いさ。元々は俺の親父が行商でよく寄った村だ。俺も子供のころから世話になっている」

「お父さんも商人だったの?」

「親父どころじゃねえ。俺の家は、曽爺ひいじいさんの代から根っからの商売人だ」


 コウマの口調に熱がこもる。


「俺の中には商売人の血が流れているんだよ。金のことにこだわるなんざ汚い、下賤な人間の考えることだ、身の穢れだ、って偉い奴は言うけどさ、俺はこの血が流れてることを誇りに思うね」


 コウマは黒い瞳を輝かせて空を見上げた。


「商売をやっているとな、世界っつうのは全部つながっているんだ、ってわかるんだよ。偉い奴だろうが、そいつらから見たら卑しい奴だろうが、ぜんぶつながっている。それをつなげているのが金なんだ。金にはいいも悪いもねえ、金はただ金なだけだ。俺はそこが好きなんだ」


 コウマの言葉に、レニは少し考えてから頷く。


「まだちょっとしかわからないけれど、私も商売って面白いなって思う。この品物にこんな値段がつくんだとか」


 コウマは半ば満足そうに、半ば不思議そうにレニの顔を見た。


「お前、貴族の割には物分かりがいいよな」

「貴族って言ったって、名前だけだよ」


 レニは慌てて言う。

 コウマはそこには特に疑問を持たずに言葉を続けた。


「貴族なんて威張っている割には、てめえの鼻の先のことも見えねえ奴らばっかりだと思っていたけどな。中には偉い奴にしては、鼻が利く奴もいるから油断はならねえけど」

「貴族でも商売に興味がある人っているんだ?」

「あったりめえよ。領地や国なんてのは、本来はそれで成り立っているんだからな。てめえの領地からどれだけ利益が出て、どれだけ物入りかもわからねえ奴がふんぞり返っているんだからな、嗤っちまうよ。目端の効く奴は、そういうお貴族さまからどれくらいかすめ取れるかを常に考えている。適当にお追従を並べてりゃあ、財布の紐を緩めてくれるんだからな、こんなにチョロい獲物はいねえよ」


 コウマは皮肉な笑いで口元を歪める。


「でも中には、こいつは俺たちと同族だ、と思うような奴もいる。そういう奴には俺たちも相応の敬意を払う、同じ商売人としてな。おべっかなんて使うだけ無駄だ。対等な立場で取引をするんだ」

「ふうん」


 レニはコウマの言葉に、感心したように頷いた。

「対等の立場でいることが、最大の敬意なのだ」という言葉が、胸のどこかに小さい棘が刺さったような痛みを感じさせた。


「そいつがてめえのケツをてめえで拭ける奴かどうかはな、金との付き合いかたでだいたいわかるぜ」


 レニがいちいち感嘆するので、コウマはいささか下品な言葉を持ち出して得意そうにそう言った。


 不意にレニが足を止めた。

 コウマは得意気な表情のまま振り返る。

 さすがに品が無さすぎたか、とコウマは笑ったが、すぐにその顔から笑みが消えた。


「おい、どうしたんだよ?」


 レニはハシバミ色の瞳に、別人のように鋭い光を宿し、辺りに視線を走らせる。

 気配を静止させ、自分の周囲に鋭敏な感覚を広げているその姿は、獲物を見つけた野生の獣を思わせた。

 レニは周囲に強い視線を投げつけたまま、コウマに囁く。


「コウマ、この先あと数歩で射程に入る。弓矢か投石器か、右の茂みから狙っている」

「えっ……」


 思わず顔をそちらへ向けようとしたコウマを、レニは手で制した。


「動かないで。たぶん他にも何人かいる。四人か……五人くらい」

「野盗か? でも、こんな山の中で……」


 待ち伏せされていたのだ。

 気配でわかる。

 だが相手は、野盗ではない。

 ここは道が広すぎるし、左右が藪になっている。多人数で少人数を待ち伏せして囲むためには、逃げ道が多すぎるし、村も近すぎる。


 人を襲い慣れていない。

 レニはそれらを素早く見て取ると、コウマに言った。


「私が動き出したら、後ろ向きに下がって曲がり角の辺りまで行って。そこまで行ったら、全力で走って村に知らせに行って」

「お、お前が動きだしたらって、お、おい、レニ、お前は、どうするんだよ?!」


 レニは辺りに気を配ったまま、両方の足首に隠してある投げナイフを二、三本ずつ取る。ナイフというよりは、太い針のような形状をしている。


「言う通りにしてね」


 ナイフを手に取ったレニの瞳からは、普段の彼女からは想像もつかない、凍った刃のような冷たく鋭い光が放たれている。

 レニは口の中で呟いた。


 一人のほうが戦いやすい。


 一瞬の密やかな静寂さの後、レニはいきなり前方に向かって駆けだした。

 同時に放たれたナイフの先で、悲鳴が上がる。

 仲間の悲鳴に動揺して動いた茂みの中のひとつに向かって、レニは今度は左手でナイフを投げる。

 これにも手ごたえがあった。


「コウマ、早く!」


 呆気に取られているコウマに向かって、レニは鋭い叱咤を飛ばす。

 コウマはその声に打たれたかのように、体を一瞬震わせると、角まで速足で戻り、村に向かって走り出した。


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