第3話 道中
4.
リオがさらわれたと気付いた時は、レニの全身からは血の気が引いた。
人気のない寂れた宿場町に、王宮の姫君と言っても通りそうな美女が現れたのだ。
宿の主人は、即座に盗賊たちに知らせに行ったのだろう。
道中はフードで顔を隠していたが、宿の主人に対してまでは警戒していなかった。
レニは、盗賊と宿の主人には自分一人で逃げたと思い込ませて、逆にアジトに帰る一味の者の跡をつけた。
少し先すら見えない真の闇に包まれた森の中を、盗賊が持つ灯りだけを目印に歩き続ける。
ほどなくして、盗賊が住み着いている森の中にある廃墟となった古い砦にたどり着いた。
すぐに建物の構造、盗賊たちの人数、配置、周囲の地形を把握する。
観察を始めてすぐに、規律がなく統制が取れていない、個々の力だけが寄りどころの寄せ集めの集団であることを見てとった。こんな早い時間から酒を食らい、見張りにもまるで緊張感がない。
これならば、一人ずつ分断して始末出来る。
奴らはリオを売るためにさらったのだ。少なくとも殺されることはない。
様子を見ながら深夜まで待てば、単身で乗り込んでもリオを取り戻せる。
折よくその日は雨だったので、気配も楽に消せる。
叫ばれても雨音でかき消される。
火がつけられない、飛び道具も使えない状況の暗闇の中ならば、自分のほうが圧倒的に有利だ。
レニは腰の後ろに横向きに差している愛用の短刀、手首の革の腕輪の中に仕込んでいるテグス、編上げ靴の中に隠している投げナイフなど、使い慣れた武器を確かめる。
敵を前にした時に、最も大切なことは自らに有利な「場」を作ること。
そのために必要な情報を最速で集め、思考し、目的に達するための「道」を探る。
その道筋で自分の呼吸を維持し、相手の呼吸を乱すことを考える。
一対一でも一対多でも、多対多でも戦の原理は同じだ。
敵と直接対峙した時には、勝敗は八割がた決まっている。
その教えは、レニの骨の髄まで染み込み血肉と化しているものだ。
それにも関わらず、リオのことを思うと頭が真っ白になり、怒りと焦りで心が乱れ、気が狂いそうな心地がした。
今すぐにでも飛び込んで、リオを救い出したい。
心に爪を立て絞り上げられるような苦痛にも似たその衝動を、レニは歯を食い縛って懸命に押さえつけなければならなかった。
そんな風に考え続けて緊張と怒りが極限まで高まっていたせいか、いざ中に入ったら荒れ狂う暴風のような残虐な殺意に全身を乗っ取られた。
見張りを何人か始末したのは仕方がない。
だが、盗賊の頭を始め、殺す必要もない人間も何人か殺した。
怒りに体を支配され、殺意を抑えることが出来なかった。
自分の中にこれほど狂暴で残忍な衝動が隠れていたことに、レニ自身も愕然とした。
(だって……)
レニは考える。
盗賊の根城に入った時のことを。
(だって……あいつら、リオを……)
その光景を思い出すと、瞬時に血が逆流し、目の前が暗くなり、心がドス黒いもので塗りつぶされそうになる。
記憶の中の光景を見まいとするかのように、固く目をつぶると、毛布の上から手の感触を感じた。
「申し訳ありません、レニさま」
リオは顔を伏せたまま、消え入りそうな声で囁いた。
「
「リオのせいじゃないよ」
思わず叫んだ瞬間、頭に痛みが走り涙が出た。
リオはそんなレニの様子を、ひどく心配げに見つめる。
「でも」
レニの顔を覗きながら、リオは小さい声で付け加えた。
「あの晩、私を助けるためにずっと雨に打たれたから、こんなにお体が弱ったのではないですか」
レニは首を強く振る。
「違うよ、旅に慣れていないから疲れただけ。リオのせいじゃない」
自分を見つめるリオの顔を見れないまま、レニはカビ臭い毛布の下でこわごわと手を動かした。
厚い布ごしに、指先だけでリオの手に触れる。
レニはベッドの中で俯く。
感情の赴くままに、盗賊たちを殺戮した自分のことを、リオはどう思っているだろう……。
リオに恐怖と嫌悪の眼差しで見られることが、何よりも怖かった。
「レニさま」
リオは毛布の上からレニの指を探り、躊躇いがちに軽く握りしめる。
レニの顔から視線を逸らしたまま、呟いた。
「レニさまは、私のことを疎ましく思われてはいないでしょうか……?」
「何で?!」
レニは弾けるように顔を上げた。
リオから返事はない。
頑なに視線を背けたまま、黙っている。
長い黒髪に隠された横顔が、いつもよりさらに儚く空気に溶けてしまいそうに見えた。
布ごしに僅かな震えが伝わってくる。
レニは頭が混乱したまま、急いで言った。
「そんなこと、ぜんっぜん思ってないよ! 今だって……ちゃんとした部屋に入れてもらえたのは、リオのおかげだもの。最初にいたあの大部屋だったら、どんどん具合が悪くなっていたよ」
厚いカーテンで仕切られた粗末な木のベッドと、小卓、背もたれのない椅子が置かれただけの部屋だ。
ベッドの脇にリオが座っていると、それ以上は人が入れないくらい狭い。
元は、船長室の脇にある、使い走りが詰めているための空間だったようだ。壁はボロボロで、薄暗く、換気が十分出来ないため妙な臭いも漂っている。
それでも乗船時にいた大部屋よりは、ずっとマシだ。
この船は、商船が荷物を運ぶついでに、人も乗せている。
客は商人や出稼ぎや兵役に出た農民、巡礼者が多いのでそこまで性質が悪い客はいなかったが、若い女二人旅となると好奇の目で見られる。
どれほど狭くても、人の目を避けられるだけで心身を休めることができた。
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