イマジナリーボーイフレンド

 「そして、二人は小さなお城の中で、いつまでも仲良く暮らしてきました。」

 「めでたし、めでたし」


 そして、女の子は本を閉じた。男の子と女の子、二人を囲むようにして本がうず高く積まれている。本は今読み終えたものを合わせてちょうど100冊目のようだ。


 「どう? 疲れた?」


 本を覗き込むように見ていた男の子が尋ねる。答える代わりに、女の子は小さくあくびをしながら、首を振った。


 「疲れていないはずがないよ。僕と交互だったとはいえ、ここにある100冊もの本を、たった数日で読み終えたんだから。」

 「それはあなたもでしょ」


 でも君は本を運んだりめくったりしてくれたじゃない、と男の子が笑いながら返す。本を取り出して本棚を空っぽにしたのも、何ページもめくってくれたのも、女の子だった。


 「色々な場所へ行ったね。 だだっ広い砂漠だったり、全面黄金で作られた古代の遺跡だったり・・・」

 「海底に行ったこともあったよね」

 「あったね。その時君は、勇敢な海洋生物学者だった。そして、僕はその助手だったな」

 「雲の上の王国に行ったときは何だったっけ?というか、どうやって私たちはあそこまで飛んでいったっけ?」

 「え~と、どうだったかな。う~ん、ごめん。ちょっと覚えてないかも・・・」

 「しっかりしてよ!と、言いたいところだけど・・・。私も。たくさん、読みすぎて分からなくなっちゃったわ」

 「確かに。いくつかの作品が頭の中で混ざっちゃってるね」


 そう言いながら男の子が微笑む。女の子が手で口を塞ぎながら、男の子から見えないようにあくびをする。と、同時に顔を背ける。どうやら見られたことが照れくさいらしい。


 「眠くなってきたかい?うわ、確かにすごい時間だ。そろそろ、寝ないといけない時間だよ」


 女の子は、うんと小さくうなずく。


 「お言葉に甘えて、今日は寝ることにしようかな。最近、生活スタイルが戻ってきたから。これ以上、夜更かししちゃうともったいないわ。あんまり不規則な生活をしていると、パパとママに気を遣わせちゃうし」

 「うん。それがいい」


 男の子はハンドジェスチャーでベッドへと促した。あなたは入らないのかと訴えてくる目線に、僕はまだいいという意味で男の手は手を振る。肩を貸した方がよさそうなふらふらとした足取りで女の子がベッドに向かい、男の子はそれを愛おしそうな目で見つめている。

 ベッドに入って、しばらくしたのち。目を閉じたまま、女の子が話しかけてきた。


 「あなたがまた家に来てくれて、本当に嬉しかったのよ。あなたったら、子どもの時にいなくなったと思ったら、連絡もくれないで。」

 「でももういいの。また、一緒にいてくれるんでしょう?」


 少し、間を空けて、男の子は“ああ”、とつぶやき、続けて、“もちろん”と言った。

それに対して、女の子は満足そうな表情を浮かべ、


 「明日は外に出てみようかな」


 と、独り言のように口に出した。言葉の最後の方は、闇に吸い込まれるように。言葉の半分が眠気にかわるように。

 緩やかにスローダウンしていく呼吸のテンポが、女の子の眠りが近づいていることを示していた。




 ある日、僕は深い眠りから急激に引き戻されるようにして覚醒した。この眠りは、永遠の眠りになるはずだった。なにが起きたのか把握しようと、あたりを見渡す。気のせいだろうか。以前よりも視点が一回り、あるいは二回りほど高い。

 周囲を見回していると、こちらを見つめる女性が一人。記憶の中の少女と比べて、あどけなさが抜け、大人びている。ただ猫を思わせるような大きな目、短くなっていながらも烏の濡れた羽を思わせるような黒髪は健在で、それらの共通点は目の前の女性が自分の知っている少女の成長した姿であることを表していた。

 ややあって、自分の存在を認識し始めた彼女は目を大きく見開き、信じられないと口を動かしながら近づいてきた。どちらからともいわず、熱い抱擁を交わす。嬉しさからか、体が震えている。髪の毛の中に、白髪を見つけた。綺麗な黒髪なのにもったいないな、とぼんやり思った。




 しばらくして落ち着いた彼女は今までのことを語り始めた。ところどころ文節を区切りながらしゃべる癖も、最終的には自分を責めて終わってしまう話し方も全く変わっていなかった。つまりはこういうことらしい。中学校入学を境に僕がいなくなってしまってから、勉強も友達付き合いも自分なりに頑張ってみたこと。はそこでできた仲の良い友人と高校・大学は地元に進み、就職活動では東京の一部上場の会社に決まって単身東京に移り住んだこと。そして、黙々と営業の仕事を頑張ってきたものの数字に結びつかず、同期からは蔑まれ上司からは暗に自分の評価が伸びないのは自分のせいだと言われる日々が続いたこと。その結果、家に帰ってから時計の針が12をこえると、その日出勤しなければならないことを思い出し、心臓が早鐘を打ち始め、それに伴って吐き気や眩暈がしてくるようになったこと。

 その後、医者にかかり、心の病気だと診断が出る。そのため、彼女は休養を理由に実家に帰ってきた。“そうしたら居間にあなたがいた、前と変わらないとぼけたような顔をして”と話を締めくくる。からかうような目つきと、ひきつった笑顔のアンバランスさがやけに痛々しい。ただ、と前置きをした後で涙をにじませながら、彼女は話す。私もあなたのことを会うまで忘れていたの、あんなに仲良くしていたのに。ごめんね。




 それから、彼女と僕は部屋から一切出ずに、あてどもなく、さまようようにいろいろな話をした。時々、彼女の家族が声をかけてきたり、様子を伺いに来たりすることもあったが、そのたび彼女は不機嫌そうに、時には怒鳴り散らしながら、追い返していた。少しでも僕から意識を散らせば僕という存在がいなくなってしまうのではないか、そう彼女は考えていたのかもしれない。




 そうして、何日か経った頃、彼女は部屋にあった本棚から本を一冊引っ張り出し、これを登場人物ごとに、あるいは小学校でやったように丸読みで、音読しようと提案してきた。一冊を読み終えたら、もう一冊、それを読み終えたら、もう一冊。初めて海外に行く、そのためのチケットであるかのように、彼女は慎重に本を両手で抱えて持ってきては、二人が見えるような位置に広げて見せた。砂漠、遺跡、空、海、宇宙、時には未来、そして過去、打って変わってお菓子の世界。科学者、考古学者、サッカー選手、小学生、神様、人形、犬、猫、ゾウ、魔女、一度だけロボット。彼女と僕は、様々なものになりきり、色々なところへ旅をした。そんな日々を過ごすうち、彼女は居間で再会したときより元気になって、目に光が宿ってきた。笑う回数も増えてきた。すっかり鳴りを潜めていた特有の朗らかさも、彼女の周りに戻ってきたようだった。本が並ばずにすっかり寂しくなり、本棚が本棚としての役割を全うしなくなる頃。彼女は完全復活を遂げるだろう。その時、僕という存在はいなくなる。イマジナリーフレンド。幼児期に、人を支えるために生みだされ、大人としての一歩を踏み出すと同時に、多くの人に忘れ去られる架空の存在。それが僕であり、彼女はその創造主なのだから。




 今この瞬間、僕が存在していること自体が理から外れているのだ、と自分に言い聞かせる。創造主の幼児期に置き去りにされる形で留まることを余儀なくされる僕たちは、大人になることは本来であればできない。しかしその一方で、僕という存在は同世代の友達として具現化されていた。そのため、今回僕は成長することを許されていた。その成長した証である筋肉質で男性的になった手は、現在は床のフローリングが見通せるくらいに透けている。彼女が今夜その眠りをもって、子どもの彼女自身と蹴りをつけることは、大人の彼女自身を取り戻すということ。そして、それは僕と彼女の2度目の別離を意味していた。




 開きっぱなしの本が足に触れるかどうかというところ。僕の体をすり抜ける。本は数ページも動かない。回り込むようにして、本の見開きを見つめる。小さなお城の中から飛び出すようにして、王子様に扮した少年とお姫様に扮した少女が、虹のような笑顔でこちらを見つめ返す。この絵本のように、いつまでも仲良く暮らす、二人のうちの一人にはなれないけれど。君がこの世界から意識を手放すまで。僕の体が夜の色に溶けていくまで。僕はただひたすらに君の幸せを願っていた。




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