《刹那的》短編小説集
蒼井 静
月草でなく
私は、酔ったお父さんが時々話してくれる過去の恋愛の話が好きだ。お姉ちゃんからは、自分の肉親の恋バナなんて聞いて何が楽しいの、と言われるけれど。お母さんがいないときにだけ、「ママには内緒な」という言葉を前置きにして語られるその話は、少女マンガには無いリアリティがあり、本当にその人のことが好きだったんだろうなということがこちらにも伝わってくる父の生き生きとした様子もあって、自分にもそのような恋愛がこれからやってくるんだと思うと、胸が踊った。
そして、とりわけ私が好きだったのは話の内容それ自体ではなく、その元恋人について尋ねたときにする、何とも言えない父の表情だった。網膜には若い自分の姿と、その時お付き合いしていた方が投影されているのだろう。その後、父は我に返ると、きまって恥ずかしそうに笑うのだが、その時だけは父が自分といくらも年が離れていないただの少年のように見えるのである。
「当時、元カノは花にハマっていて、好きな花を1つ僕に教えてくれたんだ。夏の花では珍しい青い花でね。ツユクサといって、万葉集にも出てきているんだよ」
「教えられて、その花の存在について知るだろう? するとね、不思議なんだ。今でも夏が始まるとき、そして終わるとき。ふわりとその花の香りがしたとき。上品な青色を町で見かけたとき。花の姿を探してしまっては、当時の記憶をふっと思い出すんだ」
ツユクサという花は、英語でday flowerというらしい。花の開花時期が極端に短く、早朝に咲き、午後にはしぼむ“一日花”の特徴を持っていることに由来する。そのため、古来からはかなさの象徴として親しまれてきた。そんなツユクサの花言葉の1つに、「なつかしい関係」 というものがあるという。懐古する花として、これほどぴったりな花はないだろう。
「それで、お父さんとその元カノさんはどうなったの?友達に戻ったの?それともそれっきりになっちゃったの?」
「ううん、続いてるよ」
「帰ってきたら、今のママに聞いてみようか。きっと、恥ずかしがるだろうけど。」
それから、お父さんの過去の恋愛話をこっそり聴く機会はなくなってしまった。お父さんと私の他に、お母さんも混じるようになった。はじめは照れからか、全然話してくれなかったお母さんだったけれど、最近では、あの時お父さんがこんなことしてくれた、こんなところに行ったと話してくれる。
そういえば、もう一つツユクサに花言葉があったことを思い出した。「変わらぬ思い」。 今後、私も夏が来るたびに、この花を探してしまうのだろう。
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