なぜ

橋本頼

なぜ

 なぜ。僕が人である限り、一生自分に問い、そして考え続ける問いだ。その問いに答えなどない。いやあるのかもしれない。けれど、人間の少ない寿命の中で、一つの答えを出すことは、不可能に近いとそう思う。だが、人はその不可能なことをしなければならない。人なのだから「人間は考える葦である」とパスカルは言う。僕もそう思う。だが、あえて人間ではなく人と言おう。人は考えることができたから、他の生物以上のことができる。考えることができなかったら遥か昔に滅んでいたと思う。なぜなら、単純な身体能力では、下の下だ。

 そして、考えなくなった人はもはや人ではない「偽の人」だ。

「リー起きて、七時だよ。」

 母さんだ。リーは僕の名前だ。リオのリを取ってリーらしいが誰がそんなこと言い初めたかは知らない。

 また朝か、また夜が終わってしまった。朝は嫌いだ。朝は、夜に溜め込んだ憂鬱な心が少しずつ消えていってしまう。そして「この世界はきれいだ」と洗脳され、その洗脳を受け入れてしまうこともある。なにより学校という名の洗脳地獄に行かなくてはならない。逆に夜は好きだ、憂鬱な心が溜まっていき、この世界は醜く、汚いと正しく感じられ、洗脳がとけてゆく。朝は気持ちいいと言う人がいるが、それは生まれてから、大人の言うことをすべて聞き、それが正しく、美しいことだと一つも自分で考えず、疑わずに、洗脳を常に受け入れている人間。つまり、「偽の人」が言うことだ。と、考えている内に、二度寝した。母さんに起こされ、急いで支度をし、地獄に向かう。すこし行くと、ピーと会った。ピーは、今まで見た人の中で四番目に目が細いような。背も、今まで見た人の中で六番目に低いような。つまり、どこにでもいるようなやつだ。よく学校を休み、気が付くと横にいる。長年一緒にいる腐れ縁だとか、これからの一生の相棒だとか、そんなキラキラした仲ではない。たんぽぽの綿毛のように、なにもしなければそこにあり、風や息を吹けば、飛んで行くような仲だ。ピーは、ある程度のことを言えば、ある程度の反論が返ってくる。要するに、暇つぶしに詭弁や、屁理屈を言い合うのにちょうどいい話し相手だ。

 そんなようなことを話していると、学校についてしまった。一時間目の準備をしていると、一人の男子生徒が前へ出た。正義くんだ。正義くんは胸を張り、うるさいくらいの声で言った。

「今日もいい朝だ。清々しい、雲一つない快晴だ。今日も一日元気に行こう。」

吐き気がする。正義くんは、世界が美しいと本気で信じ、目の前の人だけでなく、目に映る人、物、全てを守り、助けようとするような、名前とはまったく逆の性格だ。僕の一番苦手な性格だ。

 一時間目は数学だ。数学は得意な方だが、全体的に学校の勉強は苦手で、大嫌いだ。だから、授業中は大体、本を読んだり、絵を描いたりしている。あとは寝ていて怒られる。授業がつまらなく、退屈で意味のないことだから、寝てしまうのだと思うが、口に出すともっと面倒になるから言わない。今日は、文化祭の予定を立てて時間を潰した。そう明日は、三日間の文化祭の初日だ。そして、僕の文化祭の予定を話そう。ちなみに、これは僕の心の中の声のようなものだ。初めは、三日間すべてを休んでやろうと思ったがそれはさすがに不自然だと思いやめた。まず初日は、体育館で十近くあるグループの、ダンスやバンド、演劇などの見せ物が続く。その間は、本を読んで過ごし、それが終わると昼休みだ。午後からは、各クラスや部活で一つの教室を使い、店やお化け屋敷などをするための最終準備だ。大まかな準備は昨日にみんながやっていたので、たいしたことはしないだろう。帰っても迷惑ではないはずだ。体調が悪いと言って、早退しよう。我ながらいい予定だ。と、一日目の予定を立て終えると、チャイムが鳴った。二日目、三日目の予定を立てて、気が付くともう三時間目が終わりそうだ。残り十分、本を読み始めた。今読んでいる本は、『人間椅子』。大好きな江戸川乱歩の作品だ。短編集の中の一つを読んでいる。本を読むのに十分は短すぎた。体感では、三十秒ほどしか経っていない。僕の人生も、こんなようにあっさり終わってしまうのだろう。僕は四、五十で死にたい。どこか一人で、ため息をつきながら。ゆっくりと。今十五だから、あと三十年くらいか。十分が体感で三十秒ならば、三十年は体感二年ほどか、すぐに終わる。すぐに楽になる。ならばそれまでは、せめてもの足掻きをしよう。

 などと自分に溺れていると、いつの間にか夢の中に入っていた。途中、四時間目始まりのチャイムが夢の邪魔をしてきたがお構いなしに夢を楽しんだ。いや、苦しんだ。夢とは、生きている中で一番現実から遠く離れられる時間なのだから、せっかくなら、自分の楽しい夢にしてほしいのだが、そうはいかなかった。その夢では、僕と正義くんが仲良く勉強を教え合っている。いや、一方的に教えられている夢だ。ただでさえ、勉強が嫌いなのに、よりによって正義くんに教えられている。しかも仲良くだ。そんな日には、自殺したほうがましだ。これは、負けず嫌いでプライド高いリーには、「さあどうぞ、イライラしてください」と、この夢を作ったやつからのメッセージが大きく伝わる。おそらくそのやつは、正義くんの次に嫌いだ。そして、その大きなメッセージの影に隠れて気が付くのに時間がかかったが、そこに僕と正義くんだけで、ピーがいなかったが、まあいい。

 そんな鳥肌が立つ夢から解放され目を開けると、視界の右端にピーがいる。では、真ん中には誰がいるか。そうだ、あまり見たくはないが視界の六割を占めるのは、紛れもなく正義くんだ。正夢か。正義くんの第一声によっては、自殺しなくてはならない。

「リーくん、授業中ずっと寝ていただろう。先生は気が付いていなかったが、寝ていては駄目だ。さっきの授業のノートだ。写して分からない所は僕が教えるよ。」

グレーゾーンだが、まだ死にたくないのでセーフとしよう。

「あ、ありがとう。」

僕は、有難迷惑だと言わんばかりの顔で答えた。

「うん。何か困ったことがあったら言ってくれ。」

笑いながら答えられた。これは負けた。直接、有難迷惑だと言っても、笑って「それでもするよ」などと言われていただろう。

「リーの負けだ。」

「そういえば居たなピー、あと勝手に人の心を読むな。」

「もう昼休みだ。どこで食べる。」

「いつもの場所でいいだろう。」

 いつもの場所とは、それほど大きくない中学校の唯一誰もいない場所、体育館だ。それも二階の四コートしかない卓球場だ。その日の話題は正義くんのことだった。

「正義くんいい人だったね。」

「どこがだ。あんなの有難迷惑だ。」

「その次だ。あんなに嫌そうな顔していたのに、正義くんは笑顔で答えたよ。あれは常人には出来ないね。」

「ああ、洗脳され切っている。あれは常人じゃない。」

「またその話か。」

しばらく沈黙が続いたが、それをピーが破った。

「知っているかい。あの噂。正義くんが、数学のテストで八十二点をとって泣いていたって噂。僕なんか四十五点だよ。」

「ふっ、いい様だ。」

と口では言ったが、洗脳され続けるのも苦があるのかと的外れなことをリーは思っていた。

「リーは何点だったの。」

「九十六点だ。」

「数学だけはすごいね。英語は。」

「・・・・・二十三点。」

昔から勉強は嫌いだったが、数学はある程度出来てはいた。が、社会や英語などの覚える科目は、点で駄目だった。それどころか、やろうともしなかった。「こんなの将来使わない。高校や大学に行くためだけの勉強だ」と、リーは思っていた。

 昼休みが終わり最後の授業だ。しかし、最後の授業は道徳だ。しかも、四人グループで話し合いと先生が言った。サボれない。しかも、しかも、正義くんと同じグループだ。

「はあ。」

大きなため息をついた。そこに突っかかって来たのは正義くんだ。

「そんなに大きなため息をつくと、どっと疲れが来るだろう。」

「ああ、誰かさんのせいでね。」

「そうか。では、その人に言っておいてくれ、人に迷惑をかけるなと。」

「今すぐにでも言おう。迷惑をかけないでくれ。」

「えっ。」

正義くんはすこし考えた。

「僕のことかい。」

「さあね。」

「僕がいつ迷惑をかけたのさ。」

「さあね。」

あとすこしで口喧嘩になる所だった。そこに雷が落ちた。

「おい。うるさいぞ。」

「ごめんなさい先生。すこし話が盛り上がりすぎてしまって。」

正義くんは、真っ先に声を上げた。うるさい原因が正義くんだと知ると、今にも破裂しそうだったマンリョウの実のような目が、黄ばんだ学校の壁のような、気の抜けた白色に変わった。なんだ正義かという顔で言った。

「なんだ、めずらしい。まあいい、気を付けろよ。」

「はい。」

教室はざわざわしだし、先生がまた叩きつける声で言った。すぐに教室は葬式と化した。先生は大きな声を出すときに、生徒のことを考えているのだろうか。ただ、なにも考えずに怒りをぶつけているだけではないのか。これは僕の考えだが、先生という生き物は、大体が大して社会を知っているわけでもないのに、お前は社会を知らないだの、社会を知れだの言い、体に固定観念を着て、常に自分は正しいのだという顔をして歩くものだと考える。ソクラテスという人を教えてやりたい。

 その道徳では「友達はどのくらいいた方がよいか」という問いを四人で話し合うという授業だった。四人グループだったが、ほぼ僕と正義くんとの一対一だった。正義くんは荒ついた心の棘を一息で落とし、話し合いの一言目を発した。

「友達は作れるだけ作ったほうがいい。たくさんだ。」

「なぜ。」

「ピーくんが司会役だね。じゃあ私は黙って聞いているね。」

僕は、この二人の対決を察し、すぐに司会役に回った一人の男がいたことに今気が付いた。

二つ目に喋ったのは、グループの最後の一人だ。名前は忘れたがどうせ「偽の人」だろう。黙って聞いていると言ったな。「偽の人」にしてはいい判断だと思う。

「ピー、いたのか。」

「ずっとね。で正義くん、それはなぜ。」

「それは、人脈が広い方が役に立つ。自分が困った時、助けてくれる人が多い。例えば自分がなにかを始めたい時、自分より詳しい人に話を聞けるかもしれない。それになにをするにも、大人数のほうが楽しいじゃないか。」

「確かに、多ければ多いほど楽しいね。」

黙って聞いているんじゃなかったのか。

「それに対し、リーの考えは。」

「僕は、友達は一人二人でいいだろう。」

「なぜ。」

「それは、友達は質だ。友達が多ければ多いほど、広く浅くになってしまう。それは、自分が重大な問題を抱えたときに困るだろう。例えば、家が火事になってしまい。」

「ちょっと待ってくれ。火事というのは、現実味がないんじゃないか。」

言い終える前に口を挟んできたのは正義くんだった。

「いや、十分にあり得る話だ。」

今のはピーだ。だがピーは、僕の味方をしているわけではない。終始、僕と正義くんの間だ。

「火事ならまあいいんじゃない。テレビでよくやってるし。」

こいつはよく分からない。

「では話しを続けよう。火事になり、寝る場所も金もなく、友達の家に泊めてもらうというとき。自分と相手が信頼し合っていないとできないことだ。正義くんの言った、自分がなにかを始めるとき、分からないことなど、今時情報源などいくらでもある。」

「だが調べるより、友達との会話の方

ほうが楽で、よりリアルな話しを聞けるだろう。」

「それは認めよう。だがそれだけだ。」

「それだけではない。第一、友達がたくさんいたほうが楽しい。例えば、明日から始まる文化祭とか。」

「いや、文化祭など楽しくない。」

「それは楽しかったという経験がないからだ。そうだ、明日リーくんとピーくんと僕で、一緒に回ろうよ。」

リーはその気の乗らない提案に腹が立ち、すこし大きな声で言った。

「そんなのごめんだ。第一君は、友達と呼べる仲の人などいるのか。」

リーは、その問いは自分を締め付ける問いだと気が付いたが、正義くんははっとした顔をして言った。この頃には、女子生徒は黙っていた。

「そりゃたくさんいるよ。例えば、リーくんやピーくんたちだって。」

「僕は友達だとは思ったことはない。ただのクラスメイトだ。」

正義くんは、リーが言い終わる前に席を立ち先生のもとへ歩いて言った。

「トイレ行ってきます。」

目からは、グラウンドに落ちているガラスの欠片が一粒だけ姿を現した。リーは言い過ぎたかと思っている所に追い打ちだ。

「言い過ぎだよ。」

「ああ、分かっている。後で、謝っておくよ。」

その時間、授業は残り五分ほどだったが、正義くんは帰ってこなかった。

 その日は、心に錆びついた爆弾を抱えながら帰り、爆発する前にすぐに寝た。

 次の日、正義くんのことを気にかけていたが、それどころではなかった。リーの目に写ったのは、彩られた校舎と、笑顔の満ち溢れた人。

「僕の目は、こんな薔薇色など受け付けていない。」

僕は自分を灰色に保つのに必死だった。

教室に入るとすぐに正義くんを探したが、そこにはいなかった。正義くんは、文化祭の役員であったから学校中を歩き回っているのだろう。

 九時ごろだったか、放送で勢いよく文化祭が始まった。僕とピーはすぐにいつもの場所へと行った。

「すごいね。文化祭。みんな楽しそうだ。」

「そうだな。」

いつもの場所へもう着くという時に、心臓を締め付ける声が聞こえた。正義くんだ。

「ちょっと待って。」

リーは振り返り、心を紛らわすように言った。

「正義くん、どうしたんだ。」

そうしてリーは罪から逃れようとした時、

「リー、駄目だよ。」

ピーは、本当に僕の心が読めるのではないかと思う。

「分かっているよ。昨日はすまなかった、正義くん。」

「いや、いいんだ。僕も熱くなってしまった。すまない。」

「で、どうしたんだい正義くん。」

ピーが言った。

「そうだ。昨日の提案、覚えているかい。まあ、嫌だと断ってもいいが、リーくん、本当に悪いと思っているなら付き合ってくれよ。」

「それを出すのはずるいぞ。」

「まあまあ、行こうかリー。」

ピーにも言われ、しょうがなく体育館に行った。ダンスや、バンド、演劇などを全て見たような見ていないような時、ピーは、

「楽しいかい、リー。」

と、正義くんに聞こえない声で言った。

「まあ、つまらなくはないか。」

「よかった。」

その時のピーの顔は素直に喜ぶ顔ではなかった。だが、そんなことを忘れるくらいに正義くんと回る文化祭は楽しいかったと、終わってから気が付いた。


 そこから卒業まで、正義くんとリーの薔薇色の学校生活が始まった。その頃のリーの中には、憂鬱な心や「なぜ」という問いなどは一つもなかっただろう。そしてピーもその心と一緒に消えていったのかもしれないが、リーはその問いを持つこともなかった。

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なぜ 橋本頼 @rai622

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