柊御前

奈々野圭

第1話

 人気のない山道を一人の若者が辺りを伺いながら走っている。


 若者の名は次郎。

 かつては武家の子であったのだが、当主が死んだ後に家は没落し、残された次郎はゴロツキを集めて道行く旅人に襲いかかって金目のものを奪い取るような輩になり果てていた。


 そんな次郎の乱暴狼藉を見かねた領主は討伐隊を結成し、次郎ら賊を蹴散らしにかかる。

というわけで、次郎は現在追われる身となったわけである。



 山道を走っていた次郎は開けた場所に出た。

そこには小さな畑と小屋があった。小屋といってもあばら家という訳ではなく、山奥にあるにしては随分と小綺麗な佇まいであった。


 次郎は物陰に隠れて怪訝そうにその小屋の様子を見ていると、中から一人の女が出てきた。

 その女も山奥で暮らしてるとは思えないような綺麗な身なりをしており、容貌も美しかった。


 次郎はしばらく観察していたが、小屋にはその女一人しか出てこない。どうやら一人暮らしのようだ。


 ―こんな辺鄙なところで一人暮らしとは、妙な女だ。もしかして山姥かもしれん―

 次郎の頭にこんな考えが浮かぶ。とはいえ次郎は疲れ切っていた。雨風凌げるところで休みたい。それにこの女なら何か食わせてくれるかもしれない。

 そう思い立った次郎は、その女の元へ向かうことにした。


 女は姿を現しこっちに向かってくる次郎を見ても別段驚き怪しむことはせず、ただにっこりと笑いかけた。


「おい、女!知らん野郎を目にしても逃げも隠れもせんとは。俺がお前を殺そうとしたらどうするつもりだったんだ」

 その様子に面食らった次郎は、女に怒鳴りつけた。


「あらあら、怖いわね。でも様子を見ると随分とお疲れのようだけど。あいにくこの辺りに泊まるところはないし、集落も遠いわ。じきにこのあたりも真っ暗になるし……そうだ、私の家に泊まっていかない?」

 女は次郎の怒鳴り声を気にするでもなく、次郎を家に招こうとした。


 なんでこの女は正体もわからん輩に対してこうも馴れ馴れしいんだ、警戒心が無さすぎるにも程がある、やはりこの女は山姥かもしれん―次郎はますます訝しんだ。


「もしかして私のことを山姥だと思って?嫌ねぇ、取って食ったりしないわよ。ただ、私あなたのことが心配になっちゃって……行き倒れて、熊に食われたらそれこそ嫌よ」

 次郎の躊躇しているような様を見て、女はこう宣った。


 女は信頼を得たいのか、それともからかっているのか真意をわかりかねた次郎は不信感を募らせるが、日が陰ってきたし、また指摘してきた通り疲れ切っていたのは確かなので、女の言うことに従おうと決めた。


 家に入る途中、女が口を開いた。

「あ、そうそう。私は『女』じゃなくて『柊』っていうの」


 ―次郎としては長居をするつもりはなかった。ただ一晩泊めてもらうだけでよかった。でも幾夜も過ごす羽目になってしまった―

 次郎は幾度か出ようとしたものの、その度に柊が引き止めたためである。


 次郎は考えた。

 ―何故、柊は得体のしれない輩を長居させるのか、だいいち俺は賊なのだ、面倒に巻き込まれる前にとっととお偉いさんに引き渡した方がいいのではないか―


 何やら考え事をしている様子の次郎を見て、柊はこう切り出した。


「次郎さん、私は別に構いませんの。むしろ私としてはずっといて欲しいんですわ」


 柊は真剣な眼差しで次郎を見つめると、途端に笑いだした。


「それにあなた、次郎さんじゃないでしょう。だってあの夜、あんなに可愛らしい声を出してたのに」


 それを聞くなり次郎は、赤面した。事実、は次郎ではなかった。

 というのも、賊に身をやつした際、女と知られたら面倒なことになるのは目に見えていたので、男として生きることに決めたのだ。

 武家の出であったので心得があったのも幸いした。もっとも武術を身につけたのは、家を賊から守るためであったのだが。


 こういうわけで不本意にも柊と親密になり過ぎてしまったので出るに出られなくなった、というわけである。




「ちょっと出かけてきますね」


 いうなり柊は荷物をまとめて出ていった。

 柊は度々荷物を持って麓にある集落に向かうことがある。なんでも薬を煎じてそれを売っているのだそうだ。

 煎じ薬は評判のようで、成程住まいが人目につかぬところにあるにしてはまあまあ立派なわけだと次郎は感心した。


 それにしても一人で出かけるのは不用心ではないか、おまけに綺麗な女だ、自分のような賊に襲われてもおかしくないだろうに、次郎は柊が家を出る時に、自分が同行しようと申し出たのだが、断られてしまった。

 なんでも今まで一人でやってきたのだから大丈夫だ、次郎さんに迷惑をかけるわけにはいかないと。

 次郎としては、柊になにかあった方が迷惑なのだから同行させろと食い下がったが、柊の方も中々の強情であったので、ついには折れてしまった。


 なにゆえ柊は一人で出かけようとするのか、柊とはあけすけな関係になったと思っていたが、それは思い違いだったか。

 出会ったばかりならいざ知らず、今の次郎には不信感を抱くことさえ難しかった。とはいえ、どうしても気になる。そこで次郎も麓の集落へ向かうことにした。




 麓の集落にたどり着いた次郎は、柊を探すため、まずは住民に聞き込みを始めた。


 話を聞いていると、どうやらここでは最近若い女が失踪する事件が相次いでいるらしい。

 集落ではその事で持ち切りになってるようで、やれ賊の仕業だとか、もしかしたら鬼にやられたか、噂はあることないこと飛び交っていたが、早く何とかしなければここにいる娘が全員いなくなってしまうぞと震え慄いていた。


 次郎は嫌な考えが二つ頭に浮かんだ。賊か鬼かは知らんが、柊は若い女だ。このままでは柊が危ないぞ、と。

 次郎は急いで柊の元へ帰ることにした。もう一つの考えは頭から追い払おうと努めた。


―「ここは開けないでくださいね」


 柊は小屋のある一室の戸を指し示しながら次郎に伝える。


「いや、大層な部屋じゃないんだけど、いらない物はとりあえずここに置くことにしてるから、散らかってて恥ずかしいんですの」―


 帰ってきた次郎は小屋中を探しても柊がいないので、もしかしたら以前に聞いた『開かずの間』にいるのやもしれぬと思い至った。

 柊からは開けるなと言われたが、命がかかっているんだぞ、構うものかという思いの方が約束よりも強くなったので、意を決して開けることにした。




 『開かずの間』を開いた次郎の目に驚愕の光景が広がっていた。


 まず、畳は血がベッタリと染み込んでおり、どす黒くなっていた。

 白い土壁にも血しぶきが飛んでおり、むしろ血がついていないところを探す方が難しかった。


 そして柊はそこにいた。

 そこにいたのは柊だけではなかった。

 身体が食いちぎられ、血だらけになって横たわっている女もいた。

 その女は既に事切れてるようで、ピクりともしなかった。


 女に目を向けていた柊は、戸を開けた次郎の方を見る。柊は口から血を滴らせていた。


 それを見た次郎はふと、「山姥というものは人を誑かす妖術を使い、惑わせた後に人を食らう」というようなことを思い出した。


 とすると、今までのあれやこれやは自分を誑かして食らうためではなかったか。そう考えたら次郎の心の中は失望と怒りでいっぱいになった。


 次郎は持っていた刀を抜くと、次郎を見つめたきり動かない柊に向かって刀を振り下ろした。


 柊は抵抗するでもなく、その一撃を受け入れると、痛みで顔を歪めはしたものの、どうにかして次郎に向かって笑顔を向けようと努めた。




―「ねえ、次郎さん。いつまであなたはなの?」


「もういいだろう。俺はもうなのだ。俺には既に家はない。昔の名などに意味はない」


 そう問いかけるも素っ気なく返されてしまったので柊は膨れたが、気を取り直して次のような話を始めた。


「私は柊っていうけど、実は私、柊が嫌いなの。だって柊って刺々してて嫌なんですもの。親はなんで柊って名前なんかにしたのかしら」


 それを聞いた次郎は、「それはお前を鬼から守るためだろう。柊は鬼避けだからな」と答えると、柊は「さすがお武家さんの子ね。気の利いた答えだわ」と返した―




 柊と以前にこのようなやり取りをしたことを思い出した次郎は、微笑んだまま動かなくなった柊を目にすると、さっきまで怒り狂っていた心は悲しみでいっぱいになった。


 柊としては次郎を騙すつもりなど毛頭なく、ただそばにいたかっただけなのだろう。ただ次郎はそれを確認する術を失ってしまったのだ。


 悲しみに打ちのめされ、呆然と立ち尽くす次郎であったが、もう動かなくなった柊に向かって語りかける。


「柊。どういう経緯でお前が山姥になったのかは知らん。でも、お前一人だけ地獄に行くのは俺が許さん。俺も一緒に行くからそこで待っててくれ」


 次郎は柊の身体に齧り付いた。

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