第一章 解錠士(1)
焼けるような痛みで目が覚めた。
眼前に広がる空を眺め――間違えた。ここに空はない。
あるのはゴツゴツした岩肌ばかりだ。
「ぐっ!」
起き上がろうとした瞬間、激痛が走る。
その痛みが、俺にこの薄気味悪いダンジョンで仲間から置き去りにされたという忘れたい事実を思い出させた。
「ミルフィ……」
力なく呟く。
あのミルフィが……リーダーのレックスと深い仲だったなんて……まったく気づかなかったな。
「……ここから出なくちゃ」
モンスターの大群から逃れることはできたが、まだ安堵することはできない。ここが危険なダンジョンの中であることに変わりはない。傷つき、弱っている俺を見過ごすほど、あいつらに慈悲の心はないからな。
痛みに耐えつつ、俺は立ち上がって出口を目指す。
……ただ、その目指す出口がどちらにあるのか分からない。
「行かなくちゃ……行かなくちゃ……」
意識を保つため、決意を何度も口にする。
しかし、その想いに体がついてこない。
やがて、自分の体を支えきれなくなった俺はその場に倒れ込む。
「くそっ……動いてくれよ……」
懇願するが、状況は何も変わらない。
最悪の未来が脳裏をよぎる中、俺は顔を上げた。
すると、信じられない光景が視界いっぱいに広がる。
「ち、地底湖……?」
ダンジョンに広がる湖。
こんなに大きくて綺麗なのに、全身を襲う強烈な痛みに気を取られていて目に入らなかったよ。
というか、このダンジョンに地底湖があったということすら知らなかった。いつ呼ばれてもいいようにマップは頭の中に叩き込んでいたつもりだったけど……もしかして、マップには記載されていない場所なのか?
「……とにかく行ってみよう」
神秘的な光景かつ歩き回ったせいで猛烈に喉が渇いていたってこともあり、俺は吸い込まれるように地底湖へと歩いていった。
地底湖の周辺は発光する苔が大量に発生しており、光り輝いていた。覗き込めば、湖底がハッキリと分かる。
「凄い透明度だな……」
こんな怪我さえなかったら、湖岸を歩いて周囲の様子を探るのだが、今はもう立っているのさえキツくなってきた。
「ぐぅ……」
疲労と痛みはピークを迎え、膝から崩れ落ちる。
荒れる呼吸にぼやける視界。
ダンジョン内を歩き続けていたはずなのに、汗をかくどころか凍えるような寒さを覚える。いよいよ本格的にまずいな、これ。
――俺はここまでなのか……。
「ミルフィ……」
死の間際となっても、俺の頭にはミルフィの笑顔が浮かんでいた。
――と。
「! あれは……」
薄れゆく意識の中で、俺は視線の先に光を見た。
それは周りの苔が発する光とは明らかに別物で、もっと神々しい輝きを放っている。
「な、なんだ……?」
俺は最後の力を振り絞って、その光を目指した。もしかしたら、あれが天国の入り口なんじゃないか、と考えながら。
たどり着いたそこには三つの宝箱があった。
「これ……まさか……三種の神器?」
レックスたちが探そうとしていた三種の神器がおさめられている宝箱なのかもしれない。
そう思って、開けようとするが――鍵がかかって開かない。
「そりゃそうか……こいつを開けるには相当ハイレベルの
宝箱や隠し扉の解錠を生業とする解錠士。うちのパーティーにもいるにはいたが、あの人が開けられるのは解錠レベル10まで。もしこれが本当に三種の神器ならば、少なく見積もっても解錠レベルは間違いなく三桁を超えるぞ。
「せっかく見つけたっていうのに――うん?」
ここまで来て、本当に運がない。
力尽きかけた俺の目に飛び込んできたのは――台座に置かれた小さな鍵だった。
「な、なんだ、この鍵……」
台座にもたれかかりながら、その鍵を手にする。よく見ると、その鍵には美しい女性の横顔が彫られていた。
「まるで女神だな……」
そう呟き、次に目に入ったのは三つの宝箱。
「まさか……」
いやいやいや。
そんな都合のいいことがあるものか。この宝箱みたいに、普通の鍵じゃなくて魔力による強固な施錠は、解錠士のみが使える解錠魔法しか効果がないのだ。
そう考えつつも、「もしかしたら」という淡い期待を抱いて鍵を手近な宝箱の鍵穴に差し込んで回してみると、「ガチャッ!」という音と確かな手応えがあった。
「! あ、開いた!?」
信じられない……こんなことってあるのか。
驚きつつ、中を覗くと――そこには赤色の宝石が埋め込まれたペンダントがあった。
「このペンダントは……」
その美しさに思わず手を触れた瞬間、ペンダントが眩い閃光を放つ。
「うおっ!?」
俺は咄嗟に目を伏せる。
しばらくしてゆっくりと目を開けた瞬間、自分の身に起きた異変に気づいた。
「け、怪我が治ってる!?」
歩くのさえ困難だったはずが、万全の状態にまで回復していたのだ。
ということは、このペンダントは回復アイテムってことか? しかも、あれだけのダメージが瞬時に全快って……もっと他に効果はあるのか。
「そ、そうだ! カタログで調べてみよう!」
俺はリュックの中にアイテムのカタログがあったことを思い出す。
カタログとは、手に入れたアイテムが市場でどれほどの価格で取引されているとか、希少価値とか、そういったアイテムの情報が手に入る物で、冒険者にとっては必需品と言っていい。
俺はカタログにそのペンダントをかざす。
そして、目を閉じると、意識を集中させた。
カタログから情報を得るには、微量の魔力を注ぐ必要があった。大量の情報を管理するため、こいつには魔法文字が使われており、それを呼び起こすためにも魔力は必須なのである。
しばらくすると、それまで白紙だったページに情報が書き込まれていった。
「いいぞ。これでこのアイテムの正体が分かる」
書き込まれた情報に目を通してみる。
それによると、
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
アイテム名 【天使の息吹】
希少度 【★★★★★★★★☆☆】
解錠レベル 【738】
平均相場価格【測定不能】
詳細 【身につけている者のあらゆる傷、病、状態異常を無条件で癒やす】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「!? な、なんだ、これ!?」
思わず叫んだ。
効力は俺の睨んだ通り。
だけど、その他の項目が――こんな表記……今まで見たことがない。
相場価格の測定不能については、過去十年間に一度もドロップしていないアイテムにのみ表記される。なので、稀に見ることがあるのだが、希少度★8っていうのは初めて見た。俺が見た過去最高のレア度は★5だが、それでもかなりの高額で取引されるアイテムだったぞ。
そのアイテムの価格を決定する決め手――解錠レベルの数値もおかしい。
三桁自体初めて見たが、500以上ともなると世界に百個とないはず。
それを、俺が手にしている……その事実に、思わず震えた。さらに、
「もしかしたら……他の宝箱にも……」
俺の目は残りふたつの宝箱へと向けられた。
レックスが仕入れてきた、出所不明の怪しい三種の神器の情報。
しかし……なるほど……この天使の息吹はそのひとつに数えても問題ないくらい超絶レアなアイテムだ。
本来、これほどの解錠レベルなら、
……でも、俺はこいつを開けられた。
その事実を認識した時、自然と目線は手にした小さな鍵へと向けられた。
「これのおかげか……?」
そうとしか考えられないけど、根本的な問題があった。
「……これってつまり、俺に解錠スキルがあるってことだよな」
どんなに万能な鍵を手にしたところで、解錠スキル持ちでなければ意味をなさない。解錠スキル持ちだけが、解錠士となれるのだ。
……いや、それにしたっておかしな話だ。俺が解錠スキル持ちとはいえ、いきなり三桁超えの、しかも500以上の宝箱を開けられるなんて聞いたことがない。
「こ、こっちも試してみるか」
少し恐怖を覚えながらも、次の宝箱へ手を伸ばす。
やっぱりすんなりと開いたな。よほど質のいい鍵ってことなのか?
それについては後々考えるとして、肝心の中身は――
「? 腕輪?」
小さな腕輪だった。手に取ってみた、次の瞬間、
「わっ!」
腕輪が光り、何もしていないのに左腕へと装着されていた。――でも、装着しているという感覚がない。
とりあえず、外れそうにないので腕につけたままカタログにかざしてみる。
すると、
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
アイテム名 【破邪の盾】
希少度 【★★★★★★★★★☆】
解錠レベル 【883】
平均相場価格【測定不能】
詳細 【魔法・物理による直接攻撃を無効化】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なあっ!?」
腕輪と思っていたのは盾だった。
……いや、驚くのはそこじゃなくて、こっちも数値がおかしすぎる!?
「じゃ、じゃあ、三つめは……」
もう訳が分からなくなって、勢いのままに最後の宝箱を解錠してみる。そこには立派な装飾が施された剣が入っていた。
「おぉ……いかにも高価って感じの剣だな」
見た目からして、先ほど手に入れたふたつのアイテムより高級な感じが伝わってくる。
早速手に取ってカタログにかざしてみた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
アイテム名 【龍声剣】
希少度 【★★★★★★★★★★】
解錠レベル 【926】
平均相場価格【測定不能】
詳細 【持ち主の魔力を大幅に増幅させ、全属性の魔法攻撃が使用可能になる】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「マ、マジか……」
最後にして最大級のアイテムが出てきた。
おいおいおいおい! 希少度★10とか初めて見たぞ!
龍声剣……こいつに関しては名前だけ聞いたことがあるけど、まさか実在していたなんて。
確か、魔法を発動させる時に龍の唸り声に似た音が出るって話だったけど……あとでちょっと試してみよう。
ともかく、これで三つ。
そのどれもが、三種の神器の名に恥じないアイテムばかりだ。
圧倒的な性能に呆然としていると、背後に気配を感じた。
慌てて振り返ると、地底湖の湖面が何やら泡立っている。
「なんだ?」と思って近づくと、突然大きな水柱が上がり、そこから現れたのは巨大なカニ型のモンスターであった。
……こいつは知っているぞ。
名前はアイアン・クラブ。
灰色をした鉄のように硬い甲羅に守られ、さらに四本のハサミはそれぞれ巨岩をバラバラにできるくらいのパワーがある。
「う、うおぉ……」
思わず足が震える。
剣術の鍛錬は毎日欠かさず行ってきたが、モンスターを相手にする実戦はこれが初めてだった。本来ならば、回れ右をしてここから逃げだすところ――でも、今の俺には戦える力がある。
「……三種の神器……こいつの力を試すには絶好の機会か」
天使の息吹。
破邪の盾。
龍声剣。
この三つが揃えば、俺でも戦えるって気がしてくる。それに、きっとこいつクラスのモンスターはこの辺りにはゴロゴロいるのだろう。つまり、目の前にいるアイアン・クラブを倒せないってことは……ここから生きては帰れないってことに直結する。
「………」
龍声剣を握る手に力がこもる。
深呼吸を挟んでから、俺はモンスターを睨みつける。
「いくぞ!」
こんなところで死んでたまるか。
必ず生きて脱出してやる。
「シュルルル……」
アイアン・クラブの硬い甲羅には、普通の剣や斧じゃ歯が立たない。討伐の基本は魔法攻撃になるのだけど――って、考えていたら、敵のハサミが真っ直ぐ俺へと振り下ろされた。
「速っ――」
言葉を発するよりも先に、俺はハサミにぶつけるような形で左腕を突きだす。
次の瞬間、「ガン!」という音と共に、アイアン・クラブのハサミ(右手)がクルクルと宙を舞った。
「うおっ!?」
あれだけデカい腕をめちゃくちゃなスピードで振り下ろしてきたが、三種の神器のひとつである破邪の盾がそれを防ぐ。銀色をした腕輪の形状から、一瞬にして魔力をまとう巨大な盾に姿を変えると、あっさりとハサミを弾き飛ばしたのだ。
向こうも何が起きたか分かっていないらしく、突然消えた自分のハサミを捜してウロチョロしている。
こちらには一切目を向けていない……こんな小さな相手に負けるはずがないって感じだな。
その余裕……後悔させてやるさ――龍声剣の魔法攻撃で!
「はあぁ!」
俺はこれまでほとんど使ったことのない魔力を龍声剣へ集める。剣術は指南書を参考にしていたが、魔法絡みの特訓はミルフィとやっていた。あの時の鍛錬が、ようやく実を結ぶってわけだ。
魔力を注いでいるうちに、龍声剣の色が変わっていく。
「これなら……」
龍声剣がまとう魔力の強大さに「やれる」と自信を抱いた俺だが、ここでようやくアイアン・クラブがこちらに気づく。三本になったハサミのすべてをこちらへ向けて襲い掛かってきた。
――気づくのが遅かったな。
俺の魔力はその属性を雷に変える。全属性の魔法が使えるようになる龍声剣ならではの戦い方だ。
「いけぇ!」
龍声剣から放たれた魔力はすぐにその姿を雷に変え、その雷は矢のように鋭く伸びてアイアン・クラブの頑丈な甲羅を貫いた。
「っっっ!?」
このような形で反撃してくるのは想定外だったのか、アイアン・クラブはまともに雷魔法を受け、そのまま地響きを立てて仰向けになるとピクピクと痙攣しながら口から泡を吹きだした。
「はあ、はあ、はあ……」
さっきよりも息が荒れている。それは疲労からくるものではない。
「……やった?」
動かなくなったアイアン・クラブを見て、俺はボソッと呟いた。
信じられない。
俺がたったひとりで、あんなデカいモンスターを倒したのか?
「は、はは、ははは……」
自然と笑いが込み上げてきた。
モンスターを倒した実感がようやく湧いてきて、そのうち涙まで出てきた。達成感もそうだけど、助かったっていう安堵感もあったのだろう。
いろんな感情が溢れてきて、訳が分からなくなってきた頃、遠くの方から話し声が聞こえてきた。
「おいおい! 先客がいるぞ!」
「嘘っ!? なんで!?」
「はあ!? マジかよ!」
「あの情報をどこかで聞きつけたヤツがいるとはな」
「計算外ですね」
男女入り交じった複数の声がすると認識した直後、視界がぼやけ始めた。まるで体が浮き上がるような気分だ。
「なんてこった! まだ子どもじゃないか!」
「どうやってここまで来たんだ!?」
「まずい! 意識を失いかけているぞ!」
俺を見るなり、慌てた様子で駆け寄る男たち。
どうやら冒険者パーティーらしい。
「た、助かった……」
そう思った矢先、俺は安堵のためか意識を失った。
――三種の神器を装備したままで。
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