黒色アンカー

桜乃

第1話

 遠くが赤く染まり始めた快晴の下で、空砲の甲高い音がこだまする。

 客席で声を上げるクラスメイトや、そんな私達を囲むように見守る保護者に注目されながら、私は最交尾の列に並ぶ。

「それでは、本日の運動会最後の種目。陸上クラブによる千メートルリレーを始めたいと思います。客席の皆さんは選手に応援をお願いします」

 きっと、最後の種目だからだろう。やや声の調子がさっきよりよくなったアナウンスが流れると、会場のボルテージが沸点に達っした。

 それと同時に、私の緊張もぐんっと限界に達しってしまった。

 心臓が高鳴って、だんだんと痛くなってくる。でも、これが最後なのだ.........。

 .........最後の運動会なのだ。

 だから、結果はどうであれ、私は全力でこのリレーを完走しなければならない。

「まきちゃん、頑張ろうね」

 隣にいた、友達のみきちゃんが可愛い笑顔で私を励ます。

 だから私は、彼女とは違って、不器用な笑顔をつくってこくりと頷いた。

「いちについて.........!」

 前の方から先生の声が聞こえた。

 声援で声をかき消されないように、叫んでいるのだろう。声が掠れていた。

 そして、最前列の子達はクラウチングの姿勢をとってから.........。

「よーい.........」

 この空間に馴染む発砲音を聞いて、最前列の子達は地面を勢いよく蹴り、全力で走り始める。

 あの子達の必死に走る姿を見ると、私の緊張はみるみる上がってきてしまう。少し吐き気もするし、変な汗が額をつたった。

 熱でもあるんじゃないだろうか。

 そう思わせる程だった。

 誰かにこんな姿を見られないように、私が数歩後ろにさがると、やはりというべきか、みきちゃんは震える私を見逃してはくれなかった。

「どうしたの、まきちゃん」

「う、ううん、なんでもない」

 そう。きっと、緊張しているのはみきちゃんだって同じだ。たかが小学校のクラブ。だけど、一緒に陸上を続けてきた仲だ。彼女の気持ちくらい私にだって分かるし、普通、こんなみんなから見られてるというのに、緊張しないはずがない。

 だから私は平生を装って、みきちゃんに余計な心配をかけたくないと、首を振った。

 それでもみきちゃんは私を見て離さなかった。まるで、全力で走っている仲間より、私の方が大事みたいな事を言われているようで、ちょっと居心地が悪かった。

「もしかして、緊張してる?」

「.........え」

 真剣な眼差しをしていたみきちゃんから飛んできた言葉は、呆気なく私の確信をついたものだった。思わず目を見開いてしまった。

「緊張なんて、してないよ.........」

「え、でも、顔真っ青だし、汗だらだらだよ?」

 直後、彼女の冷たい手が私のおでこに貼りついた。

「うーん、熱はないみたいだし。アンカーなんて、適当に走ればいいんだよ」

「適当、て.........」

 貼りついた彼女の手をどかして、私は口を開く。ばくばく鳴る心臓を必死で抑えるようにしながら。

「みんな、アンカーに責任なすりつけすぎだよねぇ。リレーの試合で負けたのは、最後の奴が遅かったせいだなんて言う人もいるけど、絶対違うとは言い切れないけど、少なくとも、団体戦なんだから誰のせいとか、そういうのないと私は思ってるよ」

 私を見るみきちゃんの言葉は、緊張に溺れる私を救おうとするものだと察しがつく。

 それでも私は、そんなことはどうでもよかった。

 私が気になったのはそうじゃなくて。

「みきちゃんは緊張しないの?」

 素直に、気持ちに従って気になる事を聞いた。するとみきちゃんは、やっぱり可愛い笑顔で。

「だから言ったじゃーん。責任なんてないと思ってるから、緊張しないよ。少なくとも私はね」

 楽しそうだった。

 心臓が飛び出しそうで、変な汗を吹き出している私とは別の世界に住んでいる人間。

 彼女をみてそんなことさえ思えてしまった。

「ほら、行くよ」

「て、うわっ!」

 呆然としている私の手をみきちゃんが引っ張って、私はコースという名の処刑台に立たされた。

 一直線に引かれた白線をみると、まるで地獄までの道のりを描かれているような気がして、余計に気持ち悪くなった。

 失敗したくない。

 だってこれが最後の運動会で私、いや、陸上クラブの最後の晴れ舞台だから。

 こんな些細なことでも、きっと勝利のために努力してきた子だっている。その子のために必死で応援してきた親御さんだって見にきているはず。

 その子の生きてきた道を、アンカーが蔑ろにするなんて、やっぱり許されるはずがない。

 みきちゃんは団体戦だから気にしないなんて言ってたけど、それでもやっぱり、私から緊張が剥がれることはなかった。

 前走者が折り返しの地点に達したところで、私達はクラウチングの姿勢をとった。腰を下ろしたはずなのに、目眩までしてきた。

 いっそこのまま、仮病でもしてやろうかなんて考えた私は愚かだ。

 それこそ、色んな人の注意を集めると同時に、迷惑だ。

 だから不安に耐えきれなくなった私は隣を見た。同じ姿勢になって、向こうの友達と楽しそうに話しているみきちゃんがいた。

 友達も楽しそうに頬を緩ませていた。

 まったくと言っていいほど、緊張していないようだった。

 そんな二人を見て、私は不安とともに、どこか怒りの灯火が焚くのを感じた。

「お、私のチーム一等賞じゃん。ラッキー!」

 後ろを振り向いたらしくみきちゃんはそう言って、バトンを受け取った後、私を置いて全速力で走って行った。

 続く彼女の友達も、軽い身のこなしで走っていく。

(なんでそんなに楽しそうにしてるんだよ.........)

 俯く私、のチームはというと.........ビリだった。それも、前のチームよりかなりの出遅れをとっていた。巻き返しは絶望的だった。

「ご、ごめんよ、一宮さん.........」

 少しぽっちゃりとした寺原さんが、必死に走った努力の水滴を頭から流しながら、苦し紛れに私に謝りつつ、真っ黒のバトンを渡してきた。

「大丈夫、行ってくるね」

 寺原さんにそれだけ言い残しつつ、私も全力で走る。

 正直、なんにも大丈夫じゃなかった。

 最後尾を全力で走るアンカーの私に向けられた声援はもはや、毒針だった。

 笑い、そして、いい加減な声音.........。

 どれも高鳴って痛い心臓に、容赦なく、ぐさぐさ突き刺さる。

 陽気なアナウンスの子が、最後尾のチーム頑張ってくださいなんてマイク越しに叫ぶ。

(だから、なんでそんなに楽しそうなんだよ.........)

 もう、周りは見たくなかった。

 だから、前だけをひたすら向く。

 痛い。怖い。辛い。

 ただそれだけ。全力でコーナーを曲がる。曲がりたいのに思うように曲がれない感触が、更に私の神経を逆撫でしてきた。

 アンカーは一般走者より一周多く走らなくてはならない。

 私が一周目の折り返しにたどり着いた地点で、みきちゃんは二周目に突入していた。

「くっそ.........」

 彼女より一生懸命に走っている。

 彼女より辛い思いをして走っている。

 彼女よりチームの事を考えて走っている。

 それなのに。それなのに、みきちゃんに向けられた声援は私よりよっぽど真面目で、本気で、みんなが期待していた。

 結局みんな、人気者にしか興味ないんだ。

「あぁ、みんな消えてしまえばいいいのに.........」

 二周目に入る手前、私が俯きながら言った。

 この真っ黒な世界を全力で走った。

 しばらく経ってようやく、私はゴールのテープをお腹できった。

 ゴールした。長い長い地獄を、私は完走し切った。

「寺原さん、やったよ! 私、一位になったよ!」

 黒いバトンを高く突き上げて、私は盛大に叫んだ。アナウンスの子より、甲高く。ギャラリーより楽しそうに、叫んだ。

 それでも、私を讃える声は聞こえなかった。

 夕焼けに染まる空の下には、私以外誰もいなかった。

 

 

 

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