やっぱりだめだ、これ

 しばらくしてやってきたのは紗綾も知っている牛島警部補だった。牛島警部補は歳も若く向上心に燃える人物なのだが、以前一度紗綾と仕事をしたとき、その明察に恐れをなした。だから今ではもっぱら、事件で会えば、紗綾に師事する立場にあるのだ。そんな牛島警部補だから、紗綾がそこに居たことに大いに喜んだ。いや、それ以前に牛島警部補もいつもの紗綾を知っているから、まずその格好に驚いたのだが。

「瓦木君、どうしたんだいその格好は……、デートか何かかい?」

 出会って一言目がコレだからひどい。紗綾はへへっと笑うと首を振った。

「そんなんじゃありませんよ。友人にちょっとおめかししたらなんて言われて」

「ははぁ、それで遊びに来たら事件と。君もつくづく運が無いね」

 牛島警部補は笑うと捜査に取りかかった。

 死因は隼の推察通り毒殺だった。使用された毒は青酸カリということで、グループの机に置かれた紙コップが精査された。その結果「セベ」の飲んでいたウーロン茶に青酸カリが混入していたと分かったから、問題はその紙コップがどう配られたかという話になった。

 隣のグループの飲んでいた紙コップのウーロン茶は、無料で飲めるもので、このフロアの端にサーバーが置いてある。ここについた一行は靴を履き替えるとまずそこに飲み物を取りに行ったらしい。コップは機械に備え付けられていたから、警察ではまず無差別殺人を疑った。しかし、この機械はこのボーリング場に一つしかないから人がよく集まる。それに、毎日始業と終業に検査をする以外、コップの充填部分には鍵を掛けているから、毒付きのコップを入れるのはそう容易なことではない。

 そこで捜査は高校生グループの方に移った。この四人は同じ学校に通う一年生で、クラスも同じであった。よくボーリングに来ていたそうで、グループの中心は「トシヤ」であった。さすがに相手が高校生であることから、取り調べと言ってもごく簡単なものしか行われなかった。

 三人への聴き取りの結果分かったことは、この飲み物を運んだのは「ユースケ」と「リュウ」だということだった。当然、その時のことを「ユースケ」と「リュウ」は詳しく質問されたのだが、返答は芳しいモノではなかった。そもそもどのコップが誰に行きわたるかはわからないし、自分も間違えて「トシヤ」のを飲んでしまったことがある、と「リュウ」は答えた。「ユースケ」もそれを認める証言をした。

 かくして捜査は振出しに戻ってしまった。やはり何者かが紙コップに青酸カリを塗って機械に挿入したのだろうか。そして偶然にもこのグループがそれを引き当て、「セベ」は運悪く命を落としたのだろうか。牛島警部補はすっかり困った顔で椅子に座っている。足元には「セベ」の倒れた跡をなぞるように人型が描かれている。

「どう思うかい、瓦木君」

 紗綾に聴き取りの一部始終を話すと、牛島警部補は尋ねた。

「やっぱり、無差別殺人かな、これは」

「さぁ、まだ私には見当がつきかねますけど……」

 そう言いながらも紗綾は落ち着きがない。周りに人もいないのに何を気にしているのかあたりをきょろきょろと見回している。

「どうしたんだい、何か気になることでもあるのかい?」

「いや、そういうわけでは……」

 紗綾の返事に牛島警部補は首をかしげた。そろそろこの警部補も紗綾の調子がおかしいことに気がついたようである。

「無差別殺人だとしたら、コップを機械に入れるのが問題になりますね。どうやって他の人に気付かれずにそれを実行するか……。一番手っ取り早いのは従業員がやることでしょうか」

「だろうな、そうだとしたら、やっぱり給与や待遇に不満があったのかなぁ」

「調べてみるといいかもしれませんね」

「もしそうでなかったとしたらどういうことになるんでしょうか?」

「それは、あの四人の中に犯人がいたということでしょうね」

 今日ばかりは紗綾の返事も当たり前のものばかりである。牛島警部補はもう一度首をかしげると、ウンと頷いた。

「しかし、それだと犯人はあの三人の中にいるということになる……、しかしコップの見分けも飲み物の見分けも付かないとすると」

「犯人自身が間違って飲んでしまう可能性がありますね」

「ああ……、ん、いや、違う。ウーロン茶に口をつけなければいいんじゃないかい、犯人だけ。そうすれば自分で盛った毒を飲まずに済む」

 紗綾は牛島警部補の発想にアッと声をあげると彼の方を見直した。

「あらら。一本取られてしまいましたね」

 紗綾はそう言いながら笑って頭に手を当てた。舞達は階下に待たせているから髪をいじっても咎められることも無い。紗綾は思う存分髪をいじると、フゥと深く溜息をついた。

「もしそうなら、犯人は他の三人、誰が死んでもいいと思っていた……ということだな?」

「そういうことになりますね」

「だったら動機を見つけるのは簡単そうだな!」

 牛島警部補はそう言って勢いよく立ち上がると、すぐそこに居た部下を捕まえた。指示を出しているのだろう。紗綾はそれをぼんやりと眺めている。

 何かしっくりこないのだ。事件もそうだが、彼女自身にある違和感が先に立ってどこか落ち着けない。何か結べるものはないか……。そういえば、と、紗綾はバッグに髪留めを入れていたことを思い出した。それを取り出すとヨヨヨと髪を結んでようやく少し落ち着きを取り戻した。

 改めて現場を見回すと、それはごく普通のボーリングの風景であった。

「毒殺。無差別殺人。紙コップ……」

 紗綾はそう呟きながら立ち上がるとレーンの前に立ってみる。スコアボードは相変わらず「リュウ」のところに投球の表示があり、②と半分だけスコアが埋まっている。レーンの先に目をやるとピンがスプリットで二つ並んでいる。視線を戻すと台の上には十六ポンド球が一つ、十四ポンド球が二つ、十二ポンド球が一つ並んでいる。グループの使っていたものだろう。タップリと指紋検出の粉を掛けられたようで、白くくすんでいる。

「なんだ、そんなことか」

 紗綾のつぶやきは本人の思った以上にフロアに響いた。はっと口を押えてみるも、部下に指示を終えてた牛島警部補はすでに振り返って、どこかいぶかしそうに紗綾のことを見つめていた。

「どうしたんだい……瓦木君?」

「あ、いや、その……牛島さん、すみません。今すぐ調べてください」

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