視姦防止シール
遊眞
視姦防止シール
スマートフォンのあの、相手に向かって縦長の裏面を見せていかにも「今撮ってますよー」と言わんばかりの耳障りな音をカシャカシャ立てながら写す機能が今ひとつ好きになれない人は少数派なのだろうか。機能が嫌いというと語弊があるのかもしれない、一億総カメラ持ちの世の中にしてしまったあの機能を鬱陶しく感じる人は、少なくないのではないか。
遠い昭和の昔だって首にカメラをぶら下げて無頓着に撮り散らかす姿が新聞の風刺画になるほど海外では嘲笑と顰蹙の目が向けられていたというのに、あれから数十年経った今でも我々の本質は変わらないらしい。それほど日本人は写真好きで、しかもご丁寧に大人も子供も撮った写真を他人に見せたがる。曰く家族の、友人の、日常のどうでもいいような風景をだ。
身内や知り合いと共有するのは心情的に理解できるし、たまには偶然と才能に富んだ「おおっ」と声が出る奇跡の一枚もないことはないが、どうやらその奇跡を芸術性ではなく話題性、具体的には「いいね」の数で巷は競っているらしく、時には何の関係もない不特定多数に向かって「おいおいこんなん載っけて大丈夫かよ」なんて——それは単に艶かしい姿態に限らず例えば明らかに御社の守秘義務に違反しているのではありませんか? と心配になるような写真を次々にアップしまくるタイトロープダンサーも後を絶たないこの国で、その新製品は爆発的に売れた。
いわゆる「ウェアラブル・デバイス」の最先端を行く、視線を固定すれば自動で見ている風景を画像や動画で撮影するコンタクトレンズの製品名は
これが発売されてから画像系のSNSのアカウントと日々アップされるフォトの数が爆発的に増えた。やはり新しいものをすぐ使いこなすのは学生たちで、これまで以上にスマホでは間に合わないような街の一瞬をガンマンの早撃ちよろしく撮り抜く「アクションショット」を競う流れができたのは割と健全で、最初の頃は——一度だけ駅のホームから顔を出した誰かが電車に首を持っていかれた人身事故が起こったが、あれは目に
ここまで書けば誰にだって分かるし筆者にだって分かるのだが盗撮が馬鹿みたいに増えたのだ。まあこういうことをやるのは馬鹿なのだから仕方がないがサイバー犯罪の警戒網にぼろぼろぼろぼろ毎日のように引っかかる盗撮画像と、挙げても挙げても筍のように生えてくるアップローダーにいい加減嫌気が差したのだろうか、ついに
それは一辺が1センチほどの正三角形のシールだ。
メーカーが発表した名称は『
仕組みとしては簡単で、まず
それはもうびっくりするぐらい大音響で鳴らす。性犯罪防止なのだから当たり前だ。大音響だ。もう「ビイイイイイイイイイイイイッ」とそこらじゅうのマンションの窓から野次馬が顔を出すほどにはでかい音がする。目から。なんでコンタクトレンズにそんな爆音機能が付いているのかと言うと元々は落とした時に探し出すための機能なのだ。音が鳴るコンタクトは落としてもすぐ見つかります! というのもじつは
説明書には6ポイントほどの文字で「目に入れたまま鳴らさないでください」と書いてあるのだ。落とした時に探すためなのだから当然なのだ。直径2センチにも満たないコンタクトレンズが大音響を放つのだから、それは夏場によく道端に落ちている突然生き返る蝉ほどには激しく振動する。目の中で。何度も書くが落とした時に探すための機能なのだから当然だ。目の中で鳴らしてはいけないのだ。それを逆手に取って盗撮の抑止に使おうと考えたメーカーも大概だが。
シールが
デバイスの発達に犠牲が付き物なのは世の常だがこのシールも例外ではなく至る所で事件を起こした。新聞を賑わせただけでも例えば電車待ちの女子高生が太腿の際どい場所に貼ったこれを「もうちょっと下かなあ」と無防備にホームでちらと短いスカートの裾を捲って位置を直しただけでサラリーマン達が一斉に「ビイイッ」「ビイイイイッ」「ビビイイイッ」「ぎゃあああああ」「うぎゃあああ」と十数人まとめて目を押さえて転げ回った『新橋事件』は通勤通学の数万人の足に影響を与えた。僅か2秒で太腿から視線を逸らすのは
事態を重く見た政府が速やかに「運転中の
猥褻物陳列罪である。昔で云う、今でも云うのだろうか「ストリーキング」という奴である。なんと几帳面にマスクだけはしている全裸の男性は中肉中背でやや筋肉質で、正確に言うと全裸ではなく身体のあちこちに視姦防止シールを貼っていた、いややはり全裸か。特にご丁寧に両胸の突起を囲むように正三角形の一角を綺麗に真円を描いて貼り付けた様は切り絵で作った花のようで、それは引き締まった臀部の両面も同じであった。日中の歩行者天国を一気に走り抜けた彼を写そうと凝視した、すでに本能で動いたとも言える数百人が次々に目から「ビイイイイッ」「ビイイイイッ」「ビイイイイッ」と爆音を鳴らしてぎゃあぎゃあ悲鳴をあげて転げ回る様にどんな快感を得たのか不明だが立派に勃起していた彼の逸物にも冬籠りするてんとう虫のようにびっしりと多数のシールが貼り付けられて、時に人だかりのある場所で止まって「ぬうっ」とポーズを取るのにまたしても脊髄反射的に注視する。2秒。ぎゃああああああ。と。だから無理なのだ。人間とは異常な光景には2秒ごとき固まってしまうのだ。
残念だったのは彼がマスクをしていたせいですぐ息が上がってしまい、易々と警官に取り押さえられたことだ。連行された彼の萎えた逸物は当然のごとく縮んで居場所を失ったシールが古びた商店の壁で剥げかかった昔のポスターのようにふらふらと風に揺れて、いや振り子運動で揺れているのが祭りの後を物語っていた。
そんな事件があってやっと行政もストライクを取りにいったのか製造元に対して指導が入り新製品の『
道端で時折一緒に歩く男女の、女性の胸元がちらと見えたりすれば男性側から「ぴこんっ♡」と音がする。目から。別にハートマークは出ないがそんな音だ。すると隣の子が少し露わになった胸を押さえて「もうっ」とか言って隣を肘でつつくのだ。公衆の面前でおまえらふざけんなよと思うが巷では割と人気の新機能らしい。まあ中にはわざとちらちら見える程度に短い裾にシールを貼ってつい凝視してしまった男性陣の目から「ぴよぴよぴよぴよ」と可愛い音を出させてきゃっきゃと笑う茶目っ気のある子も増えたので世の中は少し平和になったようだ。
今もファストフード店の隣の席で「ぴこんっ♡」と音がしたので見れば向かい合った二人が互いに顔を伏せている。片方の子は耳まで真っ赤だ。ていうか。君ら男同士じゃないか。いいけど。いい時代になったもんだ。
◆
「そんなに顔を伏せなくてもいい。周りに見咎められるだろ」
マグカップのコーヒーをゆっくり揺らしながら男が言う。対面の青年がぼそっと答えた。
「ちゃんと音しましたよね? これで証明できました?」
「いいだろう。間違いなく私の
男の言葉にいよいよ顔を伏せた青年の耳が真っ赤だ。
「……約束守ってくださいね」
「もちろん。こんな高性能の盗撮機器を民間の企業が開発するなんて、本当にこの国は脇が甘い。教授の論文、撮影よろしく」
青年が頷き、男が薄く笑った。
「いい時代になったものだ」
——視姦防止シール 了——
視姦防止シール 遊眞 @hiyokomura
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