34 悲しみの涙のワケ

 爆睡していたマサキだったが、ネージュのすすり泣きが聞こえて目を覚ました。

 意識の覚醒までは時間がかかる。マサキは夢なのか現実なのかわからない狭間にいる。そんな状態の中、なぜネージュが泣いているのかを思考する。

 しかしマサキは思考するよりも先に体が動いていた。肩を落とし落胆しているネージュの後ろ姿を目にしたからだ。その姿を見た瞬間、体が勝手に動いたのである。

 マサキはネージュの横に座り声をかけた。


「ネ、ネージュ……」


「ぅぅ……マサキさん……マサキさん……」


「ど、どうしたんだよ。な、なんで……」


「ぁぅ……」


 ネージュはマサキのジャージを引っ張り乱暴に涙と鼻水を拭き取った。拭き切れていない涙が垂れて雪のように白い頬を伝う。そのままマサキに抱き付いた。


「うぅう……マサキさん……うぁああん……ぁあああっ……ぅう……」


 ネージュは泣いている理由を話さなかった。なのでマサキは抱き付いてきたネージュの頭を優しく撫でながら一度止めた思考を再開させる。


(なんで泣いてるんだよ……寝てたっぽいから怖い夢でも見たのかもしれない。でもこんなに泣いてるネージュは初めてだ。悪夢にうなされていたとしてもこんなに泣くか? だとしたら違う理由…………この場所で泣いていたのにヒントが隠されてるはず……)


 ネージュが泣いていた場所は布団から離れた場所。無人販売所と部屋の間にある壁の前だ。

 悪夢を見たのなら布団の中で泣くはずだ。なぜここで泣いているのだろうか。


(覗き穴で客と目があった? いや、ない。目が合わないように工夫して作ってあるし目が合ってもネージュなら怯えて震えるだけで泣いたりしない……それじゃなんでだ、なんでネージュは泣いてるんだ……)


 ネージュの頭を優しく撫でながら壁をくまなく見渡すマサキ。そして視線が止まった。マサキの黒瞳は料金箱を見ている。料金箱の異変に気が付いたのだ。


(料金箱のフタが……開いてる……ネージュは料金箱の中身を見て泣いてたってことか……部屋の中まで泥棒が入って盗んだってことはないはずだ。それなら売り上げが少なかったからか? ていうか今何時だ?)


 料金箱は壁に設置されており部屋しか中身を確認することができないようになっている。

 その料金箱の中身を確認して売り上げの少なさに泣いてしまったのだとマサキは推理した。

 その後マサキは首を左にひねり壁にかけてある丸時計を見て時間を確認する。


(やっぱりそうか。閉店時間が過ぎてる……寝過ぎた……まさかこんなに寝るだなんて。相当疲れてたんだな……って今はそんなことはどうでもいい。ネージュがこんなに泣くってどんだけ売り上げ少なかったんだよ。あんなに大行列だったのに誰も買ってくれなかったのか?)


 ネージュのそばを離れて料金箱に向かうマサキ。恐る恐る料金箱に手を伸ばし中身を確認する。

 マサキのそばから離れたくないネージュは立ち上がったマサキの足に抱き付いた。


(全商品五百ラビだから俺でも計算できるはず。銀貨と銅貨だけなら大丈夫なはずだ……えーっと……)


 料金箱の中には銀貨と銅貨が入っている。人差し指を使い銀貨が何枚で銅貨が何枚あるかを確認。そして計算を始める。

 電卓のような便利な道具はないので指を折りながら暗算をする。


(銀貨十四枚と銅貨七十枚かな…………合計一万四千ラビ? 合ってるかな? 計算が合ってるとして……一個五百ラビだから、えーっと……二十八個商品が売れたってことか?)


 マサキは居酒屋時代に鍛え上げられた暗算能力を使い料金箱の中の売り上げを正確に計算した。そして何個商品が売れたかまで暗算で計算することができたのだ。


(オープン初日のために必死になって二百五十個も商品を用意したけど二十八個しか売れてなくてショックで泣いてしまったってところかな……気持ちはわかる。ネージュは優しいし心がガラスのようにもろい。だからショックも大きいかったんだろうな……)


 推理を終わらせたマサキは、泣きながら足に抱き付いているネージュの頭を優しく撫でて声をかける。


「ネージュ、そんなに落ち込まないでよ。初めっから上手くなんかいかないからさ。少ししか売り上げがなかったけど一文無しだった俺たちからしたら一万四千ラビは結構な大金だぞ。それに残りの商品だって明日売れるかもしれないんだしさ。だからそんなに落ち込まないでくれよ」


「ぅぅ……ぁぅ……」


 しかしネージュはマサキの推理が間違っていると首を横に振った。首を横に振るついでに涙と鼻水をマサキのジャージで拭いている。

 そしてネージュは泣きながら指を差した。指を差した方向は壁だ。しかし壁には何もない。


「壁……?」


 ネージュが指したのは何もない壁ではない。壁の反対側だ。壁の反対側には無人販売所がある。そこに何かがあるはずだとマサキは気が付いた。


「無人販売所の方に何かがあるんだな……」


 こくんっと、ネージュは頷く。

 マサキは何かがある無人販売所の店内に向かうため足元で抱き付いているネージュから離れようとする。しかしどうしても離れたくないネージュはマサキの足からは離れない。

 仕方ないと思ったマサキはネージュを持ち上げてゆっくりと立たせた。その後、立ち上がったネージュの腰に手を当てて支えながら無人販売所の方へと歩き出す。


「店内に何があるだ……荒らされたとかか?」


 ネージュが泣いてしまうほどのことだ。どんな悲劇が待ち受けているのか。マサキは想像ができなかった。

 待ち受ける悲劇に緊張するマサキは心臓が激しく鼓動を鳴らす。

 重たい足は今すぐにでも止めたくなるほどだ。しかしマサキはネージュを泣かせた悲劇から目を逸らす訳には行かないのだった。


 無人販売所の店内に到着したマサキの黒瞳にネージュを泣かせた理由が映り込んだ。


「な、ない……なんで……なんで何もないんだ……」


 マサキの黒瞳は商品棚を見て衝撃を受けていた。

 無人販売所の商品として用意してあった二百五十個の商品が全く置かれていなかった。つまり売り切れ状態だ。もぬけの殻状態。

 しかし売り上げは二十八個分。暗算が得意なマサキは計算を間違えていない。間違えていたとしても二百五十個と二十八個だ。桁が違う。間違えようがない。

 となると考えられるのは一つ。


「……やっぱり荒らされた。盗まれたってことか?」


 売り上げと在庫の数が違ければ真っ先に『盗難』が浮かぶだろう。否、それ以外浮かばない。

 しかしマサキの想像はまたしても違った。なぜならマサキの腕を掴み悲しげな表情を浮かべるネージュが首を横に振っているからだ。

 盗難以外が理由なら何なのだろうか。マサキは必死に考える。しかしその答えにたどり着く前にネージュの口が開かれる。


「わ、私……営業が始まって少しの間は覗き穴からお客さんの様子を見てたんですよ……その時は皆さんきちんと精算してました……だから盗難ではないと思います……」


 鼻声で訴えるネージュ。兎人族はそんなことをしないと信じているのだ。


「で、でも何で商品がないんだよ。盗まれたとしか思えないんだけど……」


「いいえ。がない限り兎人族は絶対にそんなことしません。それは誓えます」


「でもさ、そのがある奴が来たんじゃないのか?」


 マサキは盗難以外にこの状況を説明できない。なのでにネージュの『盗難ではない』という意見に納得できなかったのだ。


「じゃあさ、ネージュはこの状況どう説明するんだ?」


 すでにネージュの中で答えがまとまっていたのだろう。ネージュは考える間も息つく間も無く、直ぐに答える。


「最初の方はしっかり精算されていましたが……途中から精算されなくなったんです……」


「ど、どういうことだよ……」


「皆さん……販売所を販売所だと勘違いしたんだと思います」


「む、無料販売所!?」


「兎人族にとっては未知の販売店です。販売形式が特殊で慣れてないせいでいつの間にか無料なんだと勘違いしてしまったんだと私は思います。そうじゃなきゃあの大行列の中、商品を盗むなんてできませんよ」


 兎人族にとって無人販売所は未知の販売店。販売所を販売所だと勘違いした客が商品をどんどん取っていってしまったのだとネージュは言う。

 そしてその考えに一理あるとマサキは思ってしまった。


「平和な世界だと思ってたけど……違かった。だったなんてな……平和ボケが過ぎるだろ……やっぱりネージュの言う通り兎人族がそんなことする訳ないよな……兎人族を信じるネージュの優しい心には感服したよ」


 荒らされた様子はない。商品棚は綺麗に空っぽ。そしてあの大行列。並ぶ全員の目が監視カメラのような役割を成す。そんな監視の目を掻い潜って商品を盗めるはずがない。

 マサキは異世界転移して六十六日。少ない日数だが自分の目で兎人族の里ガルドマンジェに住む兎人族を見てきた。

 人間不信のマサキでさえ『優しい』と思ってしまうほど兎人族は優しい。そして真っ当に生きている。争いや小競り合いなども見たことがない。悪さをする兎人族なんて一人もいない。

 だからこそ商品を盗んだりしないと思ってしまう。そしてネージュの言葉も信じてしまう。疑いたくないのだ。


「俺もネージュの意見を信じるよ」


「ぅぅ……マサキさんと一緒に……頑張って……やっと開店した無人販売……だったのに……私……私、悲しくて……ぅう……マサキさん頑張ってくれてたのに……ぅぅ……ぁぅ……マサキさん……マサキさん……ぅぅ……」


「……ネージュ」


 再び泣き出すネージュ。膝から崩れ落ちマサキの足に寄りかかる。

 涙の理由は『売り上げが少ない』ことでも『商品が勘違いで取られてしまった』ことでもない。『マサキが頑張ったのに報われなかった』ことだ。

 二人で頑張ってオープンさせた無人販売所だがネージュは一番にマサキのことを考えていた。だから報われず水の泡になってしまったことが悲しくて悔しくて涙を流していたのだ。


「な、何言ってんだよ。ネージュもがんばってただろ。俺なんかよりもがんばってた。二倍。いや、二十倍がんばってたよ…………ぅぅ……だから……泣くなって……」


 マサキの努力を知っているネージュ。その反面ネージュの努力もマサキは知っていた。だからこそマサキの頬にも光り輝く何かがつたった。

 ネージュの悲しみ色に塗られた心のパレットはマサキの心のパレットにも伝染。そして同じ色が塗られる。否、より一層濃い悲しみの色に仕上がり塗られた。

 涙が一粒溢れるたびに悲しみの色が広がっていく。どんどんどんどん濃くなっていく。

 不合理なことに悲しみはどんどんと膨れ上がっていくものなのだ。


「ぅう……ネージュ……ネージュ……ぅう……」


「ぁぅ……せっかく…………ぅぅぅ……せっかくがんばってくれたのに……マサキさん……ぁぁぅ……ぐっ……」


「うぐ……ぐぅ……」


 マサキも膝から崩れ落ち、ネージュと同じ視線の高さになる。そして互いに抱きしめ合った。無人販売所の商品棚の前で強く強く抱きしめ合う。


 今はたくさん泣いてもいい。涙が枯れるまで泣き続ければいい。きっと悲しみのパレットはきれいに洗い流されるはずだから。

 もしかしたら悲しみ色に染まったパレットは洗い流しきれずに悲しみの色が残るかもしれない。その時は別の明るい色をパレットに乗せてあげればいい。

 マサキとネージュ、二人だけの明るい色を乗せてあげればいいのだ。そしたらきっと何色にも増えていき悲しみの色も混ざった虹のように七色に輝く美しい色へと変わるはずだから。



 オープン初日、二百五十個の商品完売。しかし客の勘違いから売り上げは二十八個分のみ。

 無人販売所イースターパーティー改善の余地あり。

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