13 冒険者ギルド

 魔王も勇者もいない世界。冒険者の数は年々減ってきている。もはや冒険者はいないとまで言われているほどだ。

 それなのに冒険者ギルドという名前の役所があるのは三千年前、戦争が終結するもっと前からの名残りだろう。

 冒険者ギルドでは冒険者登録の代わりに戸籍や住民票の登録管理を行っている。ほかにも様々な行政事務を行う施設が冒険者ギルドなのだ。

 無人販売所を経営するのなら営業許可証などもここで発行手続きをしなければならない。


「冒険者ギルドねぇ。なんかワクワクする施設だな。男としての内に秘めた何かが湧き立つような感覚」


「マサキさん。名前は冒険者ギルドですが、ここはただの役所ですよ。ワクワクするようなところじゃないです。それにマサキさんは人間不信で臆病ですよね。すぐに魔獣に食べられてしまうので冒険者に向いてないですよ」


「し、辛辣すぎない?」


 ブラックハウジングのブラックに言われた通り、二人は冒険者ギルドの前に到着していた。もちろん入り口の前という意味ではない。建物の前ではあるが、正面にある大樹の裏に隠れている状態だ。

 そして二人は手を繋いだまま一度も離していない。それほどお互いが手を繋ぐ相手に安心しているのだ。


 冒険者ギルドの入り口と二人が隠れている大樹の間には髪の毛や髭がモジャモジャに生えた兎人族とじんぞくの銅像があった。


(というかあの銅像邪魔だな。なんなんだあの兎人族のじいさんは……)


 その銅像は冒険者ギルドの入り口を見ているマサキにとっては邪魔で仕方がないのだ。


「どうしますか? 役所に入れたとしても秘策の文章がないです。私たちは喋る事ができずに引き返すことになるかもしれませんよ」


「だよな。一旦家に帰るのもありだけど……」


「……けど?」


 一瞬マサキの手が震えかけたのをネージュは感じ取った。しかしその震えは一瞬だけ。繋がれたネージュの温かい手によって震える事がなくなったのだ。

 しかし一瞬でも震えてしまうような感覚におちいったのは確かだ。ここで引き返したら昨夜の覚悟を裏切ることになるのではないかとマサキは思考したのだ。

 だからこそマサキは家に帰らずにこのまま冒険者ギルドに入ろうとしている。それは単に好奇心というものもある。

 異世界に転移してわずか三日。異世界らしい施設に男心がくすぐられているのだった。


「行こう。冒険者ギルド。さっき少しだけだけどブラックさんと会話することができたし二人なら乗り越えられる……はずだ」


 会話などしていない。ただ感謝を告げただけだ。それでもマサキとネージュにとっては大きな一歩。

 そしてせっかくの機会だ。明日明日と引き伸ばしてしまうこと自体二人にとっては危険な行為に繋がってしまう恐れがある。

 だからこそ二人は冒険者ギルドに行くべきなのである。


「怯えて喋る事ができない。秘策の文章もない。でも冒険者ギルドが役所なら文字がそこら辺にビッシリだろ。伝えたい項目とか指差せばなんとか乗り切れると思う」


 マサキは繋いでいない方の左手で力強くガッツポーズをとった。ネージュはそんなマサキにため息を吐きながら呆れた様子で見ていた。


「マサキさん。文字読めないじゃないですか。それ全部私の役目になるんですけど……」


「あはは、そうだった。全力でサポートする」


 今度は歯を光らせてサムズアップ。その姿にネージュは先ほどよりも大きなため息を吐いた。

 しかし、ため息の直後「仕方ないですね」と言ってネージュも覚悟を決めた。

 二人は互いの顔を見つめ合い軽く引きつった笑顔をこぼしながら同時に一歩踏み出した。


 手を繋ぎながら一歩、また一歩、冒険者ギルドに近付く。手を繋いでいる時だけ不思議と周りの視線など気にならない。それほど繋がれた手から勇気が貰えるからだ。

 互いが互いを支え合い助け合う。ビジネスパートナーとして二人は相応しい。そしてカップルや夫婦としてもお似合いだろう。


「この扉の先が冒険者ギルド……」


「ただの役所ですからね。行きましょう」


「おう。頼りにしてるぜ。ネージュ」


「もう、調子がいいんですから……」


 軽くやりとりをしてから立ち止まっていた足を一歩踏み出す。その一歩で冒険者ギルドの自動ドアが開く。息の合った二人は同時に施設内に入ったのだ。


「う、うるさい。な、なんだこの音は……」


「うぅ……マサキさん。頭が割れそうです」


 冒険者ギルドに入った瞬間、二人を襲ったのは、業務に追われせっせと働く兎人族とじんぞくたちの環境音。そして冒険者ギルドに用事がある客の話し声だ。

 紙がめくれる音。ペンが走る音。電話の音。喋り声。せかせかと歩く音。そんな環境音が二人の脳を刺激する。


「はぁ〜、なんのご用件で? はぁ〜」


 頭を抑える二人の前に現れたのはフォーマルスーツ姿の女性の兎人族だ。

 低身長でネージュとは違い小さな茶色いウサ耳がちょこんと立っている。髪の色はウサ耳と同じで茶色い。肌のは褐色だ。

 そして一番の特徴は定期的に繰り返されるため息と目の下にできた黒いクマだろう。冒険者ギルドの様子から多忙な業務の日々を過ごしているのが見て取れる。


 垂れたウサ耳のネージュの血筋はロップイヤー。ブラックハウジングのブラックはフレミッシュジャイアント。そして低身長で小さなウサ耳の彼女はミニウサギの血筋だろう。


「はぁ〜、お熱いこと……お熱いこと。籍を入れに来たのね。はぁ〜、こっちよ。はぁ〜」


 手を繋いでいるのを見て婚姻届を提出しに来たのだと勘違いをする冒険者ギルドのスタッフ。

 そんなギルドスタッフに二人は慌てて訂正をする。


「あ、あ、あの、その、えーっと、その、その、えーっと、その……」


 ブラックハウジングの時よりは震えていないが頭は真っ白になり何を話していいか分からなくなっている。そして多忙な役所の環境音にかき消されるくらい声が小さくおどおどしている。

 その横でネージュはあわあわと体を動かして伝えようとするがなんのジェスチャーにもなっておらず伝わるわけもない。

 その二人の挙動不審な行動を見たギルドスタッフは婚姻届を提出しに来たのではないと気が付いた。しかし何をしに来たのかは全く伝わっておらずため息を吐きながら二人の言葉を待っていた。


「はぁ〜、早くしてよ。私忙しいんだから、はぁ〜」


「うう、あ、あぅ……その、あの……」


 頭が真っ白で言葉が出ないマサキを見てギルドスタッフは施設の案内表を渡した。これなら効率よく話が進むだろうと思ったのだ。

 この手の客の対処方法を知っていて手慣れている。まさに激務を早く終わらせようとする社畜の鏡だ。


 案内表の紙には冒険者ギルドのフロア図が描かれている。もちろんこの世界の言葉で表記されている。

 マサキはこの世界の言葉を読む事ができないのでネージュに案内表を任せた。

 しかしネージュは恥ずかしさと緊張のあまり挙動不審が止まらず、終始おどおどあわあわしっぱなしだ。これではせっかく渡してくれた案内表も意味がない。


 ネージュは案内表を見ずに手を繋いでいない方の右手でマサキのポケットを探り出した。


「はぁ〜、イチャイチャするのやめてよ。はぁ〜」


「こ、こ、こ、こ、こ、こ……ガクガクガクガクガクガク……」


 ネージュはマサキのポケットから取り出した四つ折りにされた白い紙をギルドスタッフに渡したのだ。

 その紙は先ほどブラックハウジングで使用したとっておきの秘策の紙だ。その秘策の紙にはネージュの手書きで物件探しについて書かれている。


(ナ、ナイスだネージュ。その紙はこの場面でも有効だ。これで俺たちの目的が伝わるはず……)


 マサキはネージュの転機をきかせた行動に思わず拍手を送りたくなった。

 しかし手を繋いでいて拍手する事ができない。否、手を繋いでいなかったとしてもこの場では拍手はできなかっただろう。どっちにしろ心の中でしか拍手できない。


「はぁ〜、これを読めばいいのね? はぁ〜、店舗を経営するための激安物件を探しています。安ければ安い方が良いです。はぁ〜、最初の月は家賃を払うことが困難なので翌月から返済していくそんな物件はありませんか? はぁ〜」


 息継ぎのようにため息を吐きながら内容を読むギルドスタッフ。

 そして今までで一番大きなため息を吐いて口を開いた。


「はぁ〜、うちのギルドにあるのは高級物件だけ。はぁ〜、安い物件ならブラックハウジングに行ったほうがいいよ。はぁ〜」


 その言葉に二人は失望し肩を落とした。これで冒険者ギルドへの用事は無くなった。二人はギルドスタッフに会釈をしてその場から離れようと入ってきた扉の方へと向かい歩き出した。

 寂しげな背中。遅い足取り。その姿を見たギルドスタッフは二人に向かって声をかける。


「はぁ〜、せっかく来たならギルドカードの更新してみたらどう? はぁ〜」


 仕事を増やすのも社畜の宿命なのだろう。これも仕事。仕方がないのだ。


 その言葉に二人は足を止めてひそひそと耳打ちを始めた。


「なぁ、ネージュ。ギルドカードってなんだ? 冒険しないのにそんなカード必要なのか?」


「これも戦争があった時代の名残ですよ。名前とか住所とか登録する、いわゆる身分を証明するカードです」


「なるほど。戸籍とか住民票みたいなもんか……」


 耳打ちをしている時はしっかりと喋れている二人。会話の相手が手を繋ぐパートナーならいつも通り自然に会話をする事が可能なのだ。

 はたから見れば怪しまれる光景だ。もしくはイチャイチャしているようにも見えるかもしれない。いずれにせよ怪しい。


「でも更新以前に俺ギルドカードなんて持ってないぞ。発行してもらわんとダメなのかな?」


「多分ですけど、無人販売所を経営するときに必要になるかと。せっかくですし作りましょうよ」


「そ、そうだな。今作らなきゃ一生作れない気がする。作るか……」


「私もおばあちゃんにやってもらってたので何年も更新してなかったです。一緒にやりましょう」


 交互に耳打ちを繰り返していた二人。マサキはギルドカードの申請。ネージュはギルドカードの更新をすることに決めた。

 二人だけの会話だと自然に話せていたが、耳打ちを辞めギルドスタッフに話しかけると一変する。


「ギ、ギギギギギ……か、カ、カカカカ、おおおおおねがい……」


 先ほどまで自然に会話していたとは思えないほどの怯えぶり。もはや震えすぎて何を言っているのか分からない。


「はぁ〜、そこの機械で更新できるからちゃちゃっと更新しちゃって。はぁ〜」


 それでは。と、手を振りながら元の業務に戻ろうとするギルドスタッフ。

 マサキは去ろうとするスタッフのフォーマルスーツの裾をとっさに掴み阻止した。


「はぁ〜、なんですか。はぁ〜、私は忙しいのですが。はぁ〜」


(やばい。咄嗟に掴んじまった。怒らせちゃったかな? どうしよう。絶対めんどくさいって思ってる。後でここのスタッフ全員にこのことを伝えて俺はこの里中から笑い者にされるんだ。そんで兎人族たちは俺に会うたび指差して笑うんだ……)


 焦ったマサキは嫌な想像を繰り返す。しかし首を思いっきり横に振り嫌な想像をかき消した。

 さらに首を横に振ったことで別のことをギルドスタッフに伝えている。それはギルドカードを持っていないというマサキなりの精一杯の表現だ。


「はぁ〜、もしかしてギルドカード持ってないとか? はぁ〜」


 伝わった。マサキの言いたい事が伝わった。これはマサキの思いが強かったからではない。ギルドスタッフの経験の賜物だろう。

 言いたい事が伝わりマサキは首を縦に大きく振った。


「はぁ〜、それじゃお客さんのギルドカード作るので、はぁ〜、番号札を持って奥の椅子で待ってて。はぁ〜」


 ギルドスタッフはマサキに番号札を渡し、施設の一番端にある木製の椅子を指差した。

 マサキのギルドカードを作るため二人は手を繋ぎながら歩く。周りの目を気にしながらも指定された木製の椅子へと向かっていくのだった。

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