1.最北の地にて

 女神暦990年 10月 

 ラステル村




 北の大国、アストリア王国から更に遠く離れた小さな村。名をラステル村という。

 最北の地とも呼ばれるこの村は10月頃にもなると早くも風は冷え込み、草木は霜に覆われる。


 この時期にもなると村の大人達は来たる冬に備えて忙しそうにしており、こころなしか疲れた顔をした者も多い。

 対して子供達は一面の銀世界に深い足跡をつけて無邪気に走り回っている。


 かくいう俺も野山を駆け回ったり、雪を投げつけたりして遊びたい年頃ではあるのだが。


「薪割り、飽きた……」


 クロム=ファルク、9歳。

 おとぎ話に憧れて鍛治師になろうとしている少年は今、地味な薪割り作業を眈々とこなしていた。


 無骨な斧を木材の中心目掛けて正確に振り下ろして半分にし、向きを変えてまたそれを半分にする。そんな一連の流れを繰り返して早一時間。

 流石に終わりの見えない反復作業に嫌気がさしてきてしまった。


「てか硬すぎるんだよなぁ。この木」


 冬場の薪は乾燥していくらか割りやすい、というのを本で読んだことがあるがあれは嘘だ。この土地に生える木は夏でも冬でも硬すぎる。


「うわ、もう刃こぼれしてるし。せめてもっと頑丈な斧があればな……」


 割と新品だったはずの斧には早くも刃こぼれが目立ち

始めていた。

 幸いラステル村の付近では木材や鉄などの資源が豊富に採れるので、こういった道具の生産には困らないが、やはり使い捨てを繰り返すのはどうも気が引ける。


「遠くの街なら良い斧が買えるかもしれないけど、それはそれでお金がかかるし……」


 ずっと南にある大きな国でなら良質な斧が買えそうだが、何せ頻繁に行ける距離ではない。加えて俺が自由に使えるお金も多くはない。

 家の手伝いで地道に貯金してはいるものの、今の全財産では斧を買うどころか国に到着する前に財布が底をつくだろう。

 どこかに都合良く切れ味が良くて頑丈な斧は落ちていないものか。


「はぁ……やっぱり諦めるしかないか」


 諦めて薪割りを再開しようと斧を握る。

 するとザクザクという雪を踏みしめる足音が背後からゆっくりと近づいてきた。


「ため息をつくと幸せが逃げちゃうわよ?」


「あ、母さん」


 やってきたのは母だった。

 名前はローラ=ファルク。

 雪のように白い肌と柔らかな笑顔が特徴的で、昔から村一番の美人と評されていたらしい。

 実際、父さんはその美しさに一目惚れして求婚してこの地に住み着いたんだとか。


「いつも手伝ってくれてありがとうね、クロム」


「気にしないで、父さんと姉さんはほら、魔術の勉強で忙しいし」


 少し照れ臭くなって顔を背けた。

 話は変わるが、俺には両親と二つ年上の姉がいる。

 至って普通の家族構成だが、ただ一点だけ他の家庭と明確に異なる点があった。


 それは魔術師の家系であるということ。

 父であるジンク=ファルクは元々大きな国に仕えていた魔術師で、ファルク家は何代にも渡って錬金術という分野を研究してきたらしい。

 ファルク家が使う錬金術は金属に命令を与える魔術だそうだが、難しいことはよく分からない。


 ともあれ現在は母のローラと結ばれ、ジンクは魔術師としての活動はしていない。

 今は魔術の勉強に意欲的な姉さんの頼みで日夜付きっきりで指導をしている。


「クロムは、やっぱり魔術に興味は無いの?」


「無い、というか……それ以上にやりたいことがあるというか……」


 もし俺が魔術を学びたいと言えば、父さんは喜んで教師役を買って出てくれるだろう。

 しかし今の自分にははっきりとやりたいことがある。

 幼い頃に抱いた夢、鍛治師になるという目的があり、今はそれだけに夢中になっていたい年頃なのだ。


「うん、今はいいかな。それより今日は土を取りに行くとか言ってなかった?」


「あ、いけない。お母さんすっかり忘れてた」


 基本的に母さんは多忙だ。家事をして、村の手伝いもして、余裕があれば魔術の勉強の手助けもしている。


 土、というのは魔術に使う土のことで、何に使うのかはさっぱり分からないが、普通の土よりもやや粘り気が強いものが役に立つらしい。


(うん、それならちょうどいい暇つぶしになりそうだ)


「母さん、俺が代わりに取ってくるよ。薪割りもちょっと飽きちゃったし」


 実際のところ、これ以上斧を振ったら腕がすっぽ抜けてしまいそうだった。それに、出来ることなら母さんの負担を少しでも減らしてやりたい。


 母さんは目を丸くしたかと思うと、しばらく「うーん」と唸りながら熟考し、やがて心配そうにこちらを見つめる。


「一人で平気?」


「もうすぐ俺も十才だよ?心配ないって」


 母さんは尚も不安そうだったが、一度やると言ったからには引き下がるつもりはない。

 結局、最後に折れたのは母さんだった。


「そうね〜、それならお願いしちゃおうかな。でも湖より先には行っちゃ駄目よ?あそこはお父さんの結界の外だから」


 結界。父さんがこの村に敷いた魔術的な防護壁だ。

 結界には魔物を退ける効果があるらしい。壁といっても目に見える訳では無く、魔力を感じ辛い人間からすると入っても出ても気づかないらしい。


「それに、この時期はホワイトウルフっていう怖い魔物が群れで狩りをしているの。子供なんか一口で食べられちゃうんだから」


「うん、分かった。なるべく寄り道しないで帰るよ」


 割ったばかりの薪と斧を倉庫に片付け、防寒具を着直す。

 目的地はそこまで遠くはないが北に向かう以上、風が更に冷たくなるのは明白だ。風邪はひきたくないし、なるべく身体は冷やさないようにしよう。


 そう思い、3分程で準備を済ませた俺は、いざ土の採れる北東の雪原に向かうべく足を進めた。

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