可惜夜のこたま

竹倉 翠雨

第1話 始まり

風が冷気を帯びて、木々の葉が落ちるこの時期が、昔から嫌いだ。段々と太陽は翳り、森は眠る準備をする。閑散としていく村が心許なくて、棚に並べた冬越するための道具の数々が不安を煽る。

 父さんしか、家族はいないのに。ここらの地域は貧しくて、暖かい時期ならまだしも冬の間は仕事がない。だから毎年、この時期になると7日かけて城下まで出稼ぎに行く。春が来るまで帰っては来ない。生きるために、稼がない訳にはいかないから仕方ない事ではあるけれど。それでも、この小さな我が家にたった1人で残るのは、恐ろしくてたまらなかった。

 「じゃあな、チェルカーレ。夜の森には出るなよ。人が来てもドアは開けるな。街まで買いに行くなら、金はあの壺の中だから。使っていいが無駄遣いは勘弁してくれ。それから……」

「わ、分かってるから!大丈夫だって。何年目だと思ってんだよ」

扉を開けてから立ち止まったままの父さんに、思わず苦笑がもれる。

 「いやでも……」

 「1人で冬ぐらい越せるし。父さんこそ気抜いてっと道端で野垂れ死ぬんじゃねーの」

 寂しくても、父さんに心配はかけたくない。だから、わざと俺は煽るように笑ってやった。強がっているのはバレていそうだが、分かった上でも乗ってくれるのが父さんだ。

 「父さんを舐めるなよ?3日で山越えして、仕事が始まるまでは宿でゆっくり昼寝してやるんだからな」

 ふんっと鼻息を立てて、胸を張る。いいだろうと言わんばかりに見下ろすものだから、こっちは見上げてニヤリと笑い返す。

 「おぉ、がんばれー?」

 「信じてねぇなーこの生意気小僧ー!」

 ガシガシと大きな手が頭を撫で回す。力の加減が分かってないから首が振られた拍子に、ぐぇと声が出る。

 「いてっ、ちょ、やめろって」

 後ろにのけぞって父さんの腕から逃げる。ボッサボサになった髪の毛を押さえながら口を尖らせると、ははっと笑われた。

俺の頭に改めてぽすんと手を置くと、少し父さんの眉が下がった。

 「じゃあ、またな」

 いつもの挨拶。ちょっと泣きそうになっているのを気づかなかった事にして、太い指を握る。

 「いってらっさい」

 俺が表情を緩めると、掌が離れて、頭の上を冷たい風が吹き抜ける。大きな荷物を背負った父さんが森の木々に隠れるまで、ずっと玄関で見送った。


 今日から、1人。

 バタンと立て付けの悪い扉を閉めて、鍵をかける。早くも心が折れそうになる静寂が……訪れなかった。

「トレ・フラスタレグァート・ノントカーレ、マ・カード・サングエフェルマーレ!」

誰⁈

突然聞こえた謎すぎる呪文に、心臓がバクバクと早鐘を打つ。

父さんはこの目で確かに見送った。今、鍵はかけた。朝起きた時に、父さんの他に、この家に他人はいなかった。そもそもこんな言葉喋る奴知らねーし‼︎

プチパニックで扉の前から動けないでいると、何故か鼻がむずっとする。

……鼻が……むず?

言葉通り、目と、鼻の先。俺の鼻をちょんちょん突っつく、指程の長さしかない小さな生物がいた。

宙に浮かんで、居た。

「あ、やっほ!」

奴が触れた鼻先が、ぞわりと粟立った。

「んぎゃぁぁあああ‼︎」

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