第23話 マイナス転じて、微妙にプラス、か……?

(1)


「……やってられないわ」


 ルードと揃って石化していると、ぽつり、ダフネが短く吐き捨てた。

 冷え切った声音が首筋に氷塊を押し当てられたようで、思わず撫でる。更に詰られるかと身構えたが、ダフネは唇を強く噛んで押し黙った。


 何か言わなければ──、しかし、どんな言葉をかけていいのか、咄嗟には思いつかず。むしろ下手な声掛けは逆効果にしかならない気もする。

 ダフネは何度も首を振り、うんざりとした顔で静かに扉へ向かっていく。


「明日明朝、クリケットの試合を欠場された皆さんと一緒に帰らせていただきますから。他の皆様には、ここにまつわるの噂に怖気づいてしまった、とでも伝えておいてくださいませ。普段の私のしおらしさなら誰もが信じるでしょうし」


 自分でしおらしいって言っちゃってるわ、この人……。

 でも聞き捨てならない点はそこじゃない。


「待ってください。私に貴女を傷つける気持ちは本当になかったんです」

「悪意がなければいいわけじゃありません。無自覚なのが一番質が悪いのよ。貴女がどうであろうと私自身が面白くないことには変わりないもの。あ、謝罪は結構です。謝罪されると逆に惨めな気分に陥ります」

「…………」

「ダフネ、その言い方はあんまりじゃ……」


 口を挟んできたルードを目線で抑える。

『今の彼女はもう何も言っても聞く耳持たないだろう』と。

 ただ、ダフネが答えてくれるかは別として、他に訊きたいことがあった。


「ダフネさん、の話はどこで聞きつけたのです??」


 古い家や別荘には何かしらいわくつきの噂が流れるが、この、ガーランド家の別荘もまた例外じゃない。この別荘には夜な夜な妙齢女性の幽霊が現れるという。

 しかし、噂を知るのは家族以外だと古くからの使用人だけ。

 最も、前世の運命すら一刀両断するナオミは幽霊に怯えるどころか、端から噂など信用なんかしちゃいない。


のお話でしたらガーランド夫人イヴリンに教えていただいたの、昨日の夜のお茶会で」

「…………」


 やっぱりか。お喋りめ。

 あの幽霊の話は、特に若い女性には厳禁だとガーランド家の秘密の一つなのに。

 やすやすと禁を破る、イヴリンの軽薄さにはほとほと参る。


「あ、ごめんなさい。私室のテーブルに座れる人数が決まってるから、貴女とルシンダさんは呼ばなかったと夫人が仰ってたの」

「あら、そうでしたの」


 義母から仲間外れにされ、ショックを受けたように見えたのだろう。

 ナオミが傷つくと思ってか、どことなく喜々とした様子のダフネに心中でお生憎様とつぶやく。


 内内のお茶会に呼ばれなかったことなど、にこやかに流せる程度にはどうでもいい。

 イヴリンがさりげなくナオミを孤立させるのはいつものことだし、毛ほども気にしちゃない。


 ナオミの落ち着き払った態度に、ドアノブを握りしめたままのダフネは今にも歯軋りしそうに険しい。ナオミを思いきり正面から睨みつけると、ダフネはわざとらしいまでにつん!と顔を背け、部屋から出て行ってしまった。


 すぐに後を追うべきか、ルードに追わせるべきか。

 迷ったけれど、そっとしておくのが互いのためにも一番いい、の、かも。


 残されたナオミとルードの間で、瞬く間に気まずい沈黙が部屋中を満たしていく。


 何か喋らなければ、でも、どう話しかけたものか。

 ダフネの時とは別の種類の焦りと戸惑いが一気になだれ込んでくる。ナオミが言い淀んでいる内にルードは突然その場でしゃがみこんでしまった。


「色々とご迷惑掛けました」


 しゃがんだまま、膝と頭を抱えて謝罪するルードが滑稽……、もとい、さすがに心配になってきた。


「貴方もダフネさんも言葉が足りなさすぎるんです。言わなくても分かるだろう、察してください……じゃ、状況にもよりますけど相手への怠慢なだけですわね」

「反論はないです」

「でしょうね。まぁ、すべて終わった過去のお話です。今更あれこれ言っても詮無き事」


 うずくまったままの大きな身体へ手を差し伸べる。

 躊躇いながら手を取り、立ち上がったルードにふうと肩で息をつく。


「……疲れました」

「すみません」

「ハーブティーはお嫌い??」


 目を瞬かせ、質問の意図を探るように見つめてくるルードにもう一度、「お嫌い??」と問う。


「いえ、特に好きでも嫌いでも……」

「疲れを取り除く効果のハーブティーを用意させますから一息入れましょう」


 ナオミは一旦廊下に出て行き、数分後、再び談話室へ戻ってきた。


 ナオミが戻って来るとは想定していなかったのか、扉付近で立ち尽くしていたルードは「えっ」と小さく声を上げる。そんな彼の横を通り過ぎ、ナオミは扉から一番近い椅子に腰を下ろした。


「お茶を用意させるのに一人分と二人分くらいの量は大差ないですから。

 何してるの??貴方も座ったら??」


 明らかに戸惑うルードに、ナオミは向かいの席に座るよう手招いた。






(2)


 別荘生活が波乱ずくめだったのは、クリケットの試合初日の二日目だけで、次の日は問題なく過ぎ去った。

 そして三日目の今日。この日は早朝から雨が降り、クリケットの試合は中止。各々が別荘で思い思い好きに過ごす中、私室でナオミはレッドグレイヴ夫人と二人きりでお茶を飲んでいた。


 ちなみに試合初日の翌日、宣言通りダフネは本当に『幽霊の噂』を理由に帰ってしまった。彼女以外の四人も同様に。

 なので、夫人が不審に思っているだろうとは承知しつつ、家族や客人の目を盗んで真相を伝える時間が作れず、今日、ようやく打ち明けることができたのだが。


「それで逆にお近づきになってしまったの」

「う……」


 窓辺の二人掛けのテーブル席にて。

 レッドグレイヴ夫人から決定的な一言を放たれ、ナオミはすっかり言葉を失ってしまった。


 薄橙色のテーブルクロスを始め、ベッドの寝具、出窓椅子やクッション、カーペットなどを暖色系で統一し、壁紙は淡い木目調の壁紙も相まって全体的に暖かさを感じる部屋なのに。レッドグレイヴ夫人が微笑んだ瞬間、室内の温度がぐんと下がった、ように感じる。


 しとしと、しとしとと雨がレースのカーテン越しに窓を打つ。

 続きは何と話したら……、と言いあぐねていると、夫人の方が先に口を開いた。


「ダフネさんの本性を見抜けなかったこと、それ以前に人選を誤ったこと……、私、ずっと申し訳なく思っていました。本当にごめんなさいね……」

「いえ、ルシンダさんはなにも……、顔をあげてくださいっ」


 飲みかけの紅茶をソーサーへ下ろし、項垂れたレッドグレイヴ夫人にナオミは慌てて、顔を上げるよう手振りで示した。

 夫人はゆっくりと顔を上げると、格子窓の硝子に張りつく雨粒を眺め、言った。


「雨降って地が固まるのかしらね」

「何がです??」

「ひょっとしたら、ね。素のナオミさんを知るうちに、Mr.デクスターJr.の中で気持ちの変化が始まってるのかしら、って思ったの。その変化もナオミさんにとって良きことかもしれないし」

「やめてくださいよ、ルシンダさん」


 頭と掌、同時に二、三度振った後、ナオミは苦笑を交えて続ける。


「たしかに少しだけ見直した点とか、本当にちょっとだけですけど、同情すべき点もありました。嫌いじゃなくなったのも事実です」

「じゃあ……」

「たとえ、私自身に好意を向けていたとしても、パーシーみたいに、ううん、パーシーよりもずっと手がかかる弟みたいな友人っていうところですね」


 とどめに鼻先でフッと笑って見せれば、「あら、そうなのねぇ」と釈然としない風だが、夫人は一応は納得してくれたのだった。

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