2.幼馴染
鏡台の前で金の髪を結い直す。結った髪を丸く纏めて整えて、顔の角度を変えて出来栄えを確かめた。うん、いい感じ。
刺繍で作った小さな百合を髪の根元に飾ってから、化粧を直す事にした。
粉をはたいて、ピンク色の瞳の周りに薄く色を乗せる。頬紅と口紅を淡い桃色で整えて……。
立ち上がって姿見で全身を確認した。
膝下丈の淡黄色のワンピースは、わたしが刺繍で作った花やリーチェが編んだレースで飾られている。四角く開いた襟元も、胸下で締めたベルトも今の王都の流行のものだ。
これでも【アムネシア】の娘だもの、おかしな恰好で出歩くわけにはいかない。
まぁ……これから会う相手は気心の知れた幼馴染だから、特別気張って着飾る必要もないんだけれど。
小さなバッグを持って自室を出ようとしたところで、大事なことを忘れている事に気付いてしまった。
慌てて鏡台へと戻り、左目の下にある小さなほくろを粉で隠した。擦らなければほくろが見えてしまう事はないだろう。
このほくろを見ていると、
わたしの──前世と、前々世の記憶。
どちらの人生でも、わたしは恋に落ちて、恋を叶えた。
そしてそれが原因で好きな人を亡くして、自分も死んでしまった。
その
だからわたしは記憶を取り戻したその時から、このほくろを隠している。
──運命を見ない事にするかのように。
『この泣きぼくろは、
──前世の声が聞こえないふりをするかのように。
胸の奥が締め付けられるように痛むのは、前世と前々世で恋人だった彼の事をまだ引き摺っているからなのかもしれない。
深呼吸を繰り返してから、わたしは意識して背筋を伸ばした。
部屋を出て玄関ホールへと向かうと、外から帰ってきたリーチェ達がちょうど家に入ってくるところだった。
リーチェの傍で学院の制服を着たまま、湯気の立つココアを飲んでいるのは弟のメリドだ。学院の初等部に通う年の離れた弟は、眼鏡の奥で青い瞳を輝かせている。
「姉さま!」
「買い物に行ってきたの?」
メリドの手にはココアのカップのみだけれど、リーチェはココアのカップの他に紙袋を腕に抱えている。
「今日のおやつ。メリドと夜更かしして、おやつパーティーをするの」
「あら素敵ね」
「姉さまもする?」
「そうねぇ……わたしが帰ってきた時に、あなた達がまだパーティーをやっていたら、混ぜてもらおうかしら」
「じゃあ僕、姉さまが帰ってくるまで絶対に起きているよ!」
にこにこと笑うメリドが可愛くて頭を撫でると金の髪が乱れたのも一瞬で、さらさらの髪はすぐに綺麗な形へと落ち着いていく。
「お姉ちゃん、朝帰りはだめだからね? お父さんが泣いちゃうもの」
「しないわよ」
カップを差し出してくるリーチェが、揶揄うように口端を上げている。それを軽く睨んで見せてからカップを受け取って、ココアを一口頂いた。甘みが強いのはリーチェがお砂糖を足して貰ったのだろう。妹は甘いものが大好きだから。
「じゃあ行ってくるわね」
「はぁい、気を付けて~」
「行ってらっしゃい!」
二人に見送られて家を出る。
見上げた空は黄昏時。細い月に薄い雲が掛かるように流れていった。
家の前の外灯台には既に光が灯されていて、まるで白い炎のようにゆらゆらと揺らめいている。先日、魔法石を変えたばかりだからか、とても明るく道を照らしていた。
わたしの家は【アムネシア】の隣にあるけれど、【アムネシア】の扉が大通りに面しているのに対して、家の扉は細道に面している。賑やかさはないけれど人通りが少ないわけではない。
家路を急ぐ人、わたしのように出掛ける人、庭の手入れをしている人、穏やかな空気に包まれているようだった。
「フィーネちゃん」
掛けられた声に顔を上げる。
道の先から歩いてきたのは、ひょろっと背の高い男性だった。温和な笑みを浮かべた彼は、わたしへと大きく手を振っている──今日の約束相手である、幼馴染のジル・アーレントだった。ジルが手を振る度に、一つに結ばれた青くて長い髪が揺れている。
「ジル、どうしたの? 待ち合わせにはまだ……」
時間に遅れてしまったのかと腕時計に視線を落とす……けれど、やっぱりまだ早い時間。
不思議そうにするわたしと裏腹に、ジルは紺碧の瞳を細めながら首を横に振った。
「早く着いちゃったから、少しこっちに来てみたんだ。もしかしたらフィーネちゃんも出ているかなって思って」
「バカね、座って待っていたら良かったのに」
「散歩みたいなものだよ。研究室に籠りっきりだから、全然運動出来ていないしね」
「いつか倒れそう。ご飯は食べているんでしょうね?」
並んで歩きながら隣のジルへと視線を向ける。
相変わらず線が細いというか、いかにも研究職といった風貌というか。白い頬に長い睫毛が影を落としている。
「それなりに食べてるよ。研究者も体が資本みたいなものだからね」
「よく言うわね。きっとジルよりもわたしの方が力があるわよ」
「あはは、それはそうかも」
「いや、そこは否定しなさいよね」
軽口を叩きながら歩くのは楽しい。
物心ついた時には側に居た幼馴染だからだろうか。
ジルの両親は元々、うちのお店で働いていた職人さんだった。お母さんはお針子として、お父さんは靴職人として働いていて、幼いジルを連れて工房に来ていたのだという。
わたしの祖母が幼いわたしとジルの面倒を見てくれていて、毎日のようにずっと一緒に居たものだから、幼馴染というより弟のように思う時もあるくらい。それほどにわたしとジルは一緒に過ごしていたのだ。
学院の初等科に入学した時も、わたしが服飾科、ジルが魔導科に進学してからもその関係は変わらなかった。途中でジルのご両親がお父さんの故郷で靴工房を開く為に退職しても、ジルは研究職に進む為に王都に残っていた。
さすがに就職してからもずっと一緒というわけにはいかないけれど、時々はこうしてご飯を食べにいく程にはその関係は続いている。
「……何か考え事?」
「んー……ジルとの付き合いも長いなって、そう思ってただけ」
「確かに。あーんなに小さかったフィーネちゃんがこんなに立派になるなんてねぇ」
「親戚のおばさんみたいな事言わないでよ。小さい時は、わたしの背の方が大きかったんだから」
笑いながら足を進める。目的地はもう少し。
星を霞ませる程の眩い光が広がっている、繫華通り。賑やかな声と一緒に届いてくるのは、お腹に直撃するいい匂い。
戦うつもりもなく負けを認めたお腹は、白旗の代わりにきゅるると音を立てている。
今日は何を食べようか。
そんな事を話しながら、わたし達は光を放つ通りへ足を踏み入れていた。
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