三人娘の学院生活 

@amemaru237

短編

三人娘の午後のお茶会 ~お茶請けは恋話~

 ネージ国が有するシャラトの貴族学院は、今年度より貴族男子だけではなく女子の入学が認められた。男女平等に勉学の機会が与えられるべし、という世界の潮流に従った形である。


 しかしまだまだこの国の貴族社会に跨る男尊女卑思想は強く、初年度の入学者は、男子六十五名に対して女子はたったの三名。そのうち二名は他国からの留学生という体たらくであった。


 当然と肩を竦める者も、残念と肩を落とす者も教員、生徒どちらにもいたが、当の三名にとっては知った事では無い。様々な理由はあれど、彼女達は自らの意志で門を叩いたのだから。



――――――――――――――――――――――――――――――――




1.死霊使いの娘




 グラナート・ゴールヌイ・フルゥスターリは、死霊術師の家系に生まれた貴族の娘である。


 死霊術師と言われれば、ネージ国では恐れられる職であろうが、隣国であるビェールィではそこまで忌避されるものではない。北国であるネージよりも更に北、一年の大部分を雪と氷で閉じ込められる国。死者は雪が溶けぬ限り留まる者達であり、その魂を狂わせぬ為、死女神の神官や死霊術師の役目は重要であり、高い地位を与えられていた。フルゥスターリ伯爵家もそんな家の一つだ。


 グラナートも幼い頃から、貴族の矜持と役目を父母や兄、そして家に仕える幽霊や屍人達に教えられていたし、彼女自身も家と己に対する誇りを培っていった。ネージへの留学も、その一環である。


 残念ながらビェールィ国には多数の貴族子女が集まる学院というものがそもそも存在せず、学びは全て家庭教師の仕事として行われていた。他国へ留学するのは貴族としての箔の一つであり、彼女が成人する十六の年にシャラトの門が開かれたのは非常に幸運であった。


 父も母も兄も、家に仕える者達全員がそれを喜び応援してくれた。その期待と感謝を背負い、彼女はいっそ堂々とシャラトの門を潜ったのだ――無い首の先から青白い炎を吐く馬に牽かれた馬車に乗って。


 そう、自分の誇りある家業が周りの人間にここまで怯えられるとは、全く気付いていなかったのである。勿論、他国から白い目で見られることぐらいは覚悟していたけれど、学院の生徒だけでなく職員までが、首なし馬一頭に腰を抜かすなんて想像できなかったのだ。


 ここで頭の一つでも下げて見せればまだ如何にかなったかもしれないが、彼女は誇り高きフルゥスターリの娘だ。自分に懐く可愛い愛馬を化け物扱いされたことが許せなかった。


「不届きな馬番もいたものですね。蒼炎の蹄に踏まれたくなければ、すぐに厩舎へ案内なさい!」


 勿論、彼女の言い方は決して誤りではない。ちょっと言葉尻はきつかったかもしれないが、貴族の子女としては普通の範疇だ。しかし残念ながら、周りの風向きというものはこれでは操るのが難しい。同じ新入生どころか学生全てに、気位の高すぎる生意気な、恐ろしくも不気味な女だという付箋を貼られてしまったのだ。


 密かに凹んだ彼女ではあったけれど、そんな様を他人に見せるなど絶対に許されない。誰よりも彼女自身がだ。幸い、他の二人の女子新入生は、愛馬を見せても全く怖がらずに笑ってくれたし、仲良くもなれた。彼女にとっては初めての生きている友人だったから、それはもう嬉しかった。月に一度は届く家族からの手紙の返事に、その二人の事を沢山書き連ねる程に。


 そしてもう一つ、彼女がこの異国で頑張れる理由がある。家族からの手紙に混じってごくたまに、同封される小さな紙片。内容は一言、「energiya(活力を)」「udachi(幸運を)」「sostradaniya(慈愛を)」等々、端的ではあるが素直な応援。


 酷く荒い、叩きつけるような筆跡であったけれど、彼女の頬を緩めて赤らめる力を常に持っている。父でも母でも、兄でもない。――父に仕える強く美しい騎士からだ。








 ×××






 荒い筆跡の紙片を綺麗に磨かれた爪でなぞりながら、グラナートは言い訳のように呟いた。


「ですから、これはその、ウーゴリ……父に長年仕えている、首無し騎士が書いてくれたものですわ。深い理由はありませんわ、ええありませんとも。わたくしが幼い頃より、護衛についていただけの縁ですわ」


 白磁の如き頬を真っ赤に染めて、そう言い募る彼女の言葉を額面通り受け止める相手はそうそういないだろう。彼女と一緒に茶のテーブルを囲む、二人の少女も同様に。


「なんて素敵なのかしら、グラニィ! 幼い頃からの絆が育む愛に変わるなんて、まるで戯曲のようだわ! 首が無いということは喋ることも文字を書くことも難しいでしょうに、貴女の為を思ってこんなに沢山の手紙を書いてくださるなんて!」


 綺麗に肩で切り揃えられた銀色の髪を揺らして興奮気味に話すのは、グラナートがこの国にきて最初の友人、ラヴィリエ・シアン・ドゥ・シャッス。この国の男爵家の娘であり、貴族の娘としては大分破天荒な彼女は、青色の中に金の星が散ったような瞳を更に輝かせて、グラナートに詰め寄ってくる。


「ケッケッケ、確かに今時珍しい純愛物語だネ。しかしキミの愛馬のピペルといい、その彼氏といい、首が無いのがお気に入りなのかいガニー? 学院にいるキミの熱狂的な信奉者達がギロチンの前に勢揃いしないように、黙っているのがいいかもネ」


 怪鳥のような笑い声と共にからかってくる黒髪の少女は、グラナートの2人目の友人、陶紫花トウ ジーファ。遠い遠い南の藍皇国から留学してきた、竜の息吹使い――この国やグラナートの母国では魔女と呼ばれる――だ。入学して一年程経つがまだ北方語は苦手で、友人の愛称も上手く発音できない。


「せめてグラニィと呼びなさいな、紫花。わたくしにそんな信奉者など母国にしかいるわけが無いでしょう。それとラヴィリエ、勝手に盛り上がらないで下さいまし! わたくしとウーゴリは、そのような関係では、一切、ございませんのよ!!」


 鳥の骨で編み上げられた美しい扇をぐっと握り締めながら、淑女としてはあるまじき行いで声を荒げるも、友人達はどこ吹く風だ。苛立ちを隠した口元で噛み締めつつ、視線を落とすとまだ広げられたままの紙片がある。ほんの僅か、胸に刺し込む痛みを無視しながら、お茶を一口飲んでグラナートは呟いた。


「……第一、万が一、そうだったとして。ウーゴリは父に仕える首無し騎士ですわ。父の命に従い、父の為に仮初の命を燃やし尽くすもの。わたくしとの間に、そのような想いなど、赦される筈がありませんわ」


 例え死霊術師だとしても、否だからこそ、生者と死者の境界を超えることは許されない。それは彼女自身も、一族の秘術を受け継ぐ時に最初に学んだことだ。


 死者に触れてはならない、死者を貶めてはいけない、死者を許してはならない。


 例え、幾度も自分を守り、抱き締めてくれた騎士であろうと、心を預けることは出来ない。何故ならいずれ、死者達は全ての未練を捨て、天に昇り忘却の河を渡る。そうしなければ魔に堕ち、悪霊と成り果ててしまうのだから。


「あらまぁ、グラニィ。貴女の想いが、一体誰に許されないというの?」


 能天気な友人の声に思わず蒼瞳で睨み付けるが、口の両端を思い切り上げた、にこにことした顔で笑う銀髪の少女に毒気を抜かれてしまう。この学院で出会ってから、ずっとそうだ。


「だって、私のお母様は半分幽霊なのよ。死者が人と愛し合ってはいけないのなら、とうの昔にわたしはこの世にいないじゃない!」


 そしてきっぱり言い切られた聞き捨てならない言葉に絶句し、グラナートは紫花の方を見る。アタシだって知らないヨ、と言いたげに首を横に振られた。次に二人揃って部屋の隅に控えたラヴィリエの従者の方を見るが、彼は目を伏せたままこちらの会話には加わらなさそうだ。


「そりゃあ沢山の苦難はあるでしょうけど、それはごく普通の男女でも変わらないわ、きっとね。貴女の想いを許せるのは貴女しかいないわ、グラニィ。そして赦せないというのならそれでもいいけど、赦したいのなら赦してあげていいと思うの。そうしないと、折角貴女の愛を一身に受けられるかもしれない、その首無し騎士様がお可哀想だわ!」


「だ、だから、何を言って……!」


 諌めなければいけないのに、頬が熱くなって声が上擦る。この少女はいつも突拍子もない言動と行動しかしないのに、多分もしかしたら家族よりもグラナートの心を慮ってくれている――悔しいけれど。


 俯いてもごもごと反論を口から出せないグラナートに肩を竦めて笑い、紫花がにやりと狐のように細い目を更に細め、ラヴィリエに矛先を向ける。


「中々の言い草じゃないカ、ラビー。それだけ言うんなら、キミにはそんな激しい愛の経験があるのかイ?」


「まさか! 私にはまだまだ荷が重いわ、お父様とお母様には勿論憧れるけれど。それを言うなら紫花だって、許嫁が母国から来て下さったじゃない」


「おっと、藪蛇だったカ」


 気負いも何も無くからかいを返されて、不覚と言いたげに紫花は眉を顰めた。


「アレはそんなんじゃないんだヨ、出来ることなら送り返したいくらいサ」










2.息吹使いの娘




 藍皇国では有名な陶の一族は、竜の息吹使い――国の言葉では竜司と呼ぶ――が多く生まれる家だった。


 紫花にも当たり前のようにその力は備わっていた。世界に散らばる数多の竜、即ち火や水、土や風、それらの源に声をかけ、力を貸して頂く術。呟き一つで指先に炎を灯し、雨を降らせ、地面を軽く耕し、突風を吹かせることが出来る。


 だがそれは、陶の家ではごくごく当たり前のことだった。


 豪奢で美麗な姉、紅花は、鍛冶の炉を保てるほどの熱く大きな炎を、微笑むだけで生み出すことが出来た。


 淑やかで可憐な妹、黄花は、綺麗で安全な水を池どころか湖一杯に、首を傾げるだけで湧かせることが出来た。


 当然、姉や妹は大人気だ。親だけでなく親戚連中皆が彼女達を褒め称え、子供の頃から引きも切らず、その容姿に実力も加わって他の家からの縁談が絶えない。


 真ん中の紫花は、容姿も整った父母ではなく狐顔の祖父似で、年頃になっても柔らかな肢体を持てず、いつも少年のような格好をしていた。別に反抗していたわけではなく、そういう方が性に合っていただけだ。いやまあ、少しぐらいは拗ねていたかもしれないけれど。


「少しは姉様や妹様を見習ったらどうだ」


 かけられる声はいつも同じ。息吹使いとしても、見た目としても、何故ああならないのかという糾弾。しかしどうやったって薔薇や菊になれないのを、菫はようく知っているし、なりたくもなかった。


 だって姉は、火竜様に愛され過ぎて、気に入らないものを燃やそうとする。


 だって妹は、水竜様に守られ過ぎて、自分と世界を混ぜ合わせようとしない。


「姉様や妹様ぐらいに精進すれば、まだ見られるものを。怠け者め」


 そんな事も気付かずに、ただ責めやすい相手だからという理由で声をかけてくる、その男が滑稽だった。自分にやってきた唯一の縁談の相手。家が隣だったというだけの、幼馴染の貴族の息子。きっと彼も姉と妹に袖にされたから、せめて紫花をとなったのだろう。貴族としてはまあまあ高い地位で、竜司の才は無くとも宮廷で出世頭だったらしいから。


 面倒臭くて、鬱陶しいが、自分とていずれ何処かに嫁に行くのは理解していた。自分の腕前程度では、家を出たとして竜司として身を立てることは出来ない。かといって市井に混じって生きていくのも、無理だろうという自覚もある。何せ自分は本当に、面倒臭がりだったため。


 どうするべきかと考えて、せめて成人するまでは猶予を貰おうと――ちなみに藍皇国の成人は十八才だ――祖国を離れて遠い北の国まで留学した。幸い、以前皇家から留学者がいたお陰で国同士の繋がりは太く、あまり労せずに国を離れる許可を得られた。勿論金と頭は必要だったが、渋る親に頭を下げて勉強も頑張った。親としても、娘の中で唯一将来が心配で、これで別の道を見つけるも良しと思ったのだろう。今まで生きてきて一番頑張ったけど、今更褒めて欲しいとも思わない。


 実際、やってきたこの国も学院も、紫花にとっては非常に居心地が良かった。言葉はまだ難しいし、冬は心底寒いけれど、友人が二人も出来た。故郷にいた頃は男女問わず近づく相手は、姉と妹と許婚に惹かれ奪われてしまっていたから、まさに始めての友人だった。更に、自分程度の息吹でもこの国では驚かれた。どうやら北の息吹使い達はその血を随分と細らせているらしく、友人の家に昔仕えていた女性も今は引退してしまったそうだ。


 まあつまり、なんやかんやと気楽に過ごしていたのだが――まさかあの形ばかりの許嫁が、一年経ってこちらに来るとは予想だにしていなかったのだ。


「やっと逢えた、紫花……! 君が戻らないと聞いて、我慢できずに追いかけてしまったよ。……なんだいその顔は、愛しい許嫁に逢えたのだから、嬉しいのは当然だろう?」


 後輩として入学し、姉や妹に振りまいていたものと同じ笑顔で、愛を口にしながら。








 ×××








「アイツの考えてることなんザ、さっぱり解りゃあしないヨ。どんな風竜様の御導きか知らないガ、昔ァあんな歯の根が浮くような口ぶりじゃなかったんだけどネ」


 どうしたもんかと紫花は腕を組む。お茶を飲みほして少し落ち着いたらしいグラナートは、扇の下から気づかわしい視線を送ってくるが、笑って首を横に振る。全く言葉だけなら高慢な癖に、友人の悩みを真剣に心配してくれる優しい少女だ。


 もう一人の友人である銀髪の少女は、青の大きな瞳をぱちぱち瞬かせながら、成程と言いたげに何度も首を縦に振り。


「八方美人は頂けないけど、こんな遠い国まで貴女を追いかけてきたのだから、情熱的だと言えるのではないかしら? 藍皇国からネージまで、船で一巡りはかかるのでしょう? いらないものにお金と時間をかけるなんて、紫花、貴女ならもっと有り得ないってわかるでしょう」


 客観的な事実を言われて、むう、と紫花は唇を尖らせる。確かに、そんな無駄な事をするだけの理由が、あの男にあるのだと考えるべきなのかもしれない。しかしその理由に自分を据えることは、ちょっと出来そうにない。信用できないのだ、あの男も――自分自身も。


「じゃあどうしろってんだイ、ラビー。アタシぁ面倒事は御免なんだヨ、アイツもとっとと捨ててくれりゃあいいのにサ」


「あら、簡単よ紫花」


 ちょっと声音が八つ当たりになった自覚はあるのに、ラヴィリエは口の両端を思い切り引き上げて、にこにこと笑う。


「貴女は、彼のことが好きなの? 嫌いなの?」


 すっぱりと言われて、紫花は舌が一瞬上手く動かせなかった。好きとはとても言えないし、嫌いと言うにはそこまで相手の事を知らないからだ。


「好きなら喜んで、と微笑めばいいし、嫌いならなんであんたなんかと、と頬を張ればいいのよ。相手が貴女を選んだ理由まで慮ることは無いわ、それは相手の自由だし、勿論相手を選ぶことも貴女の自由だもの」


「……ケッケッケ! 全く仰る通りだネ!」


 御尤もな事を言われて、笑うしかなかった。グラナートにはその怪鳥のような笑い声を押さえなさいといつも怒られるけれど、その手の礼節は全く縁が無いので勘弁してほしい。


 関わりたくない相手でも、相手が近づいて来たら関わるしかない。それならば潔く、頬のひとつも張ってやるのが正しいやり口だろう。……そう考えるとちょっとわくわくしてきた。思ったよりも自分は、あの男が嫌いだったらしい。


「ちょっと、紫花? 本気にしているのではないでしょうね? 殿方の頬を張り飛ばすなんて――」


「そりゃあガニーは相手の顔が無いんだから、やらなくたっていいサ」


「どうしてそこで話を蒸し返しますの!? 本当に人の話を聞かないですわね貴女達は!!」


「まあ、グラニィは頬を張る必要なんてないわ、とっても素敵な殿方だもの」


「で、す、か、らぁ……!!」


 怒りに震えたグラナートが握り締めた骨の扇が悲鳴を上げ、窓の外に彼女の怒りに呼応した浮遊霊が集まりつつあったが、未だ部屋の隅に控えていた従者がぎろりと睨みつけるとあっという間に霧散した。










3.悪食男爵の娘




「も、もう! わたくし達の事ばかりではありませんか、貴女はどうなのですかラヴィリエ!」


「そうだヨ、ラビー。アタシらだって恥を雪いだんだ、ちょいと弱みを見せてくれたっていいじゃあないカ」


「私?」


 両側から詰め寄られ、銀髪の少女は大きな目をぱちぱち瞬かせて首を傾げた。


「私には婚約者はいないし、親しくお付き合いしている方もいないわ。お父様は、私が本気で好きになった相手を選びなさいと言って下さるし、今のところ予定は無いわね」


 一切の慌ても照れもなく言い切ったその言葉に、友人達は不満そうに眉を顰める。


「そ、それで宜しいのですか、シアン・ドゥ・シャッス家は? 男爵位ではあるものの、建国以来の古い血筋だそうではありませんか」


「お母様も、これからは貴族の血の価値も絶対的なものでは無くなると仰っていたわ。私もそう思うの」


 更に何の気負いも無く告げられた言葉に、グラナートだけでなく紫花も目を見開く。曲がりなりにも貴族として生を受け、その矜持を彼女自身も理解していることを知っている――表現方法が色々と突拍子もないだけで。


 入学してすぐの頃、ラヴィリエの髪は長かった。美しい銀色の髪を一つに編み、首の後ろに綺麗に纏めていたのだ。それが、最初の剣の訓練で、恥知らずの男子生徒と打ち合った時、わざと髪を解かれ掴まれたのだ。生意気な女を脅すだけのつもりだった、等と後から言っていたが、貴族として唾棄すべきやり方だった。


 そんな卑劣な相手に対し、ラヴィリエは――一瞬の躊躇いも無く自分の剣で髪を根元から切り落とし、返す刀で相手の脳天に柄を叩きつけて勝利した。無残に散った銀髪を見て、蒼褪めるグラナートと怒りに眦を吊り上げる紫花に対し、彼女はいっそはっきりと告げた。


「髪はいずれまた伸びるもの、惜しむものではないわ。でも髪を掴まれたのは私の不覚ね。いつも訓練してくれるヤズローはそんなことしないから、油断していたわ。気をつけるべき場所を気づかせてくれてありがとう。また手合わせして貰えると嬉しいわ」


 普段と変わらぬ満面の笑みでそう締めたものだから、表向きは全て試合の結果として扱われ、相手の面目は丸潰れだ。一週間ほどの謹慎で済んだけれど、蔑んだ相手に負け、更に気まで使われてしまったのが屈辱だったのか、結局その男子は学院を辞した。それ以降、彼女も学生達から一目置かれる存在になる――一見御しやすそうに見えても全くそんな事は無く、関わってはいけないという遠巻きの状態だったが、まあそれは他二人も多かれ少なかれそうだったので気にしてはいない。


 そんな、貴族の矜持を体現する彼女があっさりと、その地位は不変ではないと言い切った。


「だって、今のネージ国王様と先代様は血の繋がりは無いのよ。家や名を継ぐことと、血の繋がりは決して等号で結ばれないわ。それなら、シアン・ドゥ・シャッス家だってもっと優秀な人が継げばいいのよ。例えばほら、ヤズローとか」


 そう言って、ラヴィリエは丁度近づいてきていた従者の青年を座ったまま見上げて笑顔を見せる。


 両足を膝下から、左腕を肘から腕、右腕は肩から指先まで具足で覆い、その右目には眼球が無く、代わりに綺麗に磨き上げられた紫水晶の球が収まっている。奇妙この上無い風体だが、ラヴィリエが入学時にきちんと学院の許可を取って招き入れた従者だ。ちなみにグラナートは幽霊を幾らでも従者として呼べるし、紫花はそもそも従者を学院まで連れて来られる身分では無いので居ない。


 去年急ごしらえで造られた女子寮という名のこの小さな屋敷に入る男性は皆、不能の呪いがかかるという規則にも同意した。勿論外に出れば効果は無くなるようだが、その後の人生にも支障が出るらしいという憶測が飛び交い、男子学生は恐れてこの寮には近づかず、ヤズローと呼ばれたこの青年を尊敬の目で見る者も少なくない。


 空になった三人のカップに茶のお代りを手早く丁寧に注いだ従者は、表情を全く動かさなかったが、ほんの僅かだけ眉間の皺を深くした。


「お嬢様。お戯れは一人でお呟き下さい」


 仮にも自分が仕える主に向けて有り得ない口の利き方だったが、グラナートも紫花もこの一年ちょっとで慣れてしまった。彼位でないと常に突拍子もないラヴィリエの暴走を止められないという事実もそれを後押ししている。そしてどんな言い方をされようと、凹む主でも無いのだ。


「だから私の部屋で喋っているんじゃない。グラニィと紫花がどれだけ信頼できる友達か、貴方だって解っているでしょう? 私は剣の腕と弁舌以外、祓魔には全く自信が無いのだもの。お父様みたいにお腹に神紋を刻んで、悪霊を食べたりすることも、もう禁じられているし。ヤズローなら例え魔の黒犬が現れたって、槍斧で真っ二つに出来るわ!」


 祓魔とは、即ち人に仇為す魔を祓うもの、それを生業とするものの総称だ。死霊達を鎮め操るグラナートや、地水火風に働きかける紫花にとっても近しい職種だと言える。残念ながらこの国ではあまり大手を振って名乗れるものでもなく、肩身の狭い思いをしているらしい――彼女を見ているとあまりそうは感じないが。


「御命令とあらば行いますが。御家の名を継ぐということは、それだけでは成し得ません」


「駄目かしら? お父様もお母様も、きっと喜ぶわよ?」


「お嬢様が継いだ方が圧倒的にお喜びになりましょう」


「それは解っているわよ、純然たる向き不向きの話だわ」


「次の試験の点数について、予防線を張ろうとしても無駄です」


「まあ良く気付いたわね流石ヤズロー! 褒めてあげるわ!」


「結構です」


 ぽんぽんと景気よく言葉を交わす、にこにこ笑う主人と無表情のままの従者に、友人二人はそっと目配せし合い。


「……これはやはり、お互いについては何も思う所は無い、ということなのでしょうか」


「自覚が無いだけって可能性もあるけどネ。まあ確かに色っぽい間柄というよりは、仲良し兄妹って感じだけどサ」


 こそりと話し合っている内に、ラヴィリエの言葉も止まった。それよりも大きい音が、彼女の腹から響いたからだ。


「うう、お腹が空いたわ……今日はこのぐらいにしておいてあげる」


「仰せの通りに。夕食の時間も間近です、食堂へ参りましょうか」


 ぺちゃりとテーブルの上に突っ伏する主の無作法さを、従者の青年は全く咎めず促す。先刻よりもほんの僅か、声音も優しくなっていたかもしれない――気のせいかもしれないが。


「そうよ、今日の日替わりはビーフシチューなのよ! 無くなってしまう前にお代りをするべきだし、焼き立てパンも三つは確保しないといけないわ! ヤズローは席の確保をお願い、グラニィ、紫花、行くわよ!」


「仰せの通りに」


「走るんじゃありませんの、はしたない――こら、お待ちなさいな!」


「ケッケッケ! 元気だネ本当に!」


 すぐさまがばりと立ち上がり、淑女の作法など知った事では無いと駆け出す少女の背に、従者は深々と頭を下げて追い、親友達も慌てて続いた。

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