短編集・百危夜行(仮)

神庭

汚い話(下品につき閲覧注意)

汚い話①

 ハロー。私、山田。


 地元の中小企業で働く事務員よ。

 いきなりですが、今大ピンチ。生命の危機に瀕しています。

 と言っても、わりといつものことなんですケド。


「ぐぬ、ウウ……」


 オッサンみたいな呻き声とともに、腹を抱えて(笑っているわけじゃなくて、文字通りお腹を抱え込んでいるのだ)流動体のごとくトイレの個室に滑り込む。


 痛い、腹が。猛烈に! もうたとえようのないくらい痛い!!


 ウソのように流れ落ちる冷や汗と脂汗のミックスが、床のタイルと服と便座を濡らす。


「……ふんぬッ」


 騒がしい工場の隅に設けられたその場所は、暖房もなく寒々しい。

 誰かに聞こえるかもしれないなんて考える余裕はなく、歯を食いしばりながら踏ん張る。


 出ない~~~~~ッ!!


 お腹の中は確かにくだっているのに、出口でアレやコレが邪魔してまったく出る気配がない。


 キツイ。はやく。はやく出したい。


 だが、あまりいきむとケツが腫れて別の意味で地獄を見る。

 いや、もうとっくに地獄なんですけど。


「ハァハァ……」


 ヤバイ。便座に座っていなかったら、カブトムシの幼虫みたいにうずくまっていただろう。


 ここが自宅だったなら、温かいシャワーでお腹を温め、トイレで戦い、痛みの波が小さくなったら布団にくるまり、またトイレ、シャワー……そのようにして、少しは痛みを緩和できたのに。


 真冬の冷たい空気、容赦ない痛みの中。


 私、ここで死ぬのかも……。


 そう思うと、心細くなった。


 ポケットからスマホを取り出す。


 出来れば動画サイトで、痛みの緩和を謳ったヒーリングミュージックを聴きながら、腹痛の亡者で溢れ返るコメント欄を眺めたかった。しかし今は一応勤務中。


 検索窓に腹痛と打ち込むと、サジェストキーワードに吐き気、冷や汗、顔面蒼白と表示される。


 ――そうそう、コレだよコレ。


 出てくる緩和法などは私にはあまり効果がなかったが、同じ痛みや不快感に耐える仲間が世界中にいるんだと思うと、少しは気持ちが楽になる。


「私はひとりじゃない……。とにかく出せば……ッ、出せば楽に……」


 個室にこもってブツブツ言うさまは、誰がどうみてもヤバイ人である。


 だが、今はそんなことどうでもいい。


 この痛みの前では、すべてが取るに足りないこと。


「く……耐えろ、耐えろ山田ァアッ」


「よし、その意気だ。ネエちゃん、がんばれ!」


「うん!」


「ホレ、手ェ握っててやるからな。リズムよくだぞ」


「うん……ッ」


「がんばれ、がんばれ」


「ぐおああああっ」


 重なる手のひら。合わさる声。


 ふたりの熱気に、寒い個室の空気が少しだけ温かくなる。


 呼吸を合わせ、汗と涙を流しながら、お産のような気分で(世の中のお母さんたち、ホントごめんなさい)私はいき・・んだ。


「ハァ……で、出たァ……」


「やったな、おめでとう。よく頑張ったな!」


 大きな手が、汗でびっしょりの背中をゆっくりとさすってくれる。

 その優しさが沁みて、私はさっきとは違う温かな涙をいくつも流した。


「ありがとう……ほんとうに、ありがとう……」


「いいってことよ。じゃ、俺はコレで」


 照れくさそうな男の声とともに、背中から温もりが消えた。


 狭い個室の中。


 ひとりきりになって、私は首を傾げた。


「……ん?」


<②に続く>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る