足の裏様
牧神堂
後に武蔵野と呼ばれる地にて
太陽は高い。日差しは強い。
空は青いが雲も多い。
厚い雲、たなびく薄い雲。
どこか遠くで地響きがしたようだ。
生まれて七年が経つ少女ヒナギは、飼い犬と野っ原を走り回り遊んでいた。
麻の貫頭衣をまとい、腰に回した紐を結んでいる。
衣の裾を翻し、蝶を追う。転んでも笑って起き上がる元気な子だ。
ヒナギが住む集落は大きな河に挟まれた広大な台地の上にある。定住して焼畑で生計を立てる人々の集まりだった。彼らは照葉樹の森林を焼き払い、その灰を肥やしとして焼け跡に雑穀など栽培し生活している。そして、土地から肥料分がなくなると耕作地を別の場所に変える。枯れた畑は休閑して数年すれば
ヒナギが無邪気に駆けているのは、地力の回復のために寝かされている元畑のだだっ広い平地だ。
そこからは山頂の白い、円錐形の大きな山が遠くに見える。
美しくそびえ立つ山。神の山だという。
ヒナギはその山を大きすぎて少し怖いと思っていた。
ふと辺りが翳ったのにヒナギは気がついた。
見る見る陰が濃くなっていく。
自分の周辺だけ。
不思議に思い空を見上げる。
頭上に巨大な足の裏があった。
人の足、剥き出しの、裸の足だ。
高く浮かぶ大きな雲を突き抜け、陽光を遮り、それがぐいぐいと降下してくる。
右足だ、と思った。
その汚い足の裏が視界をすっかり覆いつくした。
ヒナギにも直後に何が起こるかは分かった。
……潰される。
へたんと地面に尻をついた。
戦慄し、泣きわめいた。
「わあああああ!! お父ちゃああん! お母ちゃああん!!」
足の降下がひたと止まった。
「何だ? 下に誰かおるか?」
雷のような声が遥か上空から轟き下りてきた。
そしてすぐに足の裏は動きを変え、すうと上昇していき、ゆるゆる流れる雲の向こうへと消えた。
ヒナギは空を見上げたまま動けない。
恐怖により金縛りになっていた。
しばらく後、ずっと遠くで大地が鳴った。
更にいくらかの間隔を置きながら地響きが断続的に聞こえてくる。
ずずうん……ずずうん……ずずうん、と。
合わせて震動も感じる。
音はだんだん離れていく。
そのうち静かになると、ヒナギはようやく安心して動くことができるようになった。
鳴りを潜めていた鳥や虫の声が戻ってくる。
あれは何だったんじゃろうか……。
掘り込んだ地面にいくつもの柱を立て、屋根を組んで
墓地でもある広場を囲み、そんな家屋が環状にたくさん立ち並ぶ。ヒナギの住む集落だ。
急いで家に戻ったヒナギは、見たものについて興奮覚めやらぬ様子で家族に語った。
「何じゃろか。何じゃろか。おれは踏み潰されると思ったんだ」
「確かに何度も地響きを感じたな」
ヒナギより三年早く生まれた兄のアズラが言う。
顔に幾何学模様の入れ墨をみっちりと施した爺様がにゃむにゃむと口を動かした。
言葉が出てくるまで時間がかかる。
「初めて見たかにょ?」
ようやく言った。
「それは足の裏様じゃ」
「足の裏様? 何? それ?」
自分が見たまんまをただ言われた気がしたが、ヒナギは詳細を求めて聞いた。
「天から下りて来る
「それだけ?」
ヒナギには爺様の説明が不満だ。
「気にすんな。雷や地震や大風と同じ類いのものよ」
父親が縄目文様の入った、土を焼いた器で酒を飲みながら口を挟む。
「そうじゃろか。足だよ」
「あれはひと踏みでこの集落も滅ぼそう。気にしておっては生きていけん」
「雷や地震や大風はどこにでもあるにゃが、足の裏様はここだけらしいのう」
爺様が言うと父親は顔をしかめた。
「まぁ、そうさな。わしらはとんでもないところに住んでおるのよ」
「いつ潰されるか分かんないのかよ!」
アズラが叫ぶ。
「この地を出て行けるものなら出て行きたいが、足の化け物がおる以外は暮らしやすいところだしな」
父親は面倒臭そうに言うだけだ。
表情にありありと不安があらわれたヒナギの頭を母親が撫でる。
「大丈夫よ。洗ってあげれば大人しくしてるというから」
「えっ、何それ?」
「長老様が言ってたの。たまに足洗えって怒鳴りながら近くに下りて来るんだって。洗うのはそりゃあ大変らしいけどね」
「たまにって?」
「さあねぇ、前ん時は長老様が子供の頃のことだったってよ」
夜。
ヒナギは寝付けずにそっと家の外に出た。
空を見上げる。
澄んだ大気の中に大きな満月が浮かぶ。
何よりも綺麗な天上のお月様。
ヒナギはその月をぽんと蹴り飛ばし、自分に向かって凄まじい勢いで迫ってくる巨大な足を想像し震えた。
「大丈夫さ!」
背後の声にびくりとしてヒナギは振り向く。
兄が立っていた。
ヒナギが外に出たのに気づき、様子を見に出て来たのだ。
「お兄ちゃん……」
「俺が大きくなったらデッかい足なんてこてんぱんに叩きのめして退治してやらあ!!」
アズラは片腕を月に向かって突き上げる。
勇ましい姿にヒナギは少し笑った。
ヒナギの住む台地の周辺の地では異変が起きていた。
点在する大規模集落の多くが、遥か西よりやって来た騎馬の大軍勢に攻め込まれていたのだ。
その勢いと鉄の武器に土着の民はなすすべもなく、無数の人の命が奪われた。
蹂躙され隷属を強いられ、抵抗する集落は焼き払われる。
侵略者の支配地はたちまちのうちに広がっていった。
一帯にはそれまでとは別の世界が構築されていく。
が、騎馬の軍勢はヒナギの集落のある台地には近づこうとはしなかった。
そんな度胸などない。
なぜなら遠くからはよく見えるのだ。
長い脛に雲をまとわせ台地をうろつき歩く、苔むした恐ろしい巨人の姿が。
天
侵略者達が隷属させた土着の民は、それをデエダラボッチと呼んでいた。
足の裏様 牧神堂 @kerori
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