殺し屋 1
何事も手際よくやることが肝心だと、バレットは常日頃から思っていた。
そこから生まれた考え方だが、効率重視とは、彼の仕事に対する姿勢でもあった。とにかく無駄なく迅速に、余計なことはせず、考えない。やるべきことをやり、仕事を終える。それが、殺し屋バレットのポリシーだった。
ターゲットの男は、酒場にいた。
どうやって近づくか。それが今回の依頼の一番の課題だったが、酒場に足を踏み入れた途端、「おう、久しぶりだな兄ちゃん!」と、誰と勘違いしたのか男の方から声をかけてくれたのは都合がよかった。
亜麻色のハンチング帽を深くかぶり、知り合いを装って同じ卓に座る。
長いこと呑んでいたのだろう。男は顔を熟れた果実のように真っ赤にしていた。
「なあ、俺のおごりだからよ。おまえも何か頼め」
男は唾を飛ばしながら大きな声で言った。
「遠慮しておく」
仕事に支障が出るからな。と、心の中で呟く。
「俺は、もうずっと呑んでいるぞ」
だろうな。と、やはり心の中で言った。
手をテーブルの下に入れて男から、そして周りの人間からは見えないようにする。
コートの内のポケットから銃を取り出し、消音器を取りつける。
誰かに目撃されるのではないか。そんな緊張はしなかった。むしろバレットにとって、緊張とは、仕事においてもっとも不要なものだった。
不安になるだけ無駄であり、能力も低下する。つまり効率が悪いからだ。
ターゲットを始末するのに、緊張はいらない。やるべきことをやる、それだけだ。
銃を構える。
卓上にある料理皿を掻き分けて銃口を向けたので、さすがに酔いから覚めたらしい。男は、はっとした様子でバレットの顔を見た。
声を上げようとするが、遅い。引き金に触れている指には、すでに力が入っている。
その時、不思議な感覚がバレットを襲った。
また、いつもの幻覚か。と、すぐに気づく。
男の瞳の奥に、星のような輝きが見えた。それは、夜空に散らばる光よりもはるかに美しい神秘的な輝きだった。
ターゲットととなる人物に銃口を向けた時、老若男女を問わず、この輝きは決まって見えるものだった。
己の死を悟った生き物が最期に何かを残そうとする、その強い意志が見せる幻ではないのだろうか。バレットは、そうとらえていた。
「あんた、最期に言い残すことはあるか?」
いつも、言いかける。
輝きを見せる者たちが何を残すのか、興味がないわけではなかった。
だが、それを口にすることは、もっと言うと、頭に浮かべることは仕事の流儀に反する。効率が悪い行いなので、バレットはいつも思い直し、引き金を引くのだ。
消音器のおかげで、銃声は酒場のうるさい空気に溶けていった。
幸い銃殺の瞬間を目撃した者はいないらしく、どこからも悲鳴は上がらなかった。
男が、前屈みに倒れようとする。
バレットはすぐさま立ち上がり、男を抱きかかえるようにして寄り添った。そして周囲からは見えないように男の腹に銃口を当て、さらに二発、撃ち込んだ。
不意を突いて撃ったので断末魔を上げるとも思えないが、万が一にも、男が叫び声を出したり、暴れまわったりして目立つと面倒だ。ので、撃たれたと気づいた瞬間に、確実に絶命させる必要があった。
仮に見た者がいたとしても、男の目が虚に堕ちてゆく様を、ただ酔い潰れ、寝てしまったのだと思うはずだ。そもそも、こんな人が多い中で殺人が起きるなんて考えは、ターゲットはもちろん、酒場にいる誰も持っていない。それを逆手に取ることで、仕事はスムーズに終わる。
実際、そうなった。
バレットが次に取る行動は決まっていた。男の体を机に預け、店を去ることだ。
ただ、もう一つやることがある。
それはしなくてもいいことだが、機会があるなら手を打っておこうと、その程度の認識だった。
そして、その機会はあった。
早足で酒場の扉に近づいた時、ちょうど他の客が入店してきた。
酒でつくったような、でっぷりとした腹が目立つ背の低い男だった。脂ぎった髪を束ねている。
見覚えがあった。確か、どこかの商会の会長のはずだ。俺は偉いんだぞという自信が、ぎらついた目から溢れていた。
こいつでいいだろうと、バレットは急いでいるふりをしながら去ろうとする。
酒場の入り口は狭いため一人分ほどの幅しかない。小太り男の横を通り、強引に出ようとすると肩にぶつかる。
なにすんだ、と声をかけられるが無視して、走り抜ける。
これでいい。すぐに行方を眩ませれば、どうせ追ってはこない。生意気なやつもいたもんだと酒の席で愚痴をこぼす程度だろう。
通りへ出る。酒場を出てすぐに路地裏に向かった。
今日の目的は果たした。あとはこのまま家に帰り、依頼主との仲介人である、ヤマという人物に完了と連絡を入れるだけだ。
ハンチング帽を脱ぎ、捨てる。
これをかぶっていたのはカモフラージュのため、というより、印象付けるためだった。亜麻色のハンチング帽をかぶった人物がいたということを。
この後、男が死んでいることに気づき、殺人事件が起きたと騒ぎになった時、酒場にいた他の客や、入り口ですれ違った小太り男は、亜麻色のハンチング帽をかぶった人物が怪しいと思うはずだ。
もちろん、何も残さず静かに立ち去るのが一番いい。が、あえて少しだけ情報を残しておく方がいいこともある。
捜査する側は、どんな証拠も逃さまいとする。だから余計な情報を与え、混乱させるのが狙いだった。
ハンチング帽をたどってもバレットには結びつかない。回りくどいやり方だが、前もって準備していたものだからだ。
たとえ服屋に、最近、亜麻色のハンチング帽を買っていった者はいないかと確認してみても、店主は覚えていないと言うだろう。そもそもが盗品であり、とある盗賊のグループから回収した帽子なのだ。
その盗賊たちへの依頼は傭兵を雇って向かわせたし、傭兵への指示は、街中で腐っていたごろつきに金を握らせ、走らせた。もちろん、ごろつきへの接触も手順を踏んでおり、その途中には、年端もいかない子供や裏社会に疎いホームレスたちも経由している。
例の商会の小太り男も、本人すら気づかないうちに道中にいたりする。
そして仮に、捜査する者たちが運よく遡って行けたとしても、結局、バレットにはたどり着けず立ち止まることになる。最終的に行き着いた先にいる人物は、今夜、酒場で死んだからだ。
つまりターゲットの男は、自分を殺す相手が疑われないようにするための偽装工作に手を貸していたことになる。当然、男自身はそのことを知らない。
回りくどい、とても。
そのやり方は、バレットはあまり好きではなかった。効率を後回しにしているからだ。
「でも、念には念をいれておこう」と、提案もとい実行して、ハンチング帽を寄越してきたのは、仲介人であるヤマだった。
彼女と組んで、何年も経つ。
性格的に相容れないというのは、組んで初期の頃に判明した。しかし、この業界ではそういったでこぼこな組み合わせこそが真価を発揮することがある。その一例が、バレットとヤマだった。
効率重視で動くバレットと、念入りな計画を立てるヤマの相性は、本人たちが感じている以上によかった。長年、付き合いがあるのも、なんだかんだといって互いに仕事がしやすいからだろう。
仕事を終えると、ヤマに一報入れるのが決まりだった。
駆け足で、路地裏を進む。
近道をしようと小道に踏み込んだところで、空気が震える感覚がした。それが、何者かの声によるものだとは、すぐに気づいた。
どこだ。
近い。女性の悲鳴がした。
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