聖剣と信仰と銃弾と人殺し

東泉真下

探索者 1

「わたしを襲う気なの?」

 目の前に立つ彼女が突然そんなことを言い出したので、アーサーは動揺した。

 どういうことなのかを問うと、そのままの意味だと返してきた。

 大きな丸メガネの奥から覗く鋭い眼光が、アーサーをぎろりと差す。紺色のおかっぱ頭は幼く見えて少女らしさがあったが、彼女の凛として大人びた雰囲気で打ち消されていた。


 アーサーが彼女のもとを訪れたのは、情報を得るためだった。

 彼女は、タケミという名の情報屋である。

 王権体制が敷かれた巨大都市——王都レグルスで、表向きには書店をやっているが、その実、彼女のもとに集まるのは、新刊ではなく情報だった。

「この街のことを知りたければ、タケミに聞くといい。あいつはなんでも知っている」と、酒場にいた大男がまるで自分の功績を自慢するかのように語っていたのを耳にし、アーサーはタケミの店を訪れた。情報を欲していたからだ。

 その書店は王都の西区にあった。住宅街からは遠く、ほとんど繁華街に位置している。入り口は小さく、一見わかりにくくて入りづらい。

 情報屋であることが知られるのがまずいから工夫しているのだろうか。

「すみません」

 入店と同時に、アーサーはおそるおそる言った。

 書店の中は静かで、とにかく狭かった。そして本が少なかった。よくこれで店として構えていられるなと、思わずこぼしてしまいそうになるほど、実際、客の姿は見当たらず、店員らしき女性も、店の奥で椅子に座って船を漕いでいる始末だ。

 やがて、アーサーの入店に気づいた彼女は「いらっしゃい」と、大きなあくびをした。

「あなたが、タケミさんですか?」

 アーサーが訊ねると、彼女は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、丸メガネをくいと上げた。

 先ほどまでの眠たそうな雰囲気は、一瞬で消え去った。

「何の用かしら?」

「情報屋をやっていると聞きました」

「うん。で?」

「あなたに訊きたいことがあって」

「訊きたいことね」

「あの、早速なんですけど——」

「その前に。わたしから先に質問してもいいかしら」アーサーの声を遮るように、彼女は口を開いた。

「なんですか?」

「わたしを襲う気なの?」

「それは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だけど」

 彼女は、細い指の先をアーサーに向けた。

「その手に持っているもの、凶器じゃないの?」

「え」

「わたしの目がほとんど光をとらえないのは知っているんでしょ。隙を狙って襲うつもりだった?」

「凶器……」

 アーサーは、自分の右手に視線を落とす。

 ナイフが握られていた。

 これをどうするつもりだったのか、アーサー自身、考えていなかった。

 ただ手にしたまま入店してしまった。それだけのことだった。

「ああ、これは違うんです」

 アーサーが答えると、彼女は目を細めた。

「何とどう違うの?」

「あなたに襲い掛かろうとしたわけじゃなくて、ここにくる途中、襲われて」

「襲われた?」

「路地裏を通っていたら追い剥ぎに遭って。見知らぬ男たちに、このナイフで脅されたんです。咄嗟に取り上げて逃げてきたんですけど、気が動転してたので、ナイフを握ったままで入ってしまって」

 ほんの少し前に起きたことを思い出しながら、情報を売ってもらうためにもなんとか信用してもらおうと、アーサーは早口に説明した。

「へえ。あなた弱っちく見えるけど、意外とやるのね」

「よく言われます。こう見えて俺、やるときはやるんです」

 慌てた素振りで、ナイフをしまう。

「ふうん、まあいいわ。とりあえず、そういうことにしておく。ただ、わたしは誰であろうと情報は等しく売るつもりよ。だから、あなたが知りたいことだって教えてあげるわ」言いながら、彼女は椅子に座り直した。

「で、あなたは何が知りたいの?」

 タケミの堂々とした態度を見て、慎重に言葉を選ぶべきかとアーサーは考えた。もしかして彼女は、侮ってはならない人種なのではないか、と。

「聖剣について、なんですけど……」

「聖剣?」

「父の形見なんです。でも、盗難に遭ってしまって。おかげで母もすっかり体を悪くして困ってて」

 こう見えても昔はやんちゃしてたんだよ、と淑やかに笑う母の姿を脳裏に浮かべながら、アーサーは言う。

 こう見えて、というのは、どう見られているつもりなのか疑問だったが、素直に口にして機嫌を損ねると後が怖いので触れないでおこう、と父と顔を見合わせて指切りしたのは懐かしい思い出だった。

「盗難届は出したの?」

「騎士団にいる知り合いに相談しました」

「騎士団ねえ」

 タケミは、暗い過去を思い出しているかのような顔を見せた。

「この街で唯一逮捕権を有する集団のくせに、事件が起きても駆けつけるのは遅いし、捜査はずさんだし、あまり信用しない方がいいんじゃない?」

「まあ、そうかもしれないですけど、俺の知り合いはとても誠実で信頼できる人です。ただ、あまり表沙汰にはしたくない事情があるので、捜査は彼一人に頼みました」

「一人で?」

「だから彼の助けになることはないかと。俺もできるかぎりのことはしようと思って」

「それで、うちにきたわけか」

「少しでも情報が欲しいので」

 なるほどね、とタケミは何度か頷く仕草を見せた。

 この与太話のような言葉を、彼女はどうとらえるだろうか。

 タケミはじっと足元を見つめ、何かを思い耽っている様子だった。

 アーサーは、彼女が何か言葉を続けそうな気がしたので、それを待っていた。

 沈黙があった。

 ――だが、しばらくして、

「残念だけど、知らないわ」タケミが言った。

「そうですか」

 アーサーはわかりやすく肩を落とした。

 その様子を見て、タケミはぱっと口を開く。

「あなた、どうしてもその聖剣が必要なの?」

「必要です」

「それなのに届は出さず、知り合いのたった一人に調査を頼んでいる」

「公にはしたくない理由があるんです」

「ふうん」

 タケミは丸メガネの縁を触った。じっとりとした視線を、アーサーに這わせる。何かを疑っている、訝しんでいるふうだった。

「聖剣なんて言葉、おとぎ話でしか聞いたことがないわ」

「みんな、そう言います」

「願いを叶えるとかいう、あの聖剣でしょ?実在するものなのかしら」

「なんというかその、おとぎ話に出てくるのとは違うと思うんですけどね」

 王都に古くから伝わる、聖剣が描かれた物語のことが、アーサーの頭にはあった。所有者の願いを叶えるという聖剣を求めて、神聖なる騎士たちが争う物語だ。

 タケミも、それを思い浮かべていたに違いない。

 ――と、思ったのだが。

「嘘、よね」不意にタケミが言った。

「え」

「あなた、嘘をついていたわよね」

 タケミの目が鋭くなったので、アーサーは肩をびくっと震わせた。

「それは、どういう意味ですか?」

「その反応もわざとらしいわ」

「はあ」

「わたしは見ての通り、目がよくないの。でも、そのおかげなのか知らないけど、目に映る以上のものが見えることがあるのよ。あなたからは、どうも胡散臭い雰囲気を感じるわ」

 タケミの視線が、いっそうに鋭くなる。

「ひょっとして、わたしを試したのかしら?」

「試したって、何をですか」

「わたしが聖剣について知っているのかどうか。あるいは聖剣について知っていて、それを隠そうとしているのかどうかを。あなたは聖剣についての情報が知りたかったというより、情報屋としてのタケミについて知りたかったように思うの。だって、わたしはあなたから聖剣について知りたいということしか聞いていないわ。普通、聖剣なんて実在するとは思わない。でも盗難に遭ったと言えば、その存在を仄めかすことができる。それでわたしからボロが出ないか、探るつもりだったんじゃないかしら」

 鋭いな、とアーサーは思った。

 情報屋とは、集まった情報の管理、提供、流れた具合の確認などを主に行い、ある程度の技量さえあれば考えなしにでもできるものであり、実際、無能な人間が副業がてら作業的に行っているものだとばかり思っていたので、彼女の指摘にはアーサーも心底、驚いていた。

 無論、彼女が言ったような企みはなかったので、誤解を解く必要があるな、とは思った。

「告白すると、半分正解です。あなたが聖剣を知っているのかどうか、かまをかけたつもりでした」

 隠していても仕方がないと踏んだアーサーは、その点については打ち明けることにした。

 それでも、もちろん何もかもを話すつもりはない。

「聖剣が存在するのは本当です。父の形見というのも。盗まれたというのも全部、本当なんです」

「でも、あなたははじめから本音を話していないふうだったわ。たとえば、ここにくる途中で追い剥ぎに遭って、気が動転してたから奪ったナイフをそのまま持ち込んだって言ってたけど、本当は護身用にわざと見せつけるようにしてたんでしょ?」と、タケミは言った後で、「蒼い瞳とブロンドヘアで、あどけない顔立ちと大人しめな雰囲気を纏っているから大抵の相手には油断を誘うことができる。しかも、それをわかってやっているのね、あなた。わたしは仕事柄いろんな人間を見てきたからわかるのよ、そういうのは」と続けた。

「俺を襲ってきた男たちは、あなたが仕向けたんですか?」

「どうかしら」

 ふう、とタケミは息を吐いた。

「正直、わたしはあなたが彼らを殺したんじゃないかと疑っているんだけど」

「どうして」

「彼らがまだ生きているとして、あなたを追うか、わたしのところに報告に来ないのはおかしいでしょ」

「しつこく迫ってきたので返り討ちにしました。全員、左足を負傷しているはずです。まともに歩けるようになるまで時間はかかる。でも、殺してはいませんよ」

「ふうん、なるほどね」タケミは悲しむ様子も怒った様子も見せず、言った。

「ああ、それともう一つ」

「もう一つ?」タケミが首を傾げた。

「あなたに言っていないことがあります」

「何?」

「実は、その聖剣が盗まれたのは、今から十年も前のことなんです」




 ――――




 結局、有益な情報は得られなかった。

 そもそも十年も前に盗まれたものが、依然としてこの街に存在しているのかすら怪しいのだから無理もないだろう。

 未だに体調の優れない母のためにと思い、駄目元ではじめた聖剣探しだが、思った以上に骨が折れるぞ、とアーサーは溜め息を吐いた。

 酒場でくだらない人生観を熱弁して威張っていた大男はまだいるだろうか。

 タケミという情報屋のことも知っていたし、彼ならば他にも何か知っているかもしれない。

 自分より一回りも二回りもガタイのいい巨躯だったので、いざ目の前にすると委縮してしまうかもしれないが、最悪、懐に忍ばせているナイフで脅せばいい。

 一歩ずつだ。

 一歩ずつ丁寧に進んでいけば、いつかは目的の場所へたどり着くことができるはずなのだ。

 まずは酒場に戻って、大男に話を聞こう。

 空を見上げる。真っ黒な景色の中で、星が輝いていた。

 ふと、女性の悲鳴が耳に届いたので、アーサーは足を止めた。

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