百済の落日

 がノおおおみおやほろぼされてらいやまとノくにはいかいがいじょうほうかくじつほそくなっていた。それはがノおみしょうあくしていたがいこうじょうじんみゃくれたのを、なかノおおかまたりにはきずなおのうりょくけているからであるということは、おおしまノにはよくかっている。しかしあにかまたりはそのでしたことがわるけっまねいているというめんようとしない。そのためにふた百済くだらせまっていることにどんかんになっていたのであった。

 ようやくばんしゅうがつ百済くだらノくにしゅっしゃかくじゅというものげてて、

新羅しらきそのちからたのみていきおいをし、となりくにむつびざりけり。とし七月ふみづきもろこしびとあわせて百済くだらかたぶくつがえしつ。きみやッこみなとりことなり、ほぼのこれるものなし」

 とこくわざわいをうったえ、これまでのせんきょうくわしくつたえた。


 シンコンキシしょうぐんクム庾信・ユシンらをひきいてそのおうクムソンたのは、すでにがつじゅんのことであった。ろくがつごろシンコンキシたいポッミンつかわして、とうライチウからうみくだって来たソ・テンパンらのたいぐんを、西にしおきかぶトクムルとうむかえさせた。

 しょしゅうしちがつここのペクチェコンキシシンへいがすでにせまっているとり、しょうぐんペクつかわし、せんごうするへいひきいて、ファンサンはらにこれをむかたせた。あいクム・ユシンひきいるぐんであった。かっせんたびたびむすんでペクチェゆうであったが、だんすきかれてそうくずれとなり、ペクせんした。

 おなテンパンぐんペクチェりょうはいってポルじょうりくした。ペクチェがわコムナルこうへいあつめてふせいだが、テンパンはこれとたたかっておおいにやぶった。

 シンぐんペクぎゃくげきがあったために、テンパンじんごうりゅうするのがやくそくよりもおくれた。そこでテンパンシンぐんとくそくするたちにあったクム・ムンヨンというものろうとした。

 シンテンパンファンサンたたかいもらずにえんざいめているとして、

われつみくしてはじけることあたわざるべし。かならとうぐんたたかい、しかのちペクチェやぶらむ」

 とっておおいにいかった。そのいかりをはっするようは、そのかみごとさかち、たちおのずとさやからおどた、とつたえられるほどであった。テンパンシンがわまんさっしてムンヨンゆるした。

 テンパンは、

へいせっそくなるをくも、いまこうきゅうなるをざるなり」

 というそんおしえをまもるつもりであった。せんそうながくとろくなことがいのである。とくこんかいはかつてれいえんせいでもある。このせんじょう兵法へいほうようえばちょうでありでもある。ちょうとはひとくにはいることふかく、くにはなれることとおところとはたたかえばき、さもなくばほろところである。こんなえんかくではへいたんせんって、ながたたかうほどめつかうのである。シンめているひまい。

 じゅうにちテンパンへいひきいてペクチェおうじょうせまった。ペクチェはまたこれをふせごうとして、ってたがやぶれ、テンパンいちまんにんあまりをころしたとしょうした。じょうほうされた。

にはかならく」

 という兵法へいほうげんそくがある。ほうじんにはあなけられていた。

 じゅうさんにちよるペクチェコンキシあんられ、太子コンセシムユンきんしんのみをれて、じょうしてコムナルじょうげた。コンキシなんテエみずかってコンキシしょうし、じょうかたまもろうとした。しかしおいムンらをはじめとしてひとびとげようとするのをおさえられず、とうじょうへきのすぐそとならぶのをきゅうはくし、ついにもんひらいていのちいをした。

 じゅうはちにちペクチェコンキシまぬがれぬことをって、太子コンセシムとともにコムナルじょうよりて、とうぐんもんくだった。テンパンはこれをもっしょうとし、ペクチェほうさんじゅうろくぐんひゃくじょうしちじゅうろくまんへいていしたとせんでんした。とうちょうていではペクチェきゅうりょうけてユンツィンハントンミェンキムリェントクアンとくき、おのおのそのしゅうけんべ、めいばってきしてとくけんれいとしてこれをおさめさせることとした。ただじょうにはろうしょうリウ・ジングェンき、えいろうしょうフヮン・ブンタクユンツィンとくとして、へいべてパクツェイちんじゅさせることとした。

 ちゅうしゅうはちがつふつテンパンらはおおいに置酒うたげをしてしょうねぎらった。そのときテンパンシンコンキシ、それにもろもろしょうぐんらはどううえすわり、もとペクチェコンキシウィチャやそのらはどうしたすわらせ、あるいはウィチャをしてさけはこばせたとう。

 このうわさいたときカクチョンこくはなれてこくかった。


 てんのうかくじゅうえあわれんでいんけんし、しょうともなってそのうったえをいた。かくじゅ百済くだらはまだけていない、しょうちち従兄弟いとこたるしちふくしんおうしつしんじゅうしんこくじょうそうりょどうちんといったりったいたちが、ったひとびとあつめてたたかっていることをげて、

ほこゆみさき戦役えだちきたり。かれすきくわりてたたかい、新羅しらきものうばいぬ」

 とそうたたかいのようそうかたる。かくじゅすくいをうと、なかノおおえノしょうちからえをするように、こんがんするてんのうげる。

 おおしは、ちがったてんのうた。はははすっかりんでこころよわり、ひとたのみをことわることのかいさにえられなくなっている。れいてつてつめんあらわしてるより、ひととともにき、たすけてやるほうぶんいことはそうであろう。しかしそんなことでただしいせいるであろうか。せいとはひとみちにしてひとならぬわざであるということを、はははかつておしえてくれたのではなかったか。


 ふゆじゅうがつになると、ふくしん使つかいがうみえていたり、きゅうえんしょうそうかんうた。ふくしんしんしょによると、がつみっりゅうじんげんへいいちまんにんもっじょうちゃくにんすると、ていほう、そのきさきおんるうら、それにしゃじゃくせんふくこくべんじょうしゃじゃくそんとうといったぞくら、わせてじゅうはちにんれて、西にしっていった。そこでしょうむかえてこにきしとしたくうんぬんとあった。

 ふくしんはこの使つかいに、というじんぶつおくってきた。百済くだらでもっともこうえいあるぞくひとである。この百済くだらぞくひたいつちけてすくいを姿すがたたことは、てんのうそんしんをいたくたかぶらせた。

 しょう百済くだらノこにきしとしててるかどうかは、このてんのういちぞんかっているのだ。おうおうとしてしょうにんするけんのうげんにこのにあるならば、われこそはいっこくくんしゅどころのそんざいではない。おううえおう、それこそがてんのうなのだ。

 てんのうかまたりめいじて、すいみことのりそうさせる。かまたりあたまなかからてんもんてきとうまみして、いまあいてきするようにつづわせる。

いくさすくいをもうすこと、古昔いにしえきけり。あやううきをたすえたるをぐこと、つねのりあらわれたり」

 うんぬんと、りっそうなもんごんつらねて、えんぐんへんせいはつれいされる。てんのうみずかちくしノくにまでいて、しゅっぺいとくれいしようとさえった。


 おおしからると、すでに百済くだらノくにほろびたあとであり、さんせんするにはおそすぎる。なにもしないほうがやはりいだろうとおもわれた。そのねんこたえるように、あに駿するがノくにつくらせていたふねが、なにかいこうされるちゅうせノくにおきていはくしたよるかぜいのにくるりときをえたというきつうわさこえてきた。

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