後崗本天皇

 としけてはるしょうがつみったから皇女ノみこ飛鳥あすかノいたぶきノみやとうきょくし、せいしきてんのうくらいんだ。てんのうだいなるじょていかしきひめノみことこうけいしゃもっみずかにんじ、そのみやこであったはりあらたにおうきゅうて、これをいんのようなかわらきにしようとくわだてて、それにえるもくざいさがさせた。

 うみきたくにぐに百済くだら新羅しらきからは、ゆうじょうきょうつくらんがために、ひんぴん使つかいがている。またあづまノくにのさらにひがしもとちかいとわれるところからは、ここすうねんたから皇女ノみこけいりゃくによって、蝦夷えみしばれるばんぞくおおじゅんするようになっていた。

 

 なつがつそらうえにしてたつってものがあった、といううわさかれた。ようぼうもろこしひとて、あおぎぬあぶらがさけ、かづらきノみねからせてこまノやまかくれた。それからすみノえまつうえあらわれ、西にしかってった。それは、

すみノえノおおかみくにようめぐりたまう姿すがた

 であるともわれたが、

ほろぼされしがノえみしノおおおみたましいかげ

 というかいしゃくほうが、なんとはなしにほんとうらしく、ひとびとおもっている。

 

 あきしちがつひゃくきゅうじゅうにんあまりの蝦夷えみしふねはこばれて、なにみなとはいった。てんのうなにわノみや行幸みゆきして蝦夷えみしむかえ、おなとき百済くだらノくに使つかひゃくじゅうにんほどもあわせて、きょうえんってかんたいした。なにわノみやにはこれまでににぎわいであった。なかノおおえノおおしノみしょう、それにんだちノいらつめんだ、おおノみのノささらノたけるノみらもれてられた。

 蝦夷えみしくにもとたかあるいは陸奥みちのくなどとばれる。そのせいかつぼくで、しんたいきょうけんものおおく、よくゆみあやつってとりけものがさず、いくさもちいればゆうもうせんになるとわれる。

「いずれのときにか」

 てんのうなかノおおにそうう。この蝦夷えみしどもはいずれなんじらせよう、そうしたらほこたせて百済くだらノくにたすけにかせるのもい。しかしそれが何時いつであるかはかたらない。

 なかノおおは、この蝦夷えみしどもを百済くだら使つかいにあたえたい、とにわかしたのであった。おおしはこんなあにて、しょうまえたよりになりそうな姿すがたえんじることで、くじけたちをなおそうとしているのだとおもった。このなんねんものあいだしょうのことなどわすれていたくせに。

 

 プンチャンにとっては、ゆめわるである。

 このとしは、とうさんせいこうていえいろくねんペクチェプンチャンちちウィチャせいだいじゅうねんたっている。としはじめに、ペクチェリョむすんでシンはんげきし、そのきたさかいおかしてさんじゅうさんじょうおとしいれたとつたえられた。

 そこでシンおうはさらにとう使つかいをつかわしてえんぐんい、こうていイェンチウとくテン・ミェンチンえいちゅうろうしょうソ・テンパンつかわしてリョたせた。なつがつミェンチンらはリョ西にしさかいなるレウシュイわたり、シンソンというところせまった。シンソンぼうせんがたでは、とうぐんぜいすくないとじょうもんひらき、ってむかたたかった。ミェンチンらはおおいにふんとうしてこれをやぶり、そのがいかくゆうらくいてかえった。

 こうしたじょうきょうは、かっこく使しゃによって、たいなくつたえられてる。こうそうゆくはどうなるかわからない。ちちからははやえんぺいせ、というさいそくおくられてる。どうすればいのかわからない。


「いずれのときにか」

 てんのうはそれが何時いつになるのかはわなかった。それでもなかノおおあきらめてはいない。つくえならべてがくもんはげみ、いる鹿ころしにしてくれたしょうだ。をふりかえっておもなかに、かたときしょうわすれたはずのないおのれいだす。そう、わすれてなどいなかった。わすれたなどとわれるのはちゅうしょうだ。しょうたすけないわけにはいかない。しかしいまくびまれたねこのようにちからなくわれである。

 あきはちがつになって、かわベノおみとうからかえり、

新羅しらき高麗こま百済くだらのためにあらされるところとなりぬ。かれいくさいだ新羅しらきたすけるべし」

 というこうていみことのりつたえたのも、なかノおおしょうにとってこころわずらわされることであった。


 かまたりかわベノおみに、じょうしょうそくたずねもしなかった。かまたりはこのごろやまとノくにきたやましろノくにやましなというところに、べっそうしつらえてそこにることがおおい。なかノおおかまたりって、やましなあそんでりょうまぎらわせる。なかノおおまれば、べっそう皇子みこかりみやということになる。

 だれかが、


あきの くさき 宿やどれりし みやの かりおもおゆ


 というぞくようげて、なかノおおかまたりなかにまるでだんじょかんけいのようなじょうがあるかのようにふうしたらしいことは、ふたかならずしもわるおもわない。


 このふゆ飛鳥あすかノいたぶきノみやさいがあり、てんのう飛鳥あすかノ川原かわらノかりみやうつった。このこともあってかわらきのみやのことは、もくざい調ちょうたつまらないままみとなった。

 よくねんてんのう飛鳥あすかおかもと、かつておかもとノてんのうしたところちかくにみやてようとおもち、そのようさだめた。高麗こま百済くだら新羅しらきからの使しゃがあったので、このていふかはなだいろまくってきょうおうかいじょうとした。ついにみやつくり、これをのちノおかもとノみやごうした。

 またこのとしには、むノみねいただきかきめぐらせて、そこにえたつきのほとりにろうかんつくったり、よしきゅうととのえたりもした。これらのさくちょうはつされるにんろううったえるこえがらぬではなかったとはいえ、しんけんちくしゅつげんおうけんしんせんでんするのにじゅうぶんであるとみられた。

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