46話 白い羽根(後編)

「えっ!?」

リルが思わず声を上げた瞬間。

久居の目の前に、見慣れない短剣が現れた。


空中、久居が手を伸ばせば届くほどの場所に。

なんの前触れなく現れたそれは、柄をこちらに、刃を向こうに向けていた。

(私を狙っていない、とすれば――!)

それを瞬時に理解した久居が、嫌な予感に突き動かされるように、その剣を掴もうと手を伸ばす。

が、それはなんの初動も反動も残さず、久居の指をかすめて高速で飛び去った。


カロッサへ、一直線に。


ハッと、カロッサが顔を上げたところへ、刃は最初からそうなるのが決まっていたかの様に、その喉を切り裂いた。


「カロッサさん!」

叫び、真っ先に駆け寄ったのはキルトールだった。


駆け寄りながら、自分側に落ちた短剣を拾い、サッと布に包む。


「カロッサ!」

「カロッサ様!」

リル達がカロッサへ駆け寄ろうとするのを、キルトールが腕を広げて制する。

「カロッサさん!?」

わずかに出遅れたレイがカロッサに駆け寄り抱き起こすと、カロッサの口からごぼりと溢れたのは、声では無かった。

首からは、とめどなく流れる鮮血。

衝撃に姿を見せた紫の大きな蝶の羽が、ハタハタと力なく動くと、鱗粉があたりに舞い散った。


「カロッサ様を治癒させてください!」

キルトールに立ち塞がれて、久居が抗議すると、

「どうしてこんな事をしたんだ!」

と、キルトールに激しく返された。


久居は、やはりそう来たかと頭の片隅で思いながらも、苦々しく尋ねる。

「私……が、やったとおっしゃるのですか……?」


「久居がこんなことするはず無い!!」

リルの叫びに、レイも

「久居には、こんな事をする理由がない」

と同意する。


「それよりも今は治癒を……」

久居が、キルトールを押し退けてカロッサに近付こうとするも、キルトールは譲らない。


「闇の者に治癒など任せられるものか。どんな酷い事になるか分からないだろう。治癒は私達でする」

キルトールはそう宣言すると、高位の治癒術師を呼ぶよう指示して護衛天使を天界へ飛び立たせた。


「っ……義兄さん、到着を待っていては間に合わない! 今は久居に……」

レイの涙ながらの訴えに

「私でも、傷を塞ぐくらいの応急処置は出来る」

とキルトールが治癒を始める。


久居は、カロッサの唇が「いいのよ」と動いたのを読んだ。

「え……?」

カロッサは死ぬつもりでいる。

その事実に久居は目を見開いた。


出血の勢いは少なくなりつつあるが、それは回復によるものではない。

キルトールの治癒の腕は、お世辞にも良いとは言えなかった。

もちろん、それがわざとである可能性も十分にあったが。

カロッサの頬に、ポロポロとレイの涙が降って来る。

「カロッサさん、もう少しです。頑張ってくださいっ!」

必死に自分を励ますレイに、カロッサは残りの力をありったけ振り絞って、握っていた羽根を差し出した。

レイが戸惑いながらも、その羽根を受け取る。

カロッサの目には涙が溜まっていたが、それでもレイに何かを伝えようと真剣にレイを見つめていた。

「気付いて……あげて……」

言葉は、やはり声にはならなかった。

ごぼごぼとした音だけがわずかに聞こえただけだった。


レイが羽根をしっかり握ったのを見届けたところで、カロッサの視界は暗くなった。


ふっとカロッサの瞳から光が失われた事に、レイは気付いてしまった。


「カ………………カロッサ、さん…………?」


レイは、目の前の出来事を、まだ受け入れられない。

だって、こんな。

こんな、……急な、別れが来るなんて……。


ついさっきまで、彼女は明るく笑って、喋っていて。

「久しぶりね。皆元気そうで良かったわ」なんて、柔らかく美しい声をかけてもらったばかりだった。


それが今、腕の中で温かい赤色に濡れている。

彼女の瞳は、最後まで自分を見ていた。

俺に何か、伝えようとしてくれていたのに。

俺は、彼女を守る事も出来ず、彼女の言葉を知る事も出来ず……。


まだこちらを見つめたままの紫の瞳。

レイは、震える指先で、そっとその瞼を下ろす。


そんなレイを残して、キルトールが立ち上がった。


「久居……。もしかして……カロッサ、死んじゃったの……?」

久居にくっついたリルの、小さな声が、とても大きく聞こえた。

返事の代わりに、ぎりっと久居が拳を握り締めた音が、リルに届く。


「どうして、こんな事をした?」

キルトールがもう一度、静かに久居に問うた。


キルトールは、カロッサの治癒をあっさり諦めて、カロッサに背を向けている。


「……なぜ、私に尋ねるのですか?」

久居が慎重に尋ね返す。


「君が短剣を投げるのを見たからだよ」

キルトールがさらりと答える。


「そんなの嘘だ!」

リルが鋭く叫んだ。

けれど、キルトールは余裕の笑みを見せる。

「どうしてだい? 羽根の持ち主も闇の者なのだろう? 通じていてもおかしくはないと思うが?」

キルトールは、自分の思った通り久居が明確な否定をしない事に、とても気分を良くしていた。


「羽根の持ち主は、レイの妹だってカロッサ言ったよ!」

そこへ、不意打ちのリルの言葉。

キルトールは激しく動揺した。

「な!?」


「……いも、うと……?」

レイが聞き慣れない単語を思わず口にする。

その言葉は、なぜかストンとレイの胸におさまった。

(……妹……、俺の、妹……)


「な、何を急に……彼女は何も言えなかったじゃないか」

銀髪の男は、明らかに狼狽えていた。

久居はその言葉が「言わなかった」ではなく「言えなかった」である事に気付く。


キルトールは、レイの記憶からリルの耳が良いことは知っていたとしても、それが一般的な鬼のそれをずっと上回るものだとは知らなかったのだろう。

リルは聞かれない限り、自分のことをあまり話さない。

おそらく、レイにも伝えていなかったに違いない。


「ボクは耳がいいんだよ、カロッサはこうも言ってた。

 カロッサを殺す人は、レイの母親を殺した人だって!!」


「……え?」

レイの上擦った声に、久居が確認する。

「レイの母君は最近無くなったのですか?」

「い、いや、もう三十年近く前の事だ……」

答えながらも、レイは戸惑う。

けれど、母は他殺ではないはずだ。

それに、俺に、妹なんて……。


そんなレイを置き去りして、会話は進む。

「では、私達はまだ生まれていませんね」

久居が、身の潔白を証明するかのように、告げた。

「なっ――!」

銀髪の男が目を見開く。

キルトールは、酷い裏切りを受けたと感じた。

怒りが猛烈に湧き上がる。

こんなはずではなかったのに。

この黒髪の男は「私がやりました」と大人しく罪を被ってくれるはずだったのに。

「そんなでたらめを信じる者がいるものか!

 私は、この目で、その男が短剣を投げるのを見たと言うのに!!」

怒鳴るキルトールを、リルが鋭く睨む。

「何でそんな嘘つくんだよ!!」

リルの、怒気をはらんだ声。

同時に、リルの周囲にわずかな陽炎が滲む。

「そちらこそ、虚言を……」

キルトールの目に、ギラリと明確な殺意が宿る。

久居は、キルトールが腕を振るより早く、火傷覚悟でリルを抱え後方へ飛び退いた。


「レイザーラ、天に仇なす闇の者たちを倒せ!!」

キルトールが、ついに討伐指示を出す。

けれど、レイは立ち上がらなかった。


「……っ、それは、できません……」

レイの言葉に、キルトールの顔色が変わる。

「……は? どういう事だ、レイザーラ」

「……」

レイは、羽根とカロッサを抱き抱えたまま微動だにしない。

「時の魔術師を殺した者を、このまま放っておくつもりか!?」

「……まだ、久居がやったと決まったわけでは……」

ギッと音がしそうなほど、キルトールはレイを睨み付けた。

「なぜお前が! 私を疑う!?」

グイと、キルトールはレイの肩を掴む。

「私が信じられないのか!? お前をここまで育ててきた私が!!」

「そ、そういうわけでは……」

カロッサを仕方なしに足元へ、それでも大切そうにそっと下ろしたレイが、キルトールを振り返る。

キルトールはレイの顔を両手で挟んだ。

間近で見ると、義兄は縋り付くような目でレイを見ていた。

怒りよりも悲しみの色が濃いその表情に、罪悪感がレイを襲う。

「義兄さん……」

「……お前は、私を信じてくれるだろう……?」

頷く事はできなかったが、首を振るなんてできるはずがない。

レイが固まったのを肯定的に捉えたのか、キルトールはふっと口元だけで笑い、レイを久居達の方へ差し出す。

「では行け!!」

バッと腕を振ったキルトールに行く先を示され、レイは思わずそちらを向いた。


リルが、来るなら来いという顔で立っている。

その向こうでは、久居が思案顔をしていた。


「レイ、ボク達の敵になるの?」

ジッとリルがレイを見上げる。


「いや、その……」

「ボクはどっちでもいいけど。その羽根は大事にしてあげてね」

リルの言葉は、冷たいのかそうでないのかよく分からなかった。

それでも、レイは静かに頷いて、羽根を防具の収納に入れた。


「リル! 炎をください!!」

久居の鋭い言葉に、リルは自分と久居を炎で包もうと手を伸ばす。


「光の雨よ、天より注ぎ、敵を打ち払え! プルウィアム・エト・ルーシェス!」

レイの陰からキルトールが放った光の矢は、レイをわずかに掠めて雨のように二人へ降り注いだ。

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