41話 闇(4/5)

「くっ!」

暗闇よりもさらに暗い闇の力は、久居自身を飲み込もうとするかのように、その身体へ絡み付いてくる。

(いけない、このままでは菰野様にも危険が!)

なんとか動く顔だけを、菰野達の眠る家へ向けると、バンと勢いよく引き戸が開いた。


飛び出してきたのは、レイだった。

青ざめた顔で、信じられない……、いや、信じたくないという目で久居を見ている。


「お前、何やって……」

じりっと一歩後退るレイに、縋るように久居が叫ぶ。

「私ごと打ち払ってください!」

次の瞬間、余計な事を言う久居の口を塞ぐかのように、闇の稲妻が大きく弾けて久居の顔が半分ほど覆われる。


闇が久居を取り込もうとしている。

ひとまずレイはそれだけ理解すると、両手を久居に向け吼える。

「光よ! 彼の者に祝福を! フィアットルクス!!」

膨大な光の奔流が久居を包む。かに見えた。

しかし光は闇に触れると端から霧散した。

「これじゃダメか!」

レイの全力で放った祝福の光は、邪悪な色をした闇にまるで対抗し得なかった。

これは、攻撃系でないとダメなのだろう。

(止めるには、久居を傷付けるしかないのか……)


「「久居!」」

背後から声が重なる。

異変に起き出したらしいリルと菰野が駆け寄って来る。

「来るな! 下がってろ!!」

レイが手で制するが、二人は立ち止まるのみで下がる気配は無い。


「ぐっ……っ……んんっ!!」

久居は菰野に何か叫ぼうとしていたが、闇に口を塞がれ、僅かに呻きが漏れるのみだった。

両手は刀と共に闇に絡め取られ、両足も地に縫い止められている。


「久居! 久居!!」

リルが泣き出しそうな声で叫ぶ。

「久居……」

菰野は、その後ろでじっと久居を観察していた。


久居は焦っていた。

闇の力は、抑え込もうと必死で抗う久居の意思に反して、久居の奥深くから延々と引きずり出され続けている。

まるで内臓を直に引き出されているかのような不快感に、目眩を起こしそうだ。

これから自分がどうなるのか久居には分からなかったが、とにかく、菰野やリルを傷付けるような事態だけは、絶対に、避けねばならなかった。


力の発生源は私だ、だが下手に意識を手放せば、この力は彼らを襲うかもしれない。

意識だけは最後まで残して、体を先に殺さなければ……。


微動だできない久居を、闇がじわりじわりと飲み込んでゆく。


「菰野、久居を攻撃するが、いいか?」

レイが久居から目を離さないままに背中で問う。

レイの肩越しに見える久居の顔は、すでに片目しか見えなかったが、その瞳には悲壮なまでの覚悟が宿っていた。


菰野はその覚悟を理解する。

(あれは、俺達を傷付けるくらいなら、自決しようと決めた眼だ。……そんなに思い詰めなくても、お前が剣を振るうなら、俺が受け止めてやるのに)

菰野は、口端にほんの少し悲しげな苦笑を浮かべると、気負わない様子で言った。


「分かった。三人で、やるだけやってみよう」


菰野の言葉にレイとリルが驚いた。

菰野は家を出る際に刀を持ち出していたらしく、それをするりと寝巻きの腰帯に通した。

「コモノサマも戦うの!?」

「うん、戦うよ」

綺麗な所作でスラリと刀を抜きながら、菰野は、ふわりと花のようにリルに微笑む。

リルは、あまりに柔らかな微笑みに、なぜかどぎまぎする。


「久居は強いぞ」

「知ってるよ」

レイの言葉にも、菰野はさらりと応えた。

「リル君、炎をもらっていいかい?」

「えっ、あっ。どうぞ」

リルが炎を菰野に纏わせる。

「わぁ、すごいね」

菰野は、怖がる風もなく穏やかに炎を受け入れた。

「ありがとう。これから久居を助けるから、炎で僕を守ってくれる?」

優しい菰野の声に、コクコクコクコクと、リルは慌てて頷きながら、五年前と同じように『やっぱりコモノサマってすごい』とぼんやり思う。

菰野が言うと、本当に久居は助かるような気がする。

ボクも、しっかり炎を出そう。

リルは不思議とすっかり落ち着いた心で、菰野に炎を送ることだけに集中した。


一方レイは、そんな菰野の姿に顔色を青くしていた。

久居がリルと二人で連携訓練をしていたときに見ていたからか、それとも、その危険性までは理解していないのか。

連携攻撃用に、レイも炎を纏ってみないかとリル達から何度か誘われていたが、レイはまだ覚悟が決まらず先延ばしにしていた。


その為、レイから見れば、自衛手段を何一つ持たないはずの、炎を纏った菰野が術者であるリルと遠慮なく距離を取ってゆく姿に、背筋が寒くすらなった。


「レイ、さっきの光るのは、久居を傷付けないんだね?」

レイの横まで来た菰野が尋ねる。

「あ、ああ。純粋な光で闇を吹き飛ばしたかったんだが、向こうの力が強すぎて、びくともしなかった」

「まだ何回か出来る?」

「全力でも二回は撃てる」

「合図したら、頼めるかな?」

久居からずっと視線を離さなかったレイが、思わず菰野を見る。

菰野は、レイとチラリと目を合わせると、にこっと笑った。

どういう事だ。と問うつもりだったレイの言葉は喉の奥に張り付いた。


既に菰野は視線を久居に戻していたが、まだ口元には笑みの形を残している。


「お前、こんな……怖くないのか……」

レイは怖かった。

闇の色も、その音も、心のずっと深いところから本能に刻み付けられた恐怖を引き摺り出されるかのようだった。

それは天使ゆえの感覚なのかも知れなかったが、それでも、こんな時に笑うような余裕は自分には全くない。

「怖くないことはないよ。ただ、目の前で久居に自害される方が、もっと怖いかな」

菰野はそう言い残すと、レイの横を通り過ぎていった。


言われて初めて、レイは気付いた。

そういう可能性があるのだという事を。


久居が闇の力を抑えられなければ、自分が、もしくは天使が何人かがかりで、久居を殺すことになるだろうとは思っていた。


だが、その前に、久居が自分で命を断つ可能性があったなんて。

考えてみればそうだ。久居がリルや菰野を攻撃するなんて事、久居自身が許すはずがない。


目の前の久居は、闇に体を抑えられているだけで、心まで奪われた訳ではないのだから。

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