41話 闇(3/5)

人気のないその朽ちかけた城は、いつも静かな場所だった。

全員が揃っていても、ほんの三人。

うち一人の顔は、まだほとんど見たことも無い。

だから、二人がいなくても、私一人でも、そう変わらないと思っていた。


……けれど、本当に一人きりで毎日を暮らしていると、おかしな事に、こんな自分でも、ほんの少し人恋しくなってしまうらしい。


男は、自分以外誰もいない朽ちかけの城で、窓の外を見つめたまま呟いた。

「……キルトール……」

空に浮かぶ月は銀色で、そこにかかった真っ直ぐな雲は、彼の長い銀髪のようだった。


彼は、サラ達と鉢合わせたりしていないだろうか。


サラは天使を怖がっている。

それなのに、私のために、と戦地に赴いてくれた。

一度たまたま助けただけの私を、父と呼び慕ってくれる。

その気持ちは有り難かったが、男には正直、戸惑いの方が大きかった。

初めはそのうち飽きるだろうと思っていたのだが、サラは一向に傍を離れる様子がなく、かれこれ八年が過ぎようとしている。


こんな。天界の転覆だけを望んで生きている、鬱々とした男の側にいては、何ひとつ楽しい事だって無いだろうに。

サラ自身も、天使に狙われているため、そう堂々とは生きられないのだろうけれど。

それでも、彼女を早く陽の光のもとに出してやりたいと、男は思う。

まだ彼女は若いのだから。

私のような男からは、一刻も早く離れた方がいい。


彼女の為にも、自身の目的の為にも、四環を集めなければならなかった。


四環を揃え、その力であの忌まわしい天界を地に落とす。


そこまで考えて、いつの間にか俯いていた男は、窓の外の夜空を仰いだ。

空にはまだ、銀色の月が長い雲を纏っている。


……天界が落ちたら、キルトールは、どうなるだろうか。


あの日だって、私は、サラを助けようとしたわけではなかった。

知らない街で、たまたま見かけた銀髪の男を、思わず追ってしまった。


人違いかも知れない、それでも、駆けて行くあの銀色の後ろ姿が諦められなかった。


銀色のまっすぐで艶やかな髪をなびかせた男は一人、街の隅で足を止めた。

そう思った。

その向こうに、追い詰められた黒い翼の少女がいる事に気付くまでは。


彼がその手を少女に向けたのを見て、思わず間に入ってしまった。


まだ、そんなことばかりさせられているのか。と。

尋ねたかったけれど、言葉が出なかった。


キルトールは、片眼鏡の向こう側で、紫がかった青い瞳を驚きに揺らしていた。


それまで、てっきり、私が彼に残した術は、効かなかったのだと思っていた。

もしくは、既に解かれているのだろうと。


けれど、彼の動揺は見知らぬ男が不意に飛び出してきた程度の物ではなかった。


あの日の彼は、おそらく、私を覚えていた……。



それなのに、彼がまだ、こんなことばかりさせられているのだとしたら。

私を覚えている事は、逆に彼を苦しめてはいないだろうか。

彼は一生、意に反する事をしながら生き続けるしかないのだろうか……。


四環を集めていれば、いずれ、彼と対峙する日は来るのかも知れない。


もし……。もし、その時、彼が私の死をハッキリと望んだら……。

私は、それを拒否することができるのだろうか。


答えの出ない問いに、男は月を見上げる。

月は、ただ冷たい銀色の光を静かに返していた。



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久居の自己鍛錬は、いつも朝一番だった。

皆がまだ寝静まっているうちに、体をほぐし、走り、刀を振る。


約束の二年が迫りつつある今、鍛錬には一層力が入っていた。


久居は先月二十三歳になり、レイの外見年齢と同じになっていた。

菰野も十七歳になり、体つきも大人に近付きつつあり、凛々しさが増してきたと久居は感じている。

リルは年齢の上では今月の終わりに十九歳になる予定だが、見た目はまだ十二〜十三歳という程度だった。


リル達が四人で暮らす民家は村はずれに建っていて、周りは田畑こそあれ、隣の家までは随分と離れていた。


久居は、普段なら鍛錬の後、皆が起きるまでに汗を流し、身支度を整え、朝食の支度をしていたのだが、この日はそうはならなかった。


久居は、家の前の少し開けた草地で自身の力で作った刀を正眼に構えている。

この刀を使うようになってから久居は、国に戻った後も、脇差すら差さなくなった。

それどころか、調理に使っている刃物も、調理道具のいくつかも、久居は自分の力で賄っていた。


そんなわけで、久居は自身の制御力にはそこそこ自信があったし、奢る事なく研鑽し続けていた。


久居は呼吸を整えると、瞼を下ろし己の力の流れに集中する。


一昨日あたりから、感じ続けていた違和感。

力が意図しない方向へ流れようとしている。

チョロチョロとはみ出しそうなそれを、ここ二日は強引に本流へと整えていたが、ふと、このまま流したらどんな形になるのか、一度試してみようと思った。それだけだった。


じわり、と慎重に制御を緩める、久居の手からわずかに逃れた力は、細く、長く、黒い筋のように柄から溢れ、次々に刀身へ巻き付くように絡み付いた。

見る間に、刀身は真っ黒な力に覆われる。

暗闇と同じ色で、時折パリパリと枝分かれして弾ける、黒い稲妻のようなそれは、ずるずると止むことなく久居の手から溢れ出し、不気味に蠢いている。


――これは、良くない力だ。

久居はそう断じ、抑えようと制御を強める。


しかし、一度許してしまったそれは、僅かな隙間から一瞬で溢れ出すと、久居の張り巡らせた制御の堤を決壊させ、氾濫を起こした。

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