40話 生きる理由(6/6)

「久居君の事で、いくつか尋ねてもいいかしら?」

「はい、私で答えられる事でしたら」


菰野の返事にひとつ頷いて、カロッサが話しだす。

「久居君が、お父さんの事をどう思ってるか知ってる?」

「そう、ですね……。感謝している部分はあるようです」

菰野が、久居の今までの言動を思い返しながら、慎重に答える。

「恨んでいる様子は?」

「私の知る限りでは、ありません」

「そう……」


カロッサは、当時の久居の淀んだ感情のいくらかが、突然居なくなった父親に向けられていたことを思い返す。

だが、今の久居は、この辺りの記憶をごっそり失っているためか、父親に負の感情は抱いていないようだ。


(だとしたら、やっぱり、この辺りの話はしないほうが良さそうね)


「あの……、久居の父は、久居に恨まれるような事を……?」

菰野が、おずおずと僅かな沈黙を破る。


「ううん。久居君の両親は、久居君の事を大事にしていたわ。闇の血を引いているのは、お父さんの方でしょうね。もしかしたら……」


お父さんが居なくなったのは、天使から、久居君やその家族を守るためだったのかも知れない。と言いかけて、カロッサは口をつぐんだ。


それを今更言って、何になるのか。

もう、久居君の家族は壊れてしまった。

今更、何を知っても、元に戻ることはないのだから。


私みたいに、久居君まで天使嫌いになる必要はない。

せっかく、皆レイ君と仲良くしてるのに、水を差すような事はしたくなかった。


「もしかしたら……?」

言い淀んでしまったカロッサに、菰野が遠慮がちに声をかける。


「ううん、何でもないわ。今日見た事を久居君に伝えるとしたら、あなたの家族は皆あなたを大好きだった、大切にしてたって事だけね」


目の前で真っ赤に泣き腫らした顔の彼女を見る限り、菰野にはとてもそれだけには思えなかったが「ありがとうございます」と答える。


「それと、もし……、この先久居君が過去を思い出してしまう時が来るとしたら、できる限り、誰かが傍にいてあげた方がいいでしょうね」

そう告げるカロッサの、眉間を押さえている指の先が白くなっている。

いったいどれほどの感情を、彼女は堪えているのだろうか。と菰野は思い計れないその先を思う。

「分かりました。ご教示、心より感謝致します」


あまりに真摯な菰野の声に、カロッサがきつく閉じていた目を開くと、菰野の栗色の瞳に、言葉通り心からの感謝が浮かんでいた。


「ふふっ」と唐突にカロッサが笑うので、菰野はわずかに首を傾げた。

「菰野君、何歳だっけ?」

「十五です」

「それで、何でそんなにしっかりしてるの?」

なぜか可笑しそうに、笑いながら言われて、今度は菰野が歳相応のキョトンとした表情に戻る。

「いえ、私などはまだまだで……」

もっとしっかりするように。と、久居や父に注意される事は多々あったが、そんな風に言われた事などほとんどなかった。

「私、今まで久居君が菰野君を守ってるんだと思ってたけど、ほんとは逆なのかも知れないわね」


まだ楽しそうに笑っているカロッサ。


菰野には、なぜ自分がカロッサに笑われているのか、よく分からなかった。

けれど、自分が久居の生きる理由になっている事は重々承知していたし、それで久居を守る事ができているのだとしたら……。


それは、生まれ育った場所を失い、生まれた意味すら見失いそうな今の菰野にとって、大きな生きる理由でもあった。


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「何か持ってる」

ぽつり。とラスの隣で黒翼の少女が呟いた。

二人は、いつも一人でやってくる天使が珍しく三人で降りてきたので、標的の家が見える距離に潜んで様子を窺っていた。

少女は今、翼を黒いローブに変えていたが、それを解こうかどうしようかと視界の端で揺らしている。

少女の感じた『何か』が四環だと言う事は、フードを被った少年鬼にも分かった。

「置いて帰ると思うか?」

ラスの言葉に、サラは即答する。

「思わない」

「だよな」

ならば、その環を手にするために、戦闘は免れないだろう。


けれど、とラスは思う。

まだ天使達が降りてすぐの今、上から仲間が見張っているかも知れない。

そうなれば、戦闘が始まってすぐに援軍が来る可能性は高い。

それに、中で暮らすあの人間は、きっと、何も悪くない。

天使にいいように言われて、毎日修練していた。あの人を殺したくはなかった。

なんとか、あの人間がいない場所で天使達と接触できれば……。


……しかし、そんな事で躊躇っている場合では無くなってしまった。

なぜなら、サラがもう駆け出してしまったから。


「ちょっ、待てよ! もうちょい様子を見てから……っ!」

慌てて後を追うラスに、サラが足を止めないまま短く答える。

「煩い、弱虫」

「――……っだとコラァ!!?」

少年鬼の纏う空気が変わる。

サラはほんの少し口端を上げると、目前に迫りつつある家へ腕を伸ばし、思い切り大きな魔法陣を編みつつ、思う通りに伝える。

「チビ、役立たず」

「お前なぁっ!!」

少年が怒りを纏うと、彼を包む炎は黒い色へと変わった。

もっと早く本気を出せばいいのに。とサラは思う。

この少年は、甘いのだ。

色々と甘すぎる。

サラはここしばらくこの小鬼と一緒にいて分かったことがあった。

この小鬼は、サラが思っていたほど弱くは無かった。

ただ、人や、天使を殺したがらない。

相手はこちらを殺しに来るのに。

殺せるなら、全部殺せばいいのに。

「私は、あれを持って帰る。父さんのところに」

「っくそ!! 分かったよ!!!」

後ろを来るラスが纏う炎をもう一回り大きくする気配に、サラはもう一度小さく口端を上げる。

けれど、彼は甘いから。

私が行けば、置いては行かない。

どうやらあの小鬼は、私よりもずっと小さな身体をしている癖に、私の事を年下で守るべき対象だと思っているらしい。

それなら、それを利用すれば良いだけだった。


サラは、伸ばした腕の先に二枚目の魔法陣を重ねて編む。

家の中では、異変に気付いた天使達の気配が揺れている。が、家から飛び出すまであと三秒ほどはかかりそうだ。

それなら、私の風がこの家を吹き飛ばす方がずっと早い。


一人二人逃がしても、きっとこの鬼が焼いてくれるだろう。

この鬼だって、今まで生き残るために、たくさん殺してきたはずなんだから。


サラは、人に期待しないことを常としていた自分が、今、ラスの動きを期待しているという事に気付かないまま、多重魔法陣を作動させた。

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