37話 再覚醒(1/6)

本日二度目の治癒の後、再度目覚めた菰野は、フリーと並んで正座させられていた。


「で、お前達はどういった関係なんだ?」


二人の前で、丸太の椅子に腰掛け腕を組むクザンの質問に、その場にいたほとんどの者が(……殴ってから聞くんだ?)と思った。


「フリーさんは、私の恩人です」

そう間を置く事なく、菰野が真っ直ぐクザンを見上げて答える。

「恩人?」

「はい、森で具合の悪くなったところを助けられました」

「……結界か」

と呟いたクザンが、はっと顔色を変える。

「それはお前、フリーに、キスされたって事か……?」

わなわなと目前に両手を広げるクザンに、フリーが慌てて叫ぶ。

「お、おでこだから!!」

それはクザンにとって、フォローではない。

「なんで額だよ! そんなん手だって足だっていーだろ!?」


その言葉に、リルが耳まで赤くして、そっと俯く。

そんな姿に気付いたリリーが「あらあら?」と心で呟いた。

三年前、リルもまた、久居に結界内への侵入を許可していたはずだった。

一体何処に口付けたのだろうか。と、リリーは久居を盗み見る。

けれど久居はいつもと変わらぬ……いや、いつもよりほんの少し眉を寄せて、真剣な瞳で菰野を見つめていた。


「そもそも迷い込む奴が悪いんだ。ほっとけよ。下手に関わるからこんな事になるんだろ?」

クザンの言葉に、フリーが腰を浮かせる。

「違うのお父さん! 菰野は私の怪我を手当てしてくれて……きっと途中で少しずつ具合が悪くなってたんだと思うの。でも、私が動けなかったから、無理して……」

じわり、とフリーの目に涙が浮かぶ。


はぁ。とクザンは心で大きくため息をついた。

思った通り、久居の主人は悪い奴じゃないらしい。

先に殴っといて良かった。

こんな事情を聞いてからでは殴り辛かっただろう。


どんな事情であれ、娘の三年を奪い、リリーやリルや久居に辛い思いをさせた事実は変わらない。

そんな奴をタダで許せるほどの広い心は持ち合わせていない事を、クザンは自分で分かっていた。


クザンは、目の前の二人をよく見る。

菰野は相変わらず真摯にこちらを見ている。

派手に殴られた後だというのに、こちらに怯える様子もなく、人でない者達に囲まれても尚、落ち着いた態度を見せていた。

歳はフリーのひとつ上らしいが、今の姿を見る限り、とてもそうは思えない。

膜の中で眠っていた間は、もっとずっと幼い風に見えていたが。

もうちょっと狼狽えたり、情けない姿を見せてくれれば、少しは溜飲も下がっただろうか。

いや、それはそれで、何でこんな奴の為にとイラつくだけなのかも知れない。

フリーは、目に涙は滲ませているものの、キッとこちらを向いていて、菰野を悪く言うようなら噛み付いてやるとばかりのオーラを放っている。

……一体どういうことだ。


「じゃあ、お前達は恋仲だったりはしないんだな?」


問われた二人が揃って頬を染める。

お互いをチラと見て、目が合って、慌てて視線を逸らすところまでが全く同じタイミングだ。

クザンのこめかみに青筋が浮かび上がる。

「……おい、返事はどうした」

言葉に苛立ちが滲む。


「あらあら……クザン、それは二人の問題よ。そんな風に問い詰めるものではないんじゃないかしら?」

リリーの声に、クザンがそちらを振り返る。

愛妻の宥めるような視線に、クザンはグッと息を詰め、バリバリと頭を掻き毟る。

「っくそっ。リリーが言うんじゃしゃーねぇな」

クザンが二人に向き直ると、菰野は姿勢を正した。

フリーはそんな菰野の横顔をまだじっと見つめている。

クザンは、そんな娘の姿に苛立ちを残したまま、なかば叫ぶように問う。

「次の質問だ! お前はどうしてそんな怪我をしたんだ?」


経緯は久居から聞いていたが、クザンはこの男の答えが聞きたかった。



問われて、菰野が僅かに目を伏せる。

『どうして』と問われても、それは、菰野にも分からなかった。

菰野はほんの先程のような、昨日のような、それでいてずっと昔だったような、義兄との会話を胸に蘇らせる。

「どうして」と問いかけた相手は「理由などお前が知る必要はない」と答えた。

「昔からずっと気に食わなかった」とも言われたが、そう告げる葛原の瞳は、嫌悪ではなく、悲しみの色に染まっていた。

おそらく義兄は……、私に、せめて嫌われたかったのだろう……、と菰野は思う。


……父が生きていた頃ならともかく、父亡き後、私を殺す理由は何だったのだろう。


「従兄に斬られました。理由は、分かりません」

菰野は、できる限り心揺らさぬように、分かる範囲の事実を伝えた。


あんなに悲しそうな瞳をして、私を殺さねばならなかった理由は何だったのか。

私が死ねば、義兄は本当に、城で一人きりになってしまうのに。

菰野の胸に、あの城で一人ポツンと過ごす葛原の背が浮かぶ。


あれから三年も経ったと聞いた。

義兄はお元気なのだろうか。

私を斬った事に、お心を痛めてなければ良いのだが……。


クザンは、じわりと暗い影を滲ませる少年を前に、ほんの少し考えてから、直球で尋ねる。

考えたって分からない。

駆け引きがクザンに向いていない事は、自分が一番よく分かっていた。


「お前は、そいつに殺されかけてどう思った? 相手も死ねばいいと思うか?」


聞かれた菰野が一瞬キョトンとする。

そして僅かに瞳を揺らすと、祈るように言葉を紡いだ。

「いえ……兄様には、できる事なら幸せになっていただきたいと、心から願っています。……お忙しい方ですから、御健勝であればと……」


そんな菰野の切実な願いに、それを腕組みして聞くクザンの顔色が、芳しくない。

よく見れば、こめかみに一筋、汗がつたっている。

菰野は、湧き上がる嫌な予感に視線で久居を見る。

久居はその視線から逃げるように、黒い瞳を伏せた。


「ま……、まさか……」

答えを求めてクザンをじわりと見上げる菰野の声が、僅かに震える。

しかし、声を上げたのはフリーだった。

「えええ? 菰野、あの怖い人の事好きなの!?

 菰野の事、殺――してないけど、殺したようなもんでしょ!?」

理解できないという顔で、フリーが菰野に訴える。

菰野は、フリーから見た葛原の行動を考えれば、それもそうだろうと頷こうとして、次の言葉に驚かされた。

「それにあの人、私の事も殺そうとしてたよ!?」

「――フリーさんを……? 僕の後に? どうして……」

菰野の中に、また葛原の姿が蘇る。

幼い自分を、愛しげに目を細めて眺めてくれた、まだ若い頃の義兄の姿が。

「え、分かんないけど、菰野の許に送ってやるって……。すごく優しそうな顔してたのが、余計怖かった……」


フリーの言葉に、菰野はようやく理解した。

全ては義兄の、義兄なりの優しさだったのだと。

義兄は、菰野を譲原に……、いや、譲原に、菰野を会わせてやりたいと、思っていたのだ。


今までの義兄の不可解な行動に、ようやく納得出来る答えを出せて、菰野は小さく震えた。

なぜなら、それがもしそうなのだとしたら、義兄だけがいつまでも一人きりで、どうしたって救われない。


きっと義兄は、私を殺した後に、フリーの事も、久居の事も殺すつもりでいたのだ。

……私が、向こうで寂しくならぬように……。


溢れ出しそうな涙を、菰野は歯を食いしばって堪える。

少しでも気を逸らそうと顔を上げれば、フリーは青ざめた顔をしていた。


フリーはどうやら、蘇らせてしまった記憶の中の殺意に、恐怖を呼び起こされてしまったようだ。

まっすぐ向けられた葛原の殺意は、それまでそんなものと無縁だった少女の胸に、強烈に残ってしまったのだろう。

菰野は、ぞくりとした悪寒に背筋を震わせたフリーの背へ、慰めようと手を伸ばしかけ……、クザンの威圧に動きを止めた。


久居が、菰野の察しの良さにホッと胸を撫でおろす。

なんとか三度目の治癒は免れたようだ。


菰野は手を引っ込めはしたものの、言葉でフリーを慰め始める。

「怖い思いをさせてしまって、ごめん。僕のために、本当にありがとう。

 僕がこうして生きているのは、フリーさんと、フリーさんの父君と……ここに居る皆さんのおかげだね」


感謝を浮かべて優しく微笑む菰野が、まだ葛原の死に激しく動揺し心を裂かれている事に、気付く者がいるとしたら、それは久居だけだろうと、菰野は思っていた。

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