30話 地動説(後編)

「まあまあ、二人とも。今日のところは離してあげて?」

レイを引き止めようとするリルと久居に、カロッサが苦笑を浮かべつつ声をかける。

「確かに私も心配ではあるけど、朝まで上空へ避難していれば大丈夫だと思うわ。……空竜には無理をさせてしまうけど……いいかしら?」

カロッサが腕の中の空竜を撫でる。

「きゅぃ!」

空竜は力強く答えると、するりと腕を抜け、シュルシュルと大きさを変えてゆく。


一晩中飛べと言われた空竜には申し訳ないが、久居も、それなら襲撃に遭う可能性は低いだろうと納得する。

「……分かりました」

久居の言葉を聞いて、リルが寂しそうな表情を浮かべつつも、レイの翼を手放す。

「すまないっ! 明日、朝日と共に来る!! カロッサさんを頼む!!」

叫ぶように言い残すと、レイは暮れゆく空へ駆けて行った。


「レイ君、間に合うかしらねぇ……」

その後ろ姿……というよりも、レイはほぼ垂直に天に昇っているので、尾羽の生えたお尻に向かってカロッサが呟く。

「何に間に合うの? 天使は、お家に帰る時間が決まってるの?」

リルの質問にカロッサが答える。

「日没に間に合うかな? って思って。途中で日が暮れちゃったら大変だからね」

と、少しだけ心配そうにカロッサが笑うのを見ながら、久居も、地下でのレイの様子を思い、彼が無事に帰り着けることを祈った。

「レイのお家は遠いの?」

リルの質問に、カロッサがうーん。と首を傾げる。

「距離で言えば、今は遠いわね。天界は常に太陽の元にあるから」

「でも、レイは太陽の方に行かなかったよ?」

「今から夕陽を追いかけても、もう間に合わないからでしょうね。それより高いところに行く方が日の光をまっすぐ浴びられるんじゃないかしら」


空竜が最大の大きさになるまで、まだもうしばらく時間がかかる。

久居はこの隙に、少し早い夕食の支度に取り掛かっていた。

リルは久居の指示で荷物から食器を取って来て以降、久居に甘えるようにくっついて、夕飯のメニューを尋ねたりしている。

久居は、手持ち無沙汰になったらしいカロッサに、さり気なく、ここまで気になっていた事を尋ねてみる事にした。

「レイさんは、天界には夜が来ないと言っていました。……私にはそんな世界は想像がつかないのですが、天界や獄界というのはこことは完全に別の世界という事なのでしょうか?」

「んー。完全に別の世界なら、それはそれで、良かったんでしょうけどね……」

カロッサが困った風に苦笑する。

「天界は、単純に高速で移動しながら常にお日様の下に浮いてるだけの馬鹿でっかい空中都市よ。私からすれば、獄界の方がよっぽど別世界かしらね」


「常に、太陽の下に……」

まだ理解の範疇を超えている様子の久居に

「あ、もしかして、久居君達は、まだこの大地が丸い事とか、くるくる回ってる事とかは……伝わってない土地の人……?」

と、カロッサが気遣わしげに尋ねる。

「ボクは知ってるよー。学校で習う事だからって、お母さんが教えてくれたの」

不登校児のリルがえへんと胸を張る。

久居は、お椀を抱えたまま「不案内で申し訳ありません……」としょんぼり頭を下げた。

「久居君が謝る事じゃないわ。ちょっとややこしい話になるから、ご飯でも食べながら話しましょうか」

カロッサが笑いながら「私も支度手伝うわね」と久居に数歩近づいた時、リルが鋭く叫んだ。


「下から来る!!」


「空竜さんっ、カロッサ様を!」

久居が「失礼します」と言いながらカロッサを抱き上げ、空竜へ投げる。

「わきゃぁ!?」

空竜は大きくなる作業を中断すると、それを慌てて嘴でキャッチして中途半端なサイズのまま背に乗せる。

リルも、久居に言われる前に空竜へ走り出していた。

「飛べますか!?」と聞かれた空竜が返事の代わりに飛び立ったところへ、足の遅いリルをサッと小脇に抱えて久居が飛び乗る。


飛び立つ空竜の尻尾に、炎の蛇が迫る。

「炎を私に!」

久居が抜刀する仕草と共に、その手にスラリと長い刀を模した力の結晶が生まれる。リルが間に合わないときのため障壁で刀を補助する支度をしつつ、その切っ先を迫り来る蛇に定めたとき、刀に炎が灯る。

「ありがとうございます!」

礼の言葉を気魄の声代わりにして、久居が蛇を切り捨てる。


が、蛇が一匹でない事は、既にリルも久居も分かっている。

「リル、皆を炎で守ってください」

「うん、頑張る」

既にかなり大きくなった空竜は、敵からすれば当てやすい的だ。守るにはこれしかない。

ぶわっとリルから炎が迸り、空竜、カロッサ、久居を包む。

「ひやぁ……」

先ほどの会話を聞いていたらしいカロッサの小さな悲鳴に、久居は後ほどの謝罪を誓いつつ、二匹目三匹目の襲撃に対応すべく、地上に姿を現したカエンへと意識を集中させる。


「やあ、今朝ぶりだね。元気にしていたかな?」

まったく意味のない挨拶をして、地上へ完全に姿を現したカエンがにこりと笑う。


(一人、なのでしょうか)

周囲の気配を慎重に探る久居に、リルが叫ぶ。

「あっちとこっちにもいるよ!」

リルが指す方向を、カエンから視線を外さないまま久居は感覚で確認した。


「ちっ」

右後方からそろそろ聴き慣れてきた舌打ちが聞こえる。

「あいつ耳おかしいんじゃねーの?」

「この距離で気付くとはな」

左後方からは渋い声。


レイは「自爆した」と言っていたが、久居には彼らからそれほどの忠義は感じられなかったので、大男が生きていた事に驚きは無かった。

それよりも、そんなに簡単に騙されてしまって良いのかと、頭の隅でレイの観察力を少し疑う。


「やれ」

カエンが短く告げると、両後方から炎が舞い上がった。

炎は空竜ではなく、カロッサとリルを狙う。

陽動だと分かったところで、久居に選択肢は無かった。

久居がそれを凌ぐ隙に、カエンの蛇達がズルリと空竜の両翼に巻き付く。

「クォォォォンッ!!」

空竜がなんとか振り払おうと羽ばたく。

しかし、蛇達はギッチリと空竜を地上に繋いでいた。


「……さて、交渉といこうかね?」

カエンが落ち着いた声で告げる。

対等な交渉などできるはずもない状態で、カエンは扇を開き、優雅に微笑んだ。

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