31話 火柱(前編)

「私が用があるのは、環と小鬼だけでね。

 その二つを差し出すなら、竜と魔術師は逃してやろう。どうだい?」


カエンがにこりと、さも良い提案だとばかりに微笑む。


環だけならまだ渡せたが、リルを渡せというのは呑めない。

「……この子を、どうするつもりですか……」

久居が、低く唸るように聞き返した。


「なにも殺す気はないよ? 私はそれの父が嫌いでね。良い機会だから代わりに嬲ってやろうかと思うのだよ」


さらりと、カエンが当然の事ように答えたが、それは久居を動かすのに十分な言葉だった。


「分かりました」


久居の答えに、カロッサが慌てる。

「えっ、ちょ、久居君!?」


「リル、私と来てもらえますか?」

振り返り、リルに手を差し出す久居。

リルは、その手を見る。

まっすぐ、躊躇いなく差し出された手は、震える様子もなく、耳に届く鼓動や呼吸も乱れる様子はない。

久居の顔を見上げるも、その表情から久居の心は読み取れなかったが、目が合って、久居が眉を寄せた。

痛そうな顔。それはリルがよく知っている、久居の顔だ。

「すみません、怖い思いをさせてしまうかも知れませんが……」

いつものように久居が謝ったので、リルはなんだかホッとして

「うん、頑張る!」

と、元気にその手を取った。

この先自分がどうなるかは、考えないようにして。

だって、考えると怖くなりそうだったから。

一度足が竦んでしまったら、次に動きだすのが大変になっちゃうだろうし。

久居がおいでって言うんだから、行った方がいいに決まってる。


「待って、ちょっと、二人とも!?」

カロッサが空竜の首に近いところから叫んでいるが、この揺れの中で立ち上がる事はできないようだ。

翼の両付根を炎の蛇に縛られながらも、なんとか空中で羽ばたく空竜が、渋々という仕草で尻尾を地上に向ける。


「空竜さん、ありがとうございます。カロッサ様を、よろしくお願いします」


リルをひょいと横抱きにすると、久居がその尻尾を滑るように地上に降りる。


それなりの高さがあったので、着地の衝撃を和らげるために障壁を二つほど使う。

久居の腕の中で、リルは離れた空竜達へ炎を残しておく事に注力しているようだった。


「では、空竜さんを離していただけますか?」


カエンがなぜか嫌そうな顔になっている。

蛇達がするりと空竜から離れ、空竜が勢いよく上空へと駆け上って行くのを見て、ようやくリルが向こうへ注いでいた炎をそっと収める。


「……もっと抵抗されると思っていたのだけどね? 竜を虐め損なって残念だよ」

彼の表情の理由を知り、納得した久居と、嫌悪感を顕にするリル。


長身の鬼と大男も三人でリル達を囲むように、じわじわと距離を詰めてきている。


「これ、落ちてたぜ」

ひょい、と長身の男が、久居の足元に何かを投げた。

コンと音を立て、コロコロと地面を転がるそれは、凍結膜に丸く包まれている。

あの草陰に置いてきた久居の切れ端が、長身の男の手にあったという事は、少なくとも多少の時間稼ぎにはなったのだろう。


「わざわざ拾ってきてくださったのですね」

「うっわ、嫌な言い方」

久居の言葉に、長身の男が顔をしかめる。が、ニヤリと笑い「でも、お前が降りてきてくれて、俺は嬉しいぜ? 借りはたっぷり、返してやるからな」と、ギラギラした眼で久居を見た。

そんな長身の男が、炎と共に一瞬で吹き飛ぶ。

リル達は、何もしていなかった。


「私の話の邪魔はしないでほしいね?」

カエンが眉を顰めて言う。どうやら、カエンが横から炎で吹き飛ばしたらしい。

反対側から、大男の小さなため息が聞こえた。


久居はカエンから視線を外していなかったが、長身の男を見ていたリルは、吹き飛ぶ男に「わぁ」と小さく驚きの声を上げ、その後の姿に「ひどい……」と呟いた。


「リル、炎をお願いしますね」

「うん」

「頼りにしています」

「うん!」

久居はその背にリルを庇うよう立っていて、顔は見えなかったが、リルは力一杯頷いた。

ぶわっと、二人を包む炎が大きく明るくなる。


「おや? 抵抗はこれからかい? そうこないとね」

カエンがそれはそれは楽しそうに含み笑う。

「ふふふ、殺さない程度に、痛め付けてあげようね」

歪んだ口元を隠すように、カエンが扇を広げる。


カエンの言葉に久居が内心で同意する。

(ええ、それは、私も同じく思っていますよ。

 ここでリルを諦めていただかないと、先で困りそうですからね)


久居が静かに両手を腰の左側に回す。

リルもカエンも、大男も、刀を抜くものと思った。が、わずかに漂ったのは冷気だった。

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