7話 遺失(2/9)

助けを求めるフリーの声は、遠く離れたリルの耳にも届いた。

(フリーの声だ!!)

久居に渡された首巻きを頭に巻き付けて、草陰から遠く城を見つめていたリルが、フリーの声が聞こえてきた方向へ目をこらす。

(聞こえる距離に居るんだ……!)

城にはたくさんの小さな建物が集まっていたが、おそらくあの辺りの建物だろう。

きっと、近くに行けばもっと正確に位置がわかる。

そう思ってしまうと、リルは居ても立っても居られなくなった。

(ここで……待ってるって約束した……………………けど……)

ぎゅっと、小さな手を握り締め、リルは精一杯耳を澄ませた。




「いけません、菰野様っ」

櫓の裏では、久居が、今にも飛び出しそうな主人を力尽くで押さえ込んでいた。

「葛原様に直接刃向かえば、この城では生きてゆけませんっ」

「しかし……っ!」

小声で鋭く忠告する久居に、菰野は表情を歪ませる。

菰野は、先程のフリーの声が、恐怖に染まり涙に滲んだその声が、自身の名を呼び助けを求めたという事実だけで既に心がいっぱいで、何かが溢れてしまいそうだった。

「葛原様が外に出るまで、どうか堪えてくださいっ」

「くっ……」

歯痒さに心を掻き毟られながらも、じわりと視線を落とした菰野の目に、帯とともに揺れる帯飾りが映る。

菰野は少女の無事を祈りながら、それを握り締めた。

(フリーさん……っ!!)


久居は、何とか落ち着きつつある主人の様子に胸を撫で下ろしながら、その手に込めていた力をじわりと弱める。

それにしても。と、久居は努めて冷静に辺りの気配を探る。

配備されていた兵たちは、この櫓に一切近寄ろうとしない。

遠巻きに包囲されているようではあるが、これは罠だと考えて間違いなさそうだと、久居は判断する。

そうなればやはり、ここへ飛び込む事は菰野の命を直接危険に晒すようなものだ。

久居は、菰野にとって最良の選択をするべく、必死で思案する。


しかし、櫓の中では、既に葛原が行動を起こしていた。

「やっ……、ちょっと、何するのよっ!」

少女は精一杯身を捩って抵抗したが、ほとんど意味をなさない。

フリーの背後に回り込んだ葛原は、さして気にする様子もなく、フリーの背に挟まれていた布を引き抜いた。

布の下には、服の間に先端を差し込まれた四枚の翅があった。

(翅が……、正体がバレちゃう!)

フリーが動揺する。

菰野が既に近くまで来ている事は、自分を助けに来てくれた事は分かっているのに。

(今……菰野に見られたら……)

みるみる青くなる少女の顔色に、葛原は満足気に呟いた。

「やはりそうか……。菰野はお前の本当の姿を知らないんだな」

(え……?)

フリーは、思わず男を振り返る。

(この人は、私の事を妖精だと知ってて……?)


腕組みをしたままフリーの背をじっと眺めていた男は、おもむろにその背に手を伸ばした。

肌に伝わる男の指先の感触に、フリーの背筋をぞくりと嫌悪感が走る。

「菰野によく見えるよう、出しておくか……」

葛原は、肌と翅との間に指を差し入れると、くいとそれを引き上げる。

不安と恐怖に、フリーの肩がびくりと震えた。

一枚、また一枚と四枚の翅を全て服の外に出し終えて、葛原はどこか感心したように呟く。

「本当に……肌から直接生えているのだな……」

葛原は、肌と翅との生え際を確かめるように指でゆっくりとなぞる。

硬いトンボの翅のようなそれは、確かに、少女の柔らかな肌から生えていた。

「ーー……っ」

フリーの瞳から、堪えきれず涙が零れた。

この翅を見られてしまったら、きっと菰野は気付いてしまうだろう。

私が、ずっと、彼を欺いていた事に。

彼はきっと……傷付くだろう。

私を助けてくれたのに。

いつもあんなに、優しくしてくれたのに……。

(菰野……!!)

少女は、どうすることもできず、栗色の少年の名を心の中で叫んだ。


葛原が、フリーの髪を結んでいたリボンをほどく。

スルリとほどけたリボンから、隠されていた二本の触角が勢いよく立ち上がる。

フリーは、触角までもが知られていた事に青ざめた。

「これが触角か。まるで虫だな」

蔑むような言葉とは裏腹に、どこか楽しげに葛原はそれへと手を伸ばす。

「あっ!」

葛原の指先が触覚の先端に触れた途端、少女は弾けるように全身を震わせた。

思わぬ大きな反応に、葛原は一瞬目を見開く。

が、すぐに得心がいったとばかりに、ほくそ笑んだ。

「……なるほど。”触角”か……」


葛原はもう一度、無抵抗な少女の頭から緩やかな曲線を描いて伸びる、金色の細いそれへとゆっくり手を伸ばす。

少女は、不安と恐怖に染まった瞳で男を見上げた。

怯え、硬く強張る全身が、カタカタと震え出す。


葛原は、震える少女の触角を、根本から先端へと確かめるように指先で撫でる。

「やっ……」

先端に向かう程に少しずつ細くなるそれは、ピンとした硬さを保ちつつもしなやかで、人の身にはあるはずのない感触だった。

「……いや……」

触覚の先端は、髪と同じような黄色で、雫型のような形にふっくらと膨らんでいる。

「あっ……!!」

そこへ触れた途端、少女はびくりと跳ねた。


その声は、塞がれた窓の下で息を潜めていた二人の耳にも僅かに届いた。

「菰野様!」

勢いよく立ち上がる菰野に、久居が焦り、手を伸ばす。

「まだいけません! 中には葛原様が……」

「構わん!!」

久居の制止の声は、きっぱりとした菰野の声に掻き消される。

「え……」

菰野は既に駆け出していた。

「行くぞ! 久居!!」

付いて来いとばかりに声をかけられて、久居は菰野から手を離していた事を激しく悔いながら後を追った。

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