7話 遺失(1/9)

窓の塞がれた薄暗い櫓の中、フリーは天井から水平に吊られた鉄の棒に、両手首と両肩を革ベルトで固定され、その上から鎖で縛られていた。

そう高い位置ではないが、地につかない程度に浮いた足元には、重そうな鉄球が転がっている。

鉄球から伸びる鎖は、細い両足首をまとめて革ベルトで固定されたものへと巻き付いていた。


未だ意識を失ったままのフリーの後ろでは、ただ静かに葵が控えていた。



一方、菰野は久居を共に城を駆け回っていた。

二人は、先ほどまでと違い、腰に刀を差している。

菰野の表情には、じわりと焦りが滲んでいた。


既にあちこちを調べたが、葛原の姿は、思いつく限りのどこにも無かった。

城を行き交う者達が普段通りの生活をしている様子から、まだ騒ぎにはなっていないようだが、そうなる前に見つけ出さねばならない。

菰野は、焦る心を握り潰すように、鞘を握る手に力を込めた。


そこへ、槍を手にした歩兵達がぞろぞろと移動しているのが目に入る。

(兵達が移動している!? まだ交代の時間ではないはず……)

菰野は歩をゆるめると、慎重に息を整えながらその集団へと近付いてゆく。

菰野のすぐ後ろで久居が緊張を高めるのを、菰野は感じ取る。

けれど、止める様子は無さそうだ。


「菰野様!」

最初にこちらに気づいた男の声に、兵達は礼の姿勢をとった。

「ああ、そのままでいい。お前達はどこへ向かっている?」

兵達が槍を下ろし膝を付いたのを見て、久居がホッとする。

現時点では、兵達に菰野を直接捕らえるような命は出ていないようだ。

「乾の櫓にて待機とのお達しがありまして……」

菰野の問いに、最初に菰野に気付いた男が答えた。

「そうか。引き止めてすまなかったな」

菰野は兵達に笑顔を見せると、向きを変え駆け出した。

「皆さん、移動はゆっくりで結構ですよ」

久居が、少しでもと思ったのか、そう兵達に言い残して後を追う。

元々雑談をしつつぼちぼち移動していた兵達は、素直に「はい」と答えた。


菰野の奥歯がギリッと嫌な音を立てる。

(乾……山側じゃないか!!)

自分達が真っ先に通り過ぎたその場所に、彼女が隠されていた事に、菰野は苛立ちを抑え切れなかった。

(あの辺に人を匿えるような場所なんて……)

そんな主人に、久居は追いつき助言する。

「亥の方角寄りに、使われなくなった太鼓櫓が残っています」

久居はチラと残してきた兵達を見る。

元から緊急性を感じていなかった兵達は、久居の言葉でさらにゆったり構えているようだったが、今日に限っては都合が良かった。

(彼等は、私達を取り押さえるための配備ですか)

久居は以前からの疑問を、もう一度頭の中で繰り返す。

葛原がフリーを連れ去った理由は何なのか。

本当の狙いはどこにあるのか……。

菰野は、葛原の地位を脅かすような存在にはなりえない。

そもそも、菰野を亡き者にして得をする者など城には存在しない筈。

(それなのに、以前から菰野様はお命を狙われ続けてきました……)

久居の脳裏に、あの不気味な笑みを滲ませた葛原の姿が浮かぶ。

(どう考えても、最悪の結論しか出ないようですね……)

損得でないとすれば、もうそこには私怨しか残らない。

となれば、話し合いでの解決は非常に困難だろう。


「あれか!!」

元太鼓櫓が石垣の陰から姿を現すと、久居の前を走る菰野がさらに速度を上げた。

久居は、自身より小柄な主人に飛び付くようにして、それを制す。

「いきなり飛び込むおつもりですか!」

止められた菰野は、明らかに焦りを浮かべている。

久居は努めて冷静に告げた。

「まずは、少しでも中の様子を探りましょう」

「ああ、そうだな……」

眉を寄せて答える菰野の姿に、久居は気を引き締める。

(私がしっかり、菰野様をお守りしなくては……!)


二人は人目を避けつつ、櫓の周りをぐるりと確認する。

櫓は窓を塞がれ、扉も鉄製のものへと変えられていた。

一体いつの間にこんな改築を行なっていたのか。

久居は声が届く事を祈りつつ、塞がれた窓の下で囁いた。

「フリーさん。聞こえますか、フリーさん」


しんと静まり返った薄暗い櫓の中で、ピクリと、長く柔らかい耳が小さく震える。

「う……ん……」

フリーは、誰かに呼ばれたような気がして、ゆっくりと目を覚ました。

手を顔に引き寄せようとするも叶わず、かわりにガチャリと金属の擦れる音がする。

「え……」

フリーの両手、両肩は、革ベルトと鎖で一本の金属棒に固定されていた。

棒は宙吊りになっているのか、足は地に付くことなく浮いている。

(な、何これ!?)

フリーがあまりの不測事態に言葉を失っていると、すぐ近くから見知らぬ女性の声がした。

「葛原様、目覚めました」

「そうか……」

そう間をおかず返ってきた男性の声も、やはりフリーには覚えがない。

櫓の隅に蹲るように座っていた葛原が、両手に包んでいたガラス瓶のようなものを懐に仕舞い込むと、立ち上がる。


(わ……私、人間に捕まったの……?)

状況を把握しようとして、フリーは部屋を見回しながらも、捕まる前の事を思い返す。

確か、意識を失う少し前に、そこにいる女性の姿を見た気がする。

二階建て以上の高さをぶち抜いてあるような建物は、高さこそあるものの、広さはさしてなかった。

部屋の隅にほんのいくつか木箱が積んであるだけで、がらんとしている。

木箱の陰から、見たことのない男がのそりと姿を現した。


「フリーさん、聞こえますか?」

そんなフリーの耳に、小さく、けれどはっきり自分の名を呼ぶ声が届いた。

「菰野様にお仕えしている久居と申します。ご無事でしたらお声をお聞かせください」

菰野の名を告げるその声に、フリーは藁にも縋る思いで叫ぶ。

「た、助けて!!」

明確な返事に、櫓の外で二人が顔を見合わせた。

「少なくとも、口は動かせる状態のようですね」

久居の言葉に、菰野も頷く。

「ああ、意識もはっきりしているようだ……」

それを知れただけでも、菰野は胸を押し潰しそうだった焦りが軽くなったのを感じる。

(フリーさんは、こんな小さな声も聞き取れるのか……)

菰野は安堵しつつも、初めて知ったその聴力に驚いた。


「そう大きな声を出すな」

櫓の中では、フリーの声に葛原が答えていた。

自身へ向かってくる男の姿に、フリーが身を強張らせる。

「心配せずとも、そのうち菰野が助けに来る。お前はそのための人質なのだからな」

「……え。どういう事……?」

葛原は、この異形の者と言葉が通じるという事実に、思わず口元を綻ばせる。

(これなら、菰野が来るまで退屈せずにすみそうだ)


フリーは、眼前の男が暗く浮かべた笑いに、背筋を凍らせる。

その笑いはどう見たって、良いものには思えなかった。


そこへ、中の様子を知ろうと、菰野が呼びかける。

「フリーさん、中に何人いるか分かるかな?」

いつもの温かい菰野の声は、今のフリーには酷く懐かしく感じられた。

「黒尽くめの女の人と、烏帽子を被った男の人だけ? もしそうなら、もう一度叫んでもらえる?」

優しく問われて、思わず息を吸い込んだフリーが、男のさっきの言葉を思い出す。

『お前はそのための人質なのだからな』と男は言ったはずだ。

(不用意に呼んじゃダメだ……。これは、菰野を嵌めるための罠なんだから……)

言葉を飲み込んだフリーへ、目の前の男が無遠慮に手を伸ばす。

「え……」

男の手は大きく、フリーは身動きが取れない。

突然の事に思考が凍り、少女は底知れぬ恐怖を感じた。

(やだ……っっ、怖い!!)

反射的に、ぎゅっと目を閉じたフリーの頬を、男の指先が掠める。

瞬間、少女は叫んでいた。


「助けて! 菰野!!」

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