パンケーキを召し上がれ

四十物茶々

パンケーキを召し上がれ

その日は、朝から酷い雨だった。バケツをひっくり返したような激しい雨が打ち付ける中、ミミはお気に入りのピンクのストラップ付のヒールを履き、フリルの沢山ついたワンピースを身にまとって地下鉄の出口に立っていた。


「今日はミミの好きな何とかって生クリームたっぷりのホットケーキ食べようぜ」


恋人の陽介からの提案だった。昨日の晩に明日は雨が酷いとちゃんと進言しておけばよかったなとミミは汚れる足元を見て溜息をついた。

陽介はきっと来ない。先ほどミミが駅に向かっている途中、陽介と仲睦まじそうに腕を組んで歩く女を見た。

ミミの渾身の甘ロリ衣装を指さして「何あの女。痛いよね」と大口を開けて笑った女。

下品なほど短いパンツに、海でしか履かないであろうビーチサンダルを履いて、谷間を強調するようにパッドで盛り上げた胸をわざわざ陽介の逞しい腕に当てる仕草は、女というより発情期の雌だった。


あの時の陽介の顔が忘れられない。


困惑するような、絶望したような、悪戯が見つかった子供のような、あんなに表情が無くなった陽介の能面な顔を、ミミは見たことがなかった。

陽介とは幼馴染だった。幼い頃から母の影響でロリータを着ていたミミは、この服に身を包んでいる間はお嬢様だった。

お嬢様のミミを陽介は常に可愛いと褒めはやしてくれた。そんな陽介はミミにとってナイトだったのだ。だが、ナイトが不貞を働いていた。

あんな下品な女が好きだったなんて聞いてない!ミミの心は降り続く雨のように荒れていた。


約束の時間はもう30分も超過している。取り出したスマホには一件のメッセージも入っていなかった。どうやらボイコットするつもりらしい。

悔しい!ガツンと磨き抜かれたヒールで壁を蹴るミミを周囲の人間は嘲わらった。


ピンクのフリルがついた傘を取り出して、ミミは雨の中を歩く。

降りしきる雨は容赦なく高い服を濡らしていくが、ミミにはそんなことどうでもよかった。さっきの女のように大股で歩くミミを不思議そうな顔をして子供たちが振り返る。

普段のミミはお嬢様だから、決してこんな野蛮な歩き方はしない。

でも、今は悔しくて、悔しくて速く歩けば歩く程、背中から嫌な気持ちが抜けていくんじゃないかと思って歩き続けた。


「ミミ?」

背後から慣れ親しんだ声色が聞こえて、ミミは立ち止まる。顔を見られるわけにはいかない。今日は飛び切り素敵にメイクしたのに残念ながらすべて流れてしまった。パンダになった顔を曝すわけにはいかない。

下唇を噛んで、俯き震える耳の肩を優しい手がそっと触れた。

「ミミ?」

心配するようなソプラノボイス。陽介とは違う優しい声色。ミミは頭を振った。

「何で泣いてんの?あー…もう、折角のウォータープルーフもぐちゃぐちゃじゃん。」

「陽介が……」


思わず漏れた言葉は驚く程弱弱しく、風に押し曲げられてしまった。「え?何?」怪訝そうな顔をして女はミミの頬を撫でる。


「パンケーキ食べに行こ」


ミミの手を掴んで女はやや強引にミミを店に押し込んだ。本当は陽介と来るはずだった店だ。ミミの眉がぎゅっと寄るのを見て女は鼻を鳴らす。


「ナナちゃん」


ナナと呼ばれた女はミミの向かい席に座って鞄の中を開けた。持ち歩きらしいメイク落としシートをミミに突き出し、「トイレで顔流しておいで」と笑う。

ナナは、ミミのもう一人の幼馴染だ。小さなころから野蛮で、女の子遊びが好きなミミを家から連れ出しては探検だ!と町を練り歩いた。

それは、大学生になった今もそれは変わらず、夜遅くまでギターを弾いては、親に怒られている声が家の壁越しに聞こえる。


「さっき、陽介に会った。テニスサークルの女と一緒だったね」


すっかりメイクを落とし、ソバカスまみれになったミミのヘッドドレスを直しながら、ナナがそう語った。そう広くない町だ。街に出たら友人知人に会うというのも珍しくない。

今日のミミのように。


「アイツ、あたしを見てなんて言ったと思う?」

「?」

「“ミミをよろしく”ってさ」


イライラしながら煙草に火を付けようとするナナを「ここ禁煙だよ」と押し留めてミミは、震えるスマホを取り出した。通知には、一軒の未読があると表示されている。

震える手でそれを開くと、「もう終わりにしよう」という一文だけが画面に踊っていた。

何を終わりにする気なのか、何をしようというのか、ミミには全く理解できず眉を寄せる。

ミミの既読がついたことを確認したらしい陽介から容赦なく続きの文言が送られてくる。


「好きな人が出来た。もう、ミミの騎士はしてられない」


あふれ出る涙を見て、ミミからスマホを奪い取ったナナは怒りに任せて机を強打した。振り返る周囲の人々に頭を下げ、机に突っ伏してゆるゆると頭を振るミミの頭を撫でながら、ナナは高速で指を動かし、画面をタップした。

ナナの怒りに任せて殴り書いた文言が電波に乗って陽介のスマホに送られる。


「お待たせいたしました。苺のパンケーキとクリームチーズのパンケーキでございます」


机に突っ伏していたミミは慌てて体を持ち上げて机を開ける。そこにスマートにパンケーキ皿を滑り込ませて店員は「紅茶の方」とミミとナナを交互に見た。おずおず手を上げるミミに笑顔で紅茶のポットとカップを差し出し、ナナにはコーヒーカップを差し出す。


「ご注文は以上でよろしいでしょうか。あ、こちら、どうぞお使いください」


お手拭きを丁寧に握らされてミミはぽかんと口を開けた。


「あんた酷い顔だよ」


ナナが笑いながらコーヒーをすする。

ミミは釣られて笑いながらパンケーキを口に運んだ。こんな日でもパンケーキは美味しい。ストレスを感じると味覚がなくなる人もいるというが、ミミはそれに該当しないらしい。

自分の身体の頑丈さを喜びながらもう一口、パンケーキを口に運んだ。


「ゆっくり召し上がれ。あいつがナイトを辞めるならあたしがなってやるからさ」

「ナナちゃん?」

「ずっと牽制されてたんだぜ?やっと離れていきやがった。あたしの勝ちだな」


にっこり笑うナナの顔はそこら辺の女子など到底敵わないほど気高く、美しかった。

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パンケーキを召し上がれ 四十物茶々 @aimonochacha

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