第十七話『黒髪の少女』


 ふと、目が覚めた。おぼろげな意識の中、セリカが薄く目を開く。

 いつの間にか寝ていたらしい。一体、自分がいつ眠っていたのかがよく分からなかった。




「うーん……」




 思わず目を擦りながら、セリカは唸りながら思い出そうと試みる。

 確か、ルミナとノワールの三人でカードを使って遊んでいたはずだった。ノワールが異常なまでに強すぎて、それがイカサマを使っていたからだと知り、セリカはルミナと揃ってノワールに怒ったりしていた。

 そんなことがあったりして、長い時間三人で遊んでいる内に――いつの間にか寝ていたのだろう。セリカはそう結論付けた。

 どれぐらい寝ていたのだろうか。そんなことを思いながら、心地よい寝心地だったベッドからセリカが起き上がる。

 徐に自分が寝ていたベッドをセリカが見るが、一緒に寝ているはずのルミナがいなかった。

 そのままの流れで、セリカが隣のベッドに視線を向ける。きっとノワールと一緒に寝ているのだろうか。きっとお子様なルミナなら彼と一緒に寝ていても、何も疑問はなかった。

 しかし隣のベッドに、ノワールはいなかった。




「……どこ行ったんだ? あの二人?」




 眠気に襲われながら、セリカが呟く。

 ノワールのベッドの傍に大きな鞄が置いてあることから、宿屋から二人がいなくなったわけではないことは分かる。

 それならどこに行ったのか、そんな疑問をセリカは再度目を擦りながら思っていた。

 だがそれも、眠気の前にはどうでも良かった。セリカはまたパタリとベッドに横たわる。そしてそのままベッドの心地よさに吸い込まれそうになった。




「あら? もうお子様はおやすみかしら?」




 ふと、セリカの耳に聞きなれない声が聞こえた。

 大人びた艶のある声色。まるで大人の女性が近くにいるような感覚だった。そしてどこか、恐ろしいと感じてしまいそうな底冷えするような声だった。

 その声を聞いた瞬間――文字通り、背筋が凍った。セリカは反射的にベッドから跳ね起きると、思わず声の方へ向いていた。




「どうしたの? 急に起きて怯えた顔をして? なにか怖い夢でも見たのかしら?」




 くすくすと、笑い声が部屋に響く。

 セリカはその声の主に視線を向けて、その声の主を見た瞬間――眉を寄せていた。

 部屋にある窓が開け放たれ、その縁にそっと座る少女がいた。

 肩まで伸びた黒い綺麗な艶のある髪。その黒い髪が少女の白い肌を異様なまでに綺麗に見せている気さえした。

 そして少女は自身のその紅い目を、セリカへと向けていた。




「…………?」




 その黒髪の少女の視線を受けながら、セリカが困惑する。

 この部屋には自分とルミナ、ノワールの三人しかいない部屋のはずだった。他の誰かが使っているなど、ノワールとルミナからセリカは聞いていない。

 あえて言わなかったのか、そんな疑問が浮かんだがセリカはそれを違うと判断した。

 短い付き合いだが、ルミナの性格は把握している。もしこの部屋に四人目の宿泊者がいるのなら、間違いなく口にしているはず――なら目の前にいる黒髪の少女は誰なのか?

 セリカはそう思いながら、視線の先にいる黒髪の少女を凝視する。

 そしてセリカが黒髪の少女の顔を見て、その視線を下へと下ろしていくと――彼女は思わず、目を大きくした。




「もしかして……」




 窓に座る黒髪の少女の着ている服装を見た途端、セリカが酷く動揺を見せていた。

 黒髪の少女が着ている服に、セリカは見覚えがあった。花の模様が描かれた寝間着、それはルミナが着ているはずのものだった。そして彼女の左手にある黒い皮の手袋、間違いなくルミナが身につけている物だった。

 そう思い、再度セリカが黒髪の少女の顔を見る。印象的な黒髪と紅い目で気づかなかったが、彼女は“そのこと”に気づくと――理解ができなかった。




「まさかお前……ルミナなのか?」




 間違いなく、ルミナと瓜二つだった。全く同じ顔のはずなのに、色が変わり、そして全てが違っていた。

 目の前の黒髪の少女にルミナのような明るい表情など一切なく、外見と顔つきが釣り合っていない奇妙さがあった。

 セリカがそう問うなり、黒髪の少女がくすくすと笑っていた。




「ふふっ……そんなに私と“あの子”は似ているかしら?」

「似てるなんてもんじゃねぇよ。そのまんまだろうが」




 笑う黒髪の少女に、セリカが怪訝な表情を作る。

 似ているなんてものではない。同じとしかセリカには思えなかった。




「あらあら、そんな反応をされたのは意外だわ。私としては、ノワールの時のような反応を期待していたのだけど?」




 黒髪の少女の呟きに、セリカが眉を寄せる。

 しかし黒髪の少女はセリカの反応を全く気にも留めないように、一人でくすくすと笑うだけだった。




「その服……アイツが着てた服だ。それにその手袋……お前、一体誰なんだ? ルミナじゃねぇだろ?」




 目を鋭くさせて、セリカが黒髪の少女に問う。

 セリカから威圧感を向けられて、黒髪の少女は心底意外そうに目を僅かに大きくしていた。

 そして黒髪の少女が楽しそうな笑みを浮かべると、彼女はセリカに興味津々と言いたげに目を細めていた。




「面白いわね……あなた」

「ッ――!?」




 黒髪の少女の笑みを見た途端、セリカの背筋に悪寒が走り抜けた。

 向けられる黒髪の少女の赤い瞳に凝視されて、心臓を鷲掴みにされたような感覚が胸に痛みを作る。



 そしてセリカは直感した――自分は死ぬと。



 それは昼間に傭兵達に殺されかけた恐怖とは、比にならないほどの鮮烈な死の予感だった。

 思わず、セリカが瞬きをする。そして彼女が目を開けると――いつの間にか、黒髪の少女が自分の目の前に移動していた。




「ッ――‼」

「ああ、だめよ。そんな顔をしたら、興が冷めてしまうわ」




 声を殺して表情を恐怖に染めたセリカに、黒髪の少女はゆっくりと首を横に振りながら、笑った。

 あり得ない。セリカが目を大きくしながら、動揺した。

 目の前にいたはずの黒髪の少女は、間違いなく窓に座っていた。

 自分がいた場所から近いと言えど、瞬きの間に物音ひとつせずに移動するなどできるわけがない。

 動こうにも、腰が抜けて動けなかった。目の前の黒髪の少女から逃げようと試みるが、セリカは表情を引き攣らせながら震えていた。




「そんなに驚いて……もしかして、私が怖いの?」




 黒髪の少女が穏やかに頬を緩めながら、セリカの頬に手を添える。

 まるで氷のように冷たい手だった。ルミナのような温かい手ではなく、セリカの頬に感じるのは、冷たい感触だけだった。




「お前……誰なんだよ!?」




 それでも声を震わせながら、セリカは問うた。

 目を鋭くさせ、目の前にいる黒髪の少女に精一杯の抵抗を向けて。




「良いわ。あなた、とても良い目をしてる」




 そんなセリカの表情が気に入ったのだろう。黒髪の少女は嬉しそうに笑っていた。




「良いから……! お前は、ルミナじゃないなら誰なんだよ……!?」

「私? ああ……そうだったわ。確か“あの子”も言っていたわね……まずは自己紹介をするのだったわ」




 楽しそうにくすくすと、黒髪の少女が笑う。

 そして黒髪の少女はセリカの頬に添えていた手を自分の胸に添えると――静かに自身の名を告げていた。




「私のことは――アタラクシアと呼びなさい。そうね……長い名前で面倒と思うのなら、シアとでも呼びなさいな?」

「アタラクシア……? 一体、なんだんだよ? お前?」

「あなたの知る言葉でいうのなら、私は“魔女”。素敵な素敵な……ただの“魔法使い”よ」




 そう言って、黒髪の少女――アタラクシアは、小さく微笑んだ。

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