アタラクシアの夜、ルミナの朝 〜魔法が自由に使えない世界にて、純粋無垢な銀髪少女は夜になると自由に魔法を使える最強の黒髪魔女に変わってしまいました〜

青葉久

プロローグ『夜になると、魔女が出る』

 夜になると――魔女が出る。

 そんな言葉が、世の中にある。それは幼い子供を家の外に出さない為に、大人が使う常套句だった。

 その言葉の由来は、この世界の誰もが知っているとある御伽噺から始まった。

 悪い魔女がとある国で、夜に外へ出歩いた子供を大勢殺してしまう話。しかしその物語の最後は、勇者によって悪い魔女が退治される。そんなありふれた御伽噺だった。

 子供はその話が本当に起きたことだと心から信じ、大人にそう言われると子供達は言われるがままに夜に外に出ようとしない。だが、そんな子供も大人になるにつれて理解する。




――この世に、魔女なんていない




 魔法を自由自在に使える魔女――魔法使いなど空想の話。そんな“当たり前”を大人になるにつれて、子供は理解するようになる。




――この世に、自由に使える魔法など存在しない




 世の中の常識を知れば知るほど、子供が大人になれば、その御伽噺があり得ないことだと分かっていく。

 上限の決まっている魔法。使用回数の決まった魔法。そして使える者が限られる魔法。




――魔法には、制限しかない




 それがこの世界の常識だった。

 制限の決められた魔法が当たり前だということが常識になれば、否応にも理解する。

 魔法を自由に使える魔女など、存在しないということを。

 魔法には、制限しかない。自由などもない。それがこの世界の人間が持つ魔法というモノの共通の認識だった。




「あら? 早いお目覚めね? もしかして何か嫌な夢でも見たのかしら?」




 夜空の満月を眺めて少女が、戯けるように呟いた。

 開け放たれた窓から差し込む月の光が、窓に座るその少女を照らす。艶のある黒髪が輝き、少女が微笑む。




「…………」




 そんな少女を、青年が見つめていた。眉を吊り上げ、警戒心剝き出しの鋭い目で、その少女を睨む。




「そんな目をしてどうしたのかしら? 私の顔に何かついていて?」




 青年の視線に気づいたのか、少女が彼を一瞥する。そして彼女は楽しげにくすくすと笑みを浮かべていた。




「……」




 しかし青年は窓に座る少女に、怪訝な表情を見せるしかできなかった。

 実のところ、青年には何が起きたのか分からなかった。

 いつものように自室で眠っていた。しかしふと起きると、自室の開けられた窓にいつの間にか、一人の少女が座っていた。

 知らない人間が突然自室に現れたことに気付くと、咄嗟にベッドの傍に置いていた細身の剣を手に取って跳ね起き、目の前にいる少女と対峙しながら、青年はこの現状を把握するのに僅かに時間を要した。




「――お前、誰だ?」




 そしてどうにか現状を理解して、絞り出すように、青年が視線の先にいる少女に問う。

 だが――本来なら、青年は目の前の少女を知っているはずだった。

 青年が知るのは、銀色の髪をした少女だった。決して黒い髪の少女ではない。

 青年が知っているのは翡翠の大きな瞳に、可愛げのある顔立ちの無垢な少女だった。間違っても紅玉の瞳に、歳不相応な妖美さを醸し出す異様な少女などではない。

 だが、青年は無意識に理解してしまっていた。この目の前にいる少女が、自分の知る少女と“同じ”だということを。

 髪の色、瞳の色、表情、全てが違うはずなのに――色以外が全く同じだった。顔立ち、髪型、体型、全てが彼の知る少女と一緒だった。

 まるで知っている少女が別の何かに変わったようなその不気味さに、青年が思わず腰に差していた剣を抜こうとする。




「そんな無粋なことはおやめなさい」




 パチンと、少女が指を鳴らした。

 そうすると少女の指から発せられた音と共に、青年の腰に差されていた剣は何かを引っ張られるように青年の腰から勢いよく飛び離れていた。

 唐突に剣が自分の腰から離れたことに、青年が目を大きくする。その表情はあり得ないと言いたげで、酷く動揺していた。




「何を驚いているの? 不思議はことはないわ。あなたも知っているはずよ? これは単なる簡単な魔法だわ」




 そう言って、少女がくすくすと笑う。

 しかし青年は動揺しながらも、反射的に身構えていた。目の前にいる少女を警戒し、自身で最大限のできる抵抗を行う。

 少女は自分に警戒心を向ける青年を見ると、心底残念そうに口を僅かに尖らせていた。




「そんな態度を取られるのはとても心外だわ。少しは落ち着いて私とお話をしようと思わないのかしら?」

「どんな神経してたら、この状況でお前なんかと話なんてできると思ってんだ?」

「はぁ……強情な人ね。そうね、なら……とりあえず」




 そんな青年に、少女が呆れたように小さく溜息を吐いた。そして彼女が面倒そうに右手の人差し指を青年に向けて、くいっと下に向ける。




「――まずは座りなさい」

「がッ――!」




 そうすると、青年の身体は少女の人差し指の動きに従うように床へ這い蹲っていた。

 青年が体勢を立て直す為に立とうとするが、何かに縛り付けられたように彼の身体は床から起き上がらない。

 突然の出来事に理解が追いつかない青年の前に、ふと窓に座っていた少女がいつの間にか彼を見下ろすように立っていた。




「一体、お前は――なんなんだ?」




 這い蹲りながら、青年が自分を見下ろす少女を睨みつけながら問う。

 その青年の問いに、少女は何かを考えるように顎に手を添える。そしてまたくすくすと笑いながら、彼女は答えていた。




「私は、ただの魔法使いよ。そうね、あなたの知る言葉で言うなら――魔女と言ったところかしら?」

「魔女? なにをふざけたことを……?」




 青年の言葉を聞いて、少女が心底楽しそうにくすくすと笑う。

 少女の紅玉の瞳が、青年を愛おしそうな視線を向ける。その表情は楽しそうな笑みを浮かべていた。




「私はあなたと楽しいお話をする為に出てきたの。さぁ、この私とお話をしましょう? 付き合いなさい、ノワール?」




 不気味なその少女の有無を言わせない態度に、青年――ノワールはただ彼女を見上げることしかできなかった。

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