シスターさんは賞金首で吸血鬼

赤月鵯

シスターさん

『【急募】この女を殺してください!【賞金あり】』


 大通りを歩いていると、奇妙なものが目に入った。

 物騒な言葉が書かれた大きな看板だ。下向きの矢印が看板の根本を強調している。

 矢印が示す先にいるのは、一人のシスター。そして、横には一人の兵士が立っている。


 柱に繋がれた彼女は大通りを行き交う人たちに虚ろな目を向けている。

 しかし、そんな怪しい人物に自ら進んで関わる人はいない。彼女は避けられ、その周辺だけぽっかりと穴が空いたみたいになっている。


 その光景は、飲食店の立ち並ぶ通りの中で酷く悪目立ちしていた。


 『この女を殺してください』? その文字だけで意味がわからない。それに修道服を着ているし、シスターさんではないんだろうか?


 とにかく怪しさ満載だ。お金が貰えるのは気になるけれど、ここは他の人と同じように見なかったことにしよう。


 行き先に足を戻そうとした、そのとき、

 虚ろな目をしていたはずのシスターさんとばっちり目が合ってしまった。


「あ」


 おまけに目が合った拍子に間抜けな声まで出てしまった。


 それを機に、シスターさんは表情に色を取り戻していく。試すように僕を眺めたかと思うと、ニヤリとその口の端を吊り上げた。その笑みは、まるで獲物を見つけた肉食獣のよう。


 あ。やばい。


 急いで道を戻ろうとするも、


「おにいさーん! おーい!」


 シスターさんの声が呼び止める。いや、まだだ。もしかしたら僕じゃないかもしれない。


 可能性を信じて振り返るも、もちろんそんなことはなく、シスターさんは僕に向かって繋がれていない片手を大きく振っていた。


 人々の視線が僕に向けられているのを感じる。お前がどうにかしろと言わんばかりに。


「はぁ……」


 こうなってはどうしようもない。観念してシスターさんの元へと向かう。

 シスターさんは近づいた僕を見るなり、花の咲いたような笑顔を作る。


「お兄さん助かったよ~。ありがとね!」


「あはは……」


 対して、ぎこちない笑いを返すことしかできない。嫌な予感が背中を駆け抜けている。もう一刻も早くここから立ち去りたい。その一心だ。


 シスターさんと数言交わしていると、兵士がやる気のなさそうな声で話を切り出した。


「お前がこいつを引き取るのか?」


「はいはーい。そうでーす! お兄さんがアタシに一目惚れしちゃったんだって」


「いや、ちがっ」


「でもさっき熱心にアタシのことを見つめてたじゃん」


「それは……」


「やっぱり! 惚れちゃったのか。やー、罪な女だなぁアタシ」


「いや、それは、お金が貰えるって書いてあったからで!」


 シスターさんは身をくねくねさせる。

 惚れたとかじゃないのでやめてほしい! 本当に!

 なんて僕の言葉は聞き入れられず、話している間に兵士がシスターさんの手錠を外した。


「ほら、もういいから行け」


「はーい」


 解放されるや否や、さっさとどこかへ行ってしまうシスターさん。

 兵士は曲がり角まで目で追った後、僕に向き直った。


「あの人は一体? それと賞金っていうのは?」

「ああ。賞金が出る。まぁ、殺せたら教えてくれ」


「え、ええ?」


 看板の内容は本当だったらしい。『殺せたら』だなんて、まるでシスターさんが簡単には死なないみたいな言い方だ。


「それじゃ、頑張れよ」


「ええ?」


 兵士は適当に僕をあしらうと大通りを歩いて行った。

 え、どうすればいいんだこの状況。


「……ちょっと、シスターさん!」


 とりあえず、重要人物っぽいシスターさんの後を急いで追いかけることにした。



 シスターさんは店で買い物をしていた。呑気に鼻歌なんて歌いながら商品を手に取る姿は、とてもさっきまで囚われの身だった人には思えない。


「あの」


「おー、さっきのお兄さん。どうかした?」


「どうかしたって。シスターさんはさっきまで捕まってたんですよね?」


「うん。お兄さんの見てた通りだけど?」


 シスターさんは片手間に応答する。僕の方を向こうともしない。


「シスターさんは何をしたんですか? 『殺してくれ』って言われるほどなんて……」


「んー?」


 いよいよ質問にも答えず、自分の買い物に夢中になっている。

 訳も分からず身柄を押し付けられたかと思えば、何も話してくれない。思わず声を大にする。


「いや、あの!」


「ねぇ、お兄さん。どっちが好き?」


「え?」


 そう言ってシスターさんが掲げたのは二つの服。


 片方は花柄模様が適度にあしらわれた白色で清楚なワンピース。

 もう一方は腰から裾が垂れ下がった装飾の、綺麗な女性が着ていそうなドレス。


 言われたまま見比べるも、背の高いシスターさんにはどちらも似合いそうだ。

 強いて言うなら、フードから覗かせる艶を放つ金髪には、白い服の方が良さそうに思える。


「そっち白い服の方が……ブフッ」


 いいと思います。という言葉を続かせることは叶わなかった。


 なぜなら、両手に持った服の間、シスターさんが着ている修道服。その胸元の上半分がばっさりと開いていることに気が付いたからだ。


 そこから形を見せるのは、肌色をした二つの大きな球体の見事な曲線美だ。


 なんで⁉ この人シスターじゃないの⁉


「ちょっと! なんですかその服⁉」


「え? やだお兄さん。エッチ」


 シスターさんはニヤリと笑うだけで、胸元を隠そうともしない。


 こ、この人わざとやってる!


 うろたえる僕の様子なんて見越していたかのように、シスターさんは気にすることなくワンピース以外を戻しに行った。


 もはやシスターなのかも怪しくなってきた。気さくそうな人柄だから、悪い人に見えなかったけれど、予想以上に危ない人なのかもしれない。

 自分のやってしまったことに内心震えていると、シスターさんが近寄って来た。


「お兄さぁん」


「なんです、かっ⁉」


「お兄さん、財布、持ってたりしない?」


 シスターさんは僕にもたれかかるようにして、その身を寄せてくる。


 腕はその豊かな双丘に包まれるようにして、直に肌の感触が伝わる。

 囁く声は耳に、何とも言えない震えが全身を駆け抜ける。

 どこからか、本能を揺さぶるような良い匂いが鼻腔をくすぐる。


「ささささ財布ですね?」


「ありがとねー!」


 経験したことのない感触に脳のほぼ全部が機能しなくなり、気が付けば財布を渡してしまっていた。

 あれが大人の女性の魅力…?


 さっきまでの温もりを確かめるように、半ば反射的に腕をさすっていると、


「ありがとうございございました~」


「ちょっと!」


 修道服を着た後ろ姿が店の外に出て行った。慌てて後ろを追う。

 追いつくと、シスターさんは上機嫌そうに微笑んで歩いていた。


「あの、シスターさん!」


「あ、お兄さん。財布ありがとね」


 財布が投げ渡される。元から軽かった財布がさらに軽くなっている。あんまりだ。

 しかし、渡してしまった僕も悪いので文句は言えない。今はとにかく、これ以上振り回されないようにしなければ。


「それはもういいですけど! どこに行くんですか⁉」


「あー、どこに行こうかな?」


「え? 行く場所とかないんですか?」


「あるにはあるけど、まだ時間じゃないだろうし。うーん」


 歩みを止め、僕の全身を見定めるような視線を巡らせる。


「そうだ!」


「?」


「お兄さんの家、ここの近く?」



 またしても流されるようにして、案内させられた。

 やってきたのは小さく、ボロボロなアパートの一室。


「あら、なんにもないじゃない」


「引っ越してきたばっかりで…… 家具を揃えるお金もなくて」


 ははは、と愛想笑いで誤魔化そうとするも、シスターさんはそもそも興味がないらしい。

 ベッドに腰を下ろしたシスターさんはその感触を確かめている。


「すみません椅子もなくて。そのベッドも硬いですよね……」


「ううん、大丈夫」


「あ、今お茶出しますね」


「いいよそんなの。いいから、こっちに来て?」


「?」


 座ったシスターさんは下を向いたままの状態で僕を呼ぶ。

 体調でも悪いのか? 不思議に思いシスターさんに近づくと、ふと、シスターさんが顔を上げた。


 綺麗な赤色の目と視線が合った。


 そこから、目の前にいるシスターさんしか見えなくなった。


「おいで?」


「…………」


 シスターさんは、近くで見ると整った顔をしている。

 きめの細かい肌。ピンク色でつやつやとした唇を舌がぺろっと舐めた。その仕草に情欲を煽られる。

 身体に手を伸ばす。柔らかな肌は僕を受け入れて離さない。


 両手が僕の頭の後ろに回される。

 血に濡れたような瞳は吸い込まれそうなほどの輝きを放つ。その瞳から目を離せない。いや、離したくない。


 ああ。この人になら僕は殺されても――


 そして、シスターさんが僕の首に頭をうずめようと、


「エリックさん! いるんでしょ!」


「え?」


 ドアが開けられる。横を向くと、大家さんが立っていた。

 大家さんは俺を見ると呆れたように息を吐く。


「こんな真っ昼間から女なんて連れ込んで…… 家賃は早く払いなさいよ! 全くもう……」


 そんな捨てセリフを残すと、出て行った。


「……」


「……」


 大家さんが出て行ったドアから視線を戻す。

 目の前には、僕に押し倒されたシスターさんがいた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 慌てて離れるも、シスターさんは無言だ。さっきまでの飄々とした様子は見られず、仰向けになったまま動かない。


「大丈夫ですか⁉」


 近寄って、その顔を確認する。

――その口から、二本の尖った犬歯を覗かせていた。


「ばあ」


「うわああああ!」


 思わず腰を抜かして後ずさる。ゴン、と鈍い音を立てて背中が壁にぶつかった。


「あーあ。バレちゃったか」


 呟くと、シスターさんは身体を起こす。重力に逆らうように、人間離れした動きで上半身だけが起き上がった。


「あ、あなたは一体…⁉」


 シスターさんは、底意地の意地の悪そうな笑みを浮かべる。牙も相まって、まるで人間ではないかような迫力を醸し出す。


「アタシ? 吸血鬼ヴァンパイア


「ヴァンパイア?」


 吸血鬼。その特徴は不老不死。しかし常に人の血に飢え、吸血することによって生き長らえる、らしい。


 目の前のシスターの服を着た人物は、不敵な笑みを浮かべている。目は笑っていないのがその証拠だ。人間から感じる迫力ではない。これが吸血鬼。


 まんまと彼女にたぶらかされたことを思い返して、凄まじい悪寒が駆け巡る。

 慌てて、首元を確かめる。傷も痛みもない。


「ふふっ。平気だよ。噛む前に邪魔が入ったからね」


「ぼ、僕を噛んでどうするつもりだったんですか!」


「殺すつもりだったよ? 身体の血を全部吸って」


 彼女はあっけらかんと答えた。――僕を殺そうとしていた?


「だって、君がおもしろいのはここまでだもん」


 吸血鬼は続ける。


「きっと、一人で天にも昇るような気持ちになって、アタシだけ置いて行かれる。――そんなの許せないじゃない」


「は?」


 言ってる意味がわからない。同じ言葉を話しているはずなのにここまで話が通じないなんてことがあるのか。


「それとも――君ならアタシを殺せる?」


「殺す……?」


 思い出されたのは、あの奇妙な看板。

 確か、あそこに書かれていた文は『この女を殺してください』だったはずだ。


 つまりこの人は、普通の手段では死なないから死刑になっていないだけ?


「アタシを殺せないなら、君が死ぬことになるけどね」


 そして、ベッドから、一歩ずつこちらに距離を詰めてくる。

 壁にもたれかかる僕に、覆い被さるように。

 その手が、固まった僕の首筋に添えられた。


「――もしかしたら、あなたを殺すことができるかもしれません」


 動きが止まった。見上げるようにして向けられた目が僕を疑っている。

 逃げるようにして、部屋の隅に走る。

 隅に置いてあった家具。そこにかけてあった布を取り払う。


「僕は錬金術師です」


 姿を現したのは、天秤やフラスコと小さな引き出しが数え切れないほどついた机。僕の仕事道具だ。

 それを見た彼女は目を丸くする。


「錬金術師、ってあの隣の国で有名な?」


「……はい」


「……でも、錬金術師がなんでここに?」


 錬金術は、隣国で主要な産業だとして知られている。

 錬金術師は、この世の法則を解き明かし、その限界に挑む職業だ。


 だからこそ、貴族たちからの仕事が絶えない。

 その内容は、動物に無害な除草剤を作ることから、人類の悲願、寿命を延ばすことまで色々な依頼が寄せられる。


「いや、それがその…… 大したこともできなくて、実家から追い出されちゃったんですよ」


 ただ、それは一部の功績ある錬金術師だけの話だ。

 僕みたいな何も実績のない錬金術師は、居場所がなく、ついには国からも出るしかなくなってしまう。


「けれど、僕だって錬金術師の端くれです。僕にだってできることはあります。……ちょっと待っててください」


 取り出したのは一本のフラスコ。

 黒トカゲの尻尾は単体だと健康に良いだけのものだが、そこに羽クジラの体液を混ぜ合わせると……

 引き出しから持ってきた素材を混ぜ合わせ、火にかける。


 弱火で三分。次に強火で二十四秒。

 フラスコ内の色が変化する。成功だ。


「これ、飲んでみてください」


「……あんまり美味しそうじゃないんだけど」


 緑色の液体から、青白い煙が出ている。

 彼女は気味が悪そうにフラスコを睨むように観察する。やがて、意を決してフラスコ内を飲み干した。


 彼女が手や背中を確認するも、特に何も起こらない。


「何も起こらないじゃないの! ――あ」


 変化はそこに現れていた。声が男前になっている。


「え? え? 何これぇ!」


 信じられないと言ったように彼女は声を張り上げる。


「ちょっと! もしかして一生このまま⁉ アタシ、死ねないから困るんだけど!」


 その取り乱しようからは、さっきの威圧感など全く感じられない。

 気が付けば、唇から覗いていた尖った牙は見えなくなっていた。伸縮式なのだろうか。


「大丈夫ですよ。そろそろ」


「え? ああ、ほんとだ。戻った……」


 元のお姉さんの声に戻り、安堵する。そして、僕の顔をまじまじと見つめる。


「ハハハハハ」


 かと思えばお腹を押さえて笑い出した。


「おもしろいね、君。錬金術師にもこんなやつがいたとは」


「いや、これくらいのことしかできないから追い出されたんですけどね……」


 あまりに人間っぽく笑うので、そんなジョークが口から出てきた。

 緊張の糸が緩んだようだ。

 ひとしきり笑った彼女は、目に浮かべた涙を拭う。


「それなら君にお願いしようかな。アタシはマリー。君は?」


「エリックです」


「よろしくねエリック。君は生きる価値がある」


「ははは。どうも」


 そうして、マリーさんは手を差し出す。

 僕はその手を両手で掴んで、力強い握手を交わした。


※ 


「それで、『お願いしようかな』っていうのは?」


「もちろん、依頼さ」


 僕たちは引っ張って来た机の対面に座った。


「――アタシを殺すための薬を作ってくれない?」


「それは……」


 複雑な気分だった。僕を殺そうとしたとは言っても、目の前にいるのは、シスターの服を着ただけの陽気なお姉さんにしか見えない。言葉も通じるし握った手だって体温を感じる。


 それに第一、自殺の手助けなんて気持ちの良いものじゃない。ましてや、それでお金を貰うなんて。


「アタシは、人間じゃない。年も取らないし、ずっと人の血を吸うだけ吸って、死んでいるのかも生きているのかもわかんない」


 一転、マリーさんは下を向いて小さく話す。

 その姿は罪を告白しているように見えた。まるで、人間のように。


「……もう疲れた。そういうの。だから、殺してほしい」


「……なるほど」


 しかし、僕にはその苦しみはわからない。その悩みはマリーさんだけの、吸血鬼だからこその悩みだ。


「金なら一生困らなくなる! こう見えても貴族サマから沢山恨みも買ってるし」


「は、はぁ」


 マリーさんからは自分がどう見えているんだろうか? シスターのフリをした吸血鬼なんて、信仰の厚い貴族から真っ先に嫌われそうなのに。


 お金。それは家賃も払えない僕にとっては最優先で必要なものだ。それに、一生困らない量のお金だったら、もっと欲しいに決まっている。


 それに、吸血鬼も殺すほどの薬なんて、錬金術師としての名誉にも繋がる。そしたら、諦めかけていた錬金術師としての道が見えてくるかもしれない。

 決意を固めた僕は、宣言する。


「わかりました。やります!」


「よろしくね! 大丈夫。そんな人生をかけたみたいな顔しないで。アタシはいつまでも待てるから」


「ははは。そうすると、僕が死ぬのが先なんですけどね」


「まぁでも、あんまり遅いと次の人を探すけどね。――君を殺して」


 マリーさんは、上唇をめくる。僕の肌なんて簡単に突き破りそうな、鋭い牙が露わになる。


 ゴクン。思わず息を呑んだ。


「あはは! 冗談だって。仲良くしよう!」


 背中をバンバン叩かれる。その眼差しは冗談にしては肉食獣のような目つきで、身体に悪寒が走った。



 それから、各地を飛び回り、素材採取と実験を繰り返した。

 吸血鬼には赤いものがよく効くらしい。

 特に動物の血は効果が高く、普通では見ない反応を見せることも多かった。


 やがて血液を採取し、調合して試す方向に決め、知っている動物から続々と実験を進めていった。



「ただいま~」


 ドアが開き、マリーさんが顔を見せる。材料を探しがてら、大通りに行ってきてもらったのだ。


「おかえりなさい。どうでした?」


「変わったものはなかったかな。とりあえず、夕飯は買ってきたよ」


「ありがとうございます。あ、そしたらこれ、飲んでもらってもいいですか?」


 今回のは魔除け効果のあるニンニクと、教会で分けてもらった聖水を混ぜてみた。仕上げにマリーさんの血を一滴垂らすと、どす黒い液体が真紅に染まった。

 マリーさんの血液には不思議な効果があるらしい。

 新たに調合した薬を渡す。


「どうですか?」


「……うーん?」


 数滴を口に含めるも、特に変化がない。

 今回も失敗に終わったか。そう思ったそのとき、


「ちょっと眠いかも……」


 次の瞬間には、まるで魂が抜けたかのように床に倒れ落ちた。

 あまりに突然の卒倒に慌てて駆け寄る。


 手首を取り、口に手を当てる。脈は弱く、呼吸も浅い。肌は熱を持ち、滝のように発汗している。

 マリーさんを抱え、彼女が普段使っているソファの上に乗せる。

 彼女はひたすらに苦しんでいる。


 とっさに、僕は病気を治す薬をいくつかその口に流し込んだ。あとは、冷やしたタオルを頭の上に乗せた。


 しかし、他にできることはない。苦しむその姿を、僕は眺めることしかできなかった。


「ふぁ~あ。アタシ、寝てた?」


 数時間後、目を覚ましたマリーさんは開口一番あくびをした。まるでなんともなかったかのように。


「薬を飲んで、倒れました」


「おー、そうだったんだ。なんだかぐっすり眠れた感じ。でも、死にかけてたってことは」


「……はい。完成です」


 完成した。完成したのだ。吸血鬼を殺す薬が。錬金術師としての前例はない。間違いなく僕の立場が約束される。それにこれで、生活に困らないだけのお金も手に入る。


 そして、喜びの感情の反面、他の感情も湧き出てきたのも感じる。


 ――本当にこれが正しいのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。頭を振って、考えを放棄する。


 それを考えるのは僕じゃない。僕には、マリーさんの気持ちなんてわからない。永遠の命を持ちながら、死を望む彼女の気持ちなんて。僕にはわかるわけがないのだ。


 マリーさんは手に持ったタオルに視線をやる。


「とりあえず、助けてくれてありがとう。アタシ、まだやることがあったんだ」


 マリーさんは、決意の表情をしている。

 まるで、最後に思い残したことを片付けるかのようだった。



「でっか……」


 やってきたのは大きなお屋敷。城にも見えるそれの大きさは権力を示しているようで、手前には何者も拒む分厚い門が立ち塞がっている。


「本当にこんなお屋敷に入れるんですか?」


 これまでの人生で立派なお屋敷には縁がなかった。こんな領主のお抱えの錬金術師にでもなれたら、華やかな暮らしが待っているのだろうか。

 妄想を膨らませつつ知らない世界に立ちすくんでいる僕。そんな僕を置いて、マリーさんはずけずけと門番のところへと歩いていく。


「どなたでしょうか? ってお前らは……」


「ん? 君は誰?」


「この前の兵士さんですよ。マリーさんが捕まっていたときの。でも、どうしてこんなところに?」


 僕にマリーさんの身柄を押し付けてきた人だ。僕らが近づいてから兵帽を被ったあたり、ここでも適当にやっているらしい。


 どうして僕が覚えているのにマリーさんが覚えていないのか。捕まっていたのはマリーさんだったのに。


「ここの領主の調子が悪いらしくてな。そんなときに賊にでも入られたら困るってことで、見張りをやらされてんだ」


「……」


 マリーさんは押し黙った。何かを一心に考えているように口をつぐんでいる。


「お前らこそ何をしにここへ?」


「あー、えーと」


「……シスターマリーが来たって伝えてくれる? それでわかるはずだから」


 その言葉の通り、確認し戻って来た兵士さんはあっけなく門を開けてくれた。


「くれぐれも問題は起こすなよ。ただでさえお前を逃がしたって貴族連中に知られたら面倒なんだからな」


「はいはい」


 さっさと入っていったマリーさんは背中越しに適当な返事をする。


「お前もだぞ。あのシスターと一緒になったのならしっかりと管理しておけ」


「一緒にって! 僕たちは何でもないですよ!」


「そうなのか? まぁ何でもいいから問題は起こさないでくれよ」


 兵士も兵士で面倒そうに応答し、屋敷の中に追い払われた。



 案内された僕は、最上階の大きな部屋に案内された。


 マリーさんは、お手洗いに行ったため、入って来た僕だけに使用人たちが注目する。


 遅れるようにして、中央のベッドで一人の老人が弱々しく、視線だけでこちらを確認する。目に活気はなく、頬は瘦せこけ、なんとか生き長らえているだけという印象を受ける。


 だが、僕はそれどころではなかった。その中に知ってる、というか会いたくなかった顔があったからだ。


「兄さん⁉」


「エリック。どうしてここに!」


 高級そうなローブに身を包んだ兄さんは鋭い眼差しで僕を睨みつける。もう会うことはないと思っていたのはお互い様のようだ。


「……アルフ、レッド。知りアい、か?」


「恥ずかしながら血縁上では弟になります。生憎、彼は実家から追い出されたため、今となっては他人ですが」


 老人から掠れた声が途切れ途切れに発せられ、平静を取り戻した兄さんが淡々と話す。

 その口振りから察すに、兄さんはこの貴族様のところで務めているらしい。


 ベッドの横にコップと一緒に置かれている粉は兄さんが錬成した薬なのだろう。


「ゴホッゴホッ」


「旦那様!」


 咳と共に老人胸を抑えて苦しみ出した。


 使用人が駆け寄る。そして、薬の包み紙を手に取ると、老人の口に流し込む。老人は落ち着き、再び横になった。


 静かになった部屋で、俺と兄さんの視線だけがうるさくぶつかる。

 錬金術師は結果が全てだ。命を長らえさせる薬を作る優秀な兄は重宝されるし、無能な僕は家から追い出された。


「兄さん。心配しないで。余計なことはしない。用が終わったらすぐに帰るから」


「ああ。そうしてくれ」


 兄さんはそれ以上は話さない。視線もこちらに向けることはない。


 だからきっと僕が握り拳を作ったのにも気が付いていない。いや、兄さんに当たっても仕方ない。僕も僕の仕事をするしかないんだから。


 と、その時、扉が開きマリーさんが入って来た。だが、その様子はいつもと違っていた。


 マリーさんは、いつになく上品な面持ちをしていた。歩き方までもがお淑やかで、まるで別人のようだ。そして、


「グレアムさん。私のことを覚えていますか?」


 聞いたことのない落ち着いた声で老人に声をかけた。

 その老人はマリーさんの顔をまじまじと見つめ、ハッとする。痩せ細り、顔色も悪かったはずなのに、急に目だけが活気を取り戻した。


「アあ、あなたハ。来て、くダさったの、デすね」


 そう言うと、震える手で、あっちに行けという意思を伝える。

 そうして、兄さんを含め使用人が退室し、三人だけになった。

 静かになった部屋の中で、マリーさんが口を開く。


「……準備は?」


「とっく、の昔ニできて、イます」


 老人の返答を聞くと、マリーさんは祈るようなポーズを取った。


 目を閉じて、横になった老人の肩を持つ。優しく、抱擁するように。子供を慈しみ、抱きしめるシスターのように。むしろ、そうにしか見えなかった。

 

 だから、反応が遅れた。


 


「…………え?」


 マリーさんの喉が何かを飲み込むように激しく動く。

 比例するように、老人の生気が失われていく。いや違う。老人の首元に紅い鮮血が流れている。マリーさんが老人の血を吸っているのだ。


 僕はマリーさんを止めようと、老人に近づき、手を伸ばす。しかし――それ以上動けなかった。

 すぼんでいく老人が幸せそうな顔をしていたからだ。まるで、長い苦しみから救われたかのように。その苦しみをマリーさんが吸っているかのように。


「あアア。ありガ、とう」


 金属を擦り合わせたような、不快ともとれる声が聞こえてきた。

 やがて、しわしわになった老人はマリーさんの手によって、再びベッドに寝かされた。


 その顔は、安らかな笑みを浮かべていた。何の憂いも、何の痛みもないように見える。


 だからこそ、僕はわからない。


 マリーさんがこっちを振り向いたときに、泣いているように見えたことも。

 僕の手を取って、逃げるようにして屋敷を去ったことも。



「どうしてあの人を殺したんですか⁉」


 壁の薄いボロ部屋の中で僕の声が響いた。


「それが、約束だったんだ」


「約束……?」


「うん」


 マリーさんはぼそぼそと語り始めた。


「昔。こんな身体になってでもシスターでいたくて、孤児院を運営していたんだ。拾ってきた子供たちを人のいないところで育てて。永遠に生きることができるだけにしかできないことだと思った。生きる意味だった。――でも、そんな日は長く続かなかった」


 罪を告白するように、後悔の乗った声が耳に届く。


「ある日、ついに血を吸うことを我慢できなくなって。子供のうちの、一人の血を吸ってしまったんだ」


 それが失敗だった、と付け足す。


「化け物の姿になった私に、子供たちは混乱したよ。それでも、多くの子は私を信じて、交代で血をあげようなんてことも考えてくれた。でも――」


 口をつぐんだ。


「吸血鬼ってことを隠してた私を良く思ってなかった子もいたんだ。その子は兵士に密告した。吸血鬼が子供たちを襲ったってね」


「それは……」


 育ててもらった恩を仇で返すような話だ。僕が口を挟もうとすると、取り繕うようにマリーさんが弁明する。


「いや、仕方ないよ。だって、自分が殺されるかもしれないって思ったら、怖いに決まってるから」


「……」


 確かに、育ての親が自分に攻撃するかもしれないなんて思うと、怖い気持ちは、わかってしまう。


「そして、沢山の兵士が来た。化け物と『その子供たち』を殺そうと、ね」


「子供たち?」


「うん」


 マリーさんは悲し気に肯定する。


「子供たちは全員人間だった。だって、子供たちにはこんな思いはしてほしくなかったから。でも他の人からしたら、吸血鬼に育てられた人間なんて何をするかわからないでしょ? きっとみんな殺される。だから――」


 彼女は間を作った。その唇が震えている。


「せめて苦しまないように、私が残らず血を吸って殺した。それで、そのときに気が付いたんだ。みんな、私が血を吸って殺したら、幸せそうな顔で死んでいくって」


 当時のことを思い出しているのか、自分の手を眺めるマリーさんの目には涙が溜まっていた。


「でも、私が子供たちを殺したことには変わりない。だから、私は罪から逃れたいと思った」


 声が震える。


「人助けなんて思って、人の最期を看取った。最初は幸せそうに死んでいく姿を見て私が救われていたよ」


 思い出されるのは、あの老人の最期。


 老人も、天にも昇るような幸せそうな顔で最期のときを迎えていた。


「あの老人、グレアムさんもその一人。私が、最後に看取ると約束をした人。ただ生き延びるだけで、生きるために苦しんでた。それに、準備もしてるって言ってたから」


 だから、殺した、と彼女は言う。


「でも、結局は人を殺して回っていただけ。吸った血の分だけ、私が人間から遠ざかっていくのを感じた」


 彼女の目から涙があふれて、流れる。その涙は、汚れた床へと落ちるだけで、戻ることはない。


「だから、それにももう飽き飽きして、適当に生きることにした。これだって、こんなふざけたシスターがいたら神様が罰を与えてくれるかなって思ったから」


 そう言って、彼女は自分の胸元を指差す。


「そして兵士に見つかって、は捕まった。そして、処刑された。でも、何回殺そうとしても死ななくて…… そこからは知ってるでしょ?」


「……はい」


 人を殺した罪を償うことも許されなかった。

 だから、自分を殺してくれる人を探していたし、探されていた。


「でも、これでようやく死ねるのよ。もう心残りもないし」


 マリーさんが取り出したのは、フラスコいっぱいの薬。彼女がこの間、たった数滴を飲んで昏倒したものだ。

 涙を流す彼女は、愛し気にフラスコに口をつけようとする。


 ……そんなこと、させてたまるか。


 気が付けば、僕の心はそんな思いであふれていた。錬金術師としての立場のためとか、お金のためだとか、小さなことのように思えた。だって、彼女は


「あなたは、自分のために誰かを殺してない! あなたは吸血鬼だろうと、人のために行動しただけです!」


 例え、人に寄生することでしか生きられない存在だろうと、マリーさんは必死に人のために尽くそうとした。


「それに、あなたは充分苦しんだ。救えた命もあったかもしれない。でも、あなたがいたから幸せに終わった命だってある!」


 僕は彼女がどうやって最期を看取ってきたのかは知らない。けれど、彼女は彼女なりにできることをしていただけなはずだ。


「それは、吸血鬼のあなただからこそ、人間のためにできることです! 普通の人にはできない!」


 僕は声を張り上げる。


「あなたが殺したくないなら、僕が生かすために錬金術を使います! 『あなたは生きる価値がある』!」


 世界には、吸血鬼も必要だ。それが、シスターのように優しいなら、なおさら。

 彼女は優しく微笑んだ。それは、何かを決意したようで。


 彼女はこちらに背を向け、手に持ったフラスコをゆっくりと口へと近づける。


 でも、そうはさせない。彼女までの数メートルを詰めるべく、駆け出す。


 時間がスローになる。


 僕が一歩、二歩と進んでも、彼女は止まらない。間に合わない。


 彼女が、フラスコに口をつける。

 そして、フラスコを上下逆さまにし、一気に液体を口に含んだ。


「待って!」


 ゴクン、と彼女の喉が鳴った音がした。


 彼女の身体が、支えを無くしたように倒れる。

 床へと倒れるすんでのところでキャッチに成功するも、彼女は唇の端から血を流していた。


 その目に光がなくなっていく。僕を見ているはずなのに、どこか遠くを見つめるように。もうだめだ。そう思った。


 そして。


 次の瞬間、僕の口が塞がれた。他の誰でもない、彼女の唇によって。


 まず最初に、苦い薬の味。

 そして続くのは、


「⁉」


 驚きのあまり、頭が真っ白になった。

 数秒後、マリーさんは唇を離す。


「じゃあ、君に責任取ってもらおうかな」



 数年後。世間では、有名な錬金術師とその助手がいた。

 彼と彼女は、救った人に最高の人生をプレゼントするという。

 彼は錬金術を使う。人が生き続けるために。

 彼女は死をもたらす。人に尊厳を与えるために。

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シスターさんは賞金首で吸血鬼 赤月鵯 @hiyodori_akatsuki

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