【1篇まるごと試し読み】重松 清『かぞえきれない星の、その次の星』

重松 清/KADOKAWA文芸

こいのぼりのナイショの仕事

「今年はずいぶん静かですね」

 ひさしぶりに希望ヶ丘に帰ってきたツバメが言った。

「ああ……まったくだ」

 風をはらんだ尾びれをバサバサ鳴らして、こいのぼりの黒い真鯉が応えた。「こんな寂しい五月は初めてだ」

 真鯉は、町のみんなから「校長先生」と呼ばれている。一緒の竿に結ばれた緋鯉は「保健室の先生」、青い子どもの鯉とピンクの子どもの鯉は、それぞれ「男子」と「女子」――このこいのぼりは、希望ヶ丘小学校が三十年前に開校したとき、町のみんながお金を出し合って学校にプレゼントしたのだ。

 毎年四月の終わりから五月半ばにかけて校庭に揚げられる。今年も、オンラインの職員会議でそう決まった。

「誰にも見てもらえないのに?」

 ツバメは竿のまわりを滑空しながら、意外そうに訊いた。

「こういうのは、今年もまたいつものように、が大事なんだよ」

 校長先生は諭すように言う。希望ヶ丘の空では最長老になるだけに、一言ひとことに重みがある。

「今年みたいなときは、なおさらな」

 いつもの年なら、この時期の希望ヶ丘はとてもにぎやかだ。小学校では新しい教室に慣れた子どもたちが元気に走りまわっているし、ツバメが巣をつくっている駅前商店街は、恒例の『さつき祭り』で大いに盛り上がる。

 だが今年は、三月の終わり頃から学校はしんと静まり返っている。卒業式や入学式という晴れ舞台を奪われた校庭の桜並木は、「せっかく満開になったのになあ」とぼやきながら花を散らし、もう葉桜になってしまった。

 商店街の人通りもすっかり絶えた。『さつき祭り』は四月早々に中止が決まり、その頃からシャッターを降ろしたままの店も少なくない。

「南の国も同じです。春先から、町が急に静かになってしまいました」

 ツバメは言った。寒さが苦手なツバメは、秋と冬を暖かい南の国で過ごす。そして、春の訪れとともにこの国にやってきて、卵を産み、子育てをするのだ。

「渡り鳥の仲間に聞いたところでは、どうやら、東の国でも西の国でも、北の国でも……要するに、どこの国でも似たような様子らしいですね」

 世界はいま、未知のウイルスの恐怖にさらされている。ウイルスに感染すると重い症状に苦しめられ、命を落とすことも多い。初めてウイルスが確認されたのは去年の十二月だった。それからわずか半年足らずで、世界中で三百五十万人以上が感染して、二十五万人を超える人たちが亡くなった。

 治療薬はない。ワクチンもない。感染を防ぐ手立てはただ一つ、他人との接触を断つことだけだった。

 世界中の人の流れが止まった。外出禁止の命令が出た国や街もある。

 この国でも、経済活動や長距離の移動に数々の制限が設けられた。学校もずっと休みになって、子どもたちは息をひそめて家に閉じこもり、オンラインで授業を受けている。

 ツバメは竿のてっぺんに留まって、校長先生の顔を覗き込んだ。

「それで、先生、なにか私に用事でも……」

 ひさびさの希望ヶ丘を空の上から見回っていたのだ。留守にしている間に増えた建物があるし、なくなった建物もある。巣づくりの場所や餌を探すルートは去年と同じでだいじょうぶか、新顔のカラスが棲みついたりしていないか、細かく確認しているところに、「おーい、ちょっと来てくれ」と声をかけられたのだ。

「うん、じつはな、頼みごとがあるんだ」

「と、いいますと?」

「希望ヶ丘にいるこいのぼりに伝言をしてほしいんだ」

「みんなに、ですか?」

「ああ、真鯉と緋鯉、おとなのこいのぼりはみんなだ」

「けっこういますよね」

「マンションのベランダの小さいのも入れれば、三十匹から四十匹はいるだろうな。長旅を終えたばかりで疲れてるところに悪いんだが……」

 校長先生は申し訳なさそうに言った。

 だが、ツバメは「とんでもない」と笑う。「伝令役は、昔から私たちの大切な仕事ですから」――ツバメの遠い遠い親類の、遠い遠いご先祖さまの一羽は、遠い遠い国の街角に立つ王子さまの銅像の伝令役を務め、銅像を飾る宝石や金箔を貧しい人のもとに届けていったのだ。

「喜んでお引き受けします。遠慮なくおっしゃってください」

「じゃあ――」

 校長先生が尾びれを風になびかせながら伝言の内容を告げると、ツバメは「そんなことできるんですか?」と驚いた。

「できるんだよ、じつは」

「こいのぼりは、みんな?」

「ああ。もともと私たちは、子どもに元気に育ってほしいという親の願いを託されて泳いでるんだし、なにしろ空を泳げるんだ。じゃあ、その強みを活かさない手はないだろう?」

 こいのぼりの目は、まんまるなまま、動かない。それでも、校長先生がいたずらっぽくウインクしたのは、ツバメにも伝わった。

「毎年やってるんですか?」

「ああ、毎年の、大事な仕事だ」

 押入や物置から出されて空を泳ぐ、四月の終わりから五月の半ばにかけての短い日々の間に、その仕事をこなす。

「できれば晴れた日がいいんだが、高望みをしてるうちに天気がくずれて、雨がつづいたあげく、出番を逃したまま片づけられてしまうこともある。そうなるとすべてが台無しだ。とにかく一年に一度しかないわけだから、見極めが肝心なんだ」

 希望ヶ丘でそれを取り仕切るのが、最長老の校長先生だった。

 今年は――。

「どうも昼過ぎから風が少し重くなった。湿ってきたんだ」

 文字どおり全身で風を受け止めているので、そのあたりの感覚は鋭い。

「明日から天気がぐずつきそうだな」

 だから、今夜――。

「去年までは駅前のツバメに伝令を頼んでいたんだが、あのじいさん、今年は姿を見せてないんだ。残念だが、歳が歳だけに、南の国にいる間に天に召されたのかもなあ」

 今年からは、商店街のツバメに代替わりする。

「大役だ、しっかり頼むぞ。もちろん、駅前のじいさんもそうだったように、秘密厳守だ」

「いやあ、驚いたなあ。ほんとに、なんにも知りませんでした」

「真夜中の仕事だからな。きみたちは眠っているだろ? もっと田舎ならフクロウの口止めが大変なんだが、希望ヶ丘にはフクロウのいる森はないからな」

 だから、ずっと、誰も知らなかった。

「子どもたちの親もですか?」

 ツバメが訊くと、校長先生は「もちろんだ」と答え、「人間はよけいなことを覚えてしまったからな」と続けた。

「よけいなこと?」

「夜中に夢を見る」

「はあ……」

「夢を見るからこそ、真夜中に起きた不思議なできごとを、なんだ、いまのは夢だったのか、と切り捨ててしまう。子どもが話したことなら、なおさらだ。夢でも見たんだろう、で終わる。そのおかげで、私たちの秘密の仕事は、ずっと知られずにすんだわけだ」

「でも、子どもたち本人は……」

「人間はもう一つ、とても大切だけど、ちょっと残念な力を持ってしまった」

「なんですか?」

「幼い頃の思い出を、永遠に記憶に残しておくことはできない。たいがいのことは、おとなになるまでに忘れてしまう」

 忘れることは大切だ。すべてをいつまでも覚えていたら、頭の中がパンクしてしまうだろう。

「でも、なにを記憶に残し、なにを棄て去るか……私から見ると、どうも、人間はその選び方がうまくない。よけいなことをしつこく覚えていてしまうし、忘れずにいたほうがいいことにかぎって、思いだすための鍵をなくしてしまう」

 こいのぼりとの真夜中の思い出も、そう。

「ほとんどの子どもたちの記憶には残らない。子どもたちの親も、本気にはしてくれない」

「なんだか……ちょっと残念ですね」

「私たちとしても、せっかくの仕事をなかったことにされるのは寂しいから、ふだんの年は、限られた子どもたちだけを相手にするんだ。その子たちは、ちゃんと覚えててくれる。両親やまわりのおとなたちも、それを笑わずに聞いてくれて、よかったね、と涙ぐんで喜んでくれる。だから私たちも、来年もがんばろう、と思えるんだ」

「その子どもたちって……」

 ツバメの質問を、校長先生は笑って受け流し、答えてはくれなかった。

「悪いが、少しぐらいは秘密のままにしておきたい」

「……はい」

「どっちにしても、今年は、特別だ。希望ヶ丘の子どもたち全員に、夢としか思えないようなひとときを味わわせてやりたい」

 百人以上いる。希望ヶ丘のこいのぼりを総動員しなくてはならない。

 そのうち何人の子どもが「こんなことがあったんだよ」という話を親に信じてもらえて、何人の子どもがいつまでも覚えていてくれるかは、わからない。

「わからなくても、いいんだ。私たちは私たちにしかできないことを、やるだけだ」

 校長先生は、自分自身を励ますように言った。

 質問が宙ぶらりんになってしまったツバメも、気を取り直して「よーし、じゃあ、さっそく行くか」と翼を広げた。二股になった尾の先で、竿のてっぺんの風車をつつき、景気づけにカラカラと回す。

「悪いけど、頼むぞ」

「お任せください。まずは一丁目から向かいます」

 ツバメは地面に向かって勢いよく滑空して、ぎりぎりのところで身をひるがえして上昇に転じた。

「これは伝え甲斐のある仕事だぞーっ」

 張り切るツバメに、おいおい、と校長先生はやんわりと釘を刺す。

「さっきも言ったけど、こいのぼり以外のみんなにはナイショだぞ」

 特に人間にはな、と付け加えて、口から尾びれまで風を送り込んだ。体を「く」の字に折って、伸ばして、バサバサッと音をたてる。それが、校長先生の上機嫌なときの癖だった。


 ツバメが風を切って飛び去ると、校長先生は保健室の先生と男子と女子に「いま聞いたとおりだ」と声をかけた。「まあ、そういうことだよ」

「今年は、病院に行かないんですか?」

 男子と女子が声を合わせて訊いた。少し心配そうな口調だった。

 その気持ちは校長先生にもわかる。だから、「まさか」と笑って言った。「希望ヶ丘の子どもたち全員なんだから、病院の子も、もちろんいるさ」

「そうよ」と保健室の先生も言った。「ほんとうは寂しいことだけど、毎年楽しみにしてる子だって、いるんだから」

 希望ヶ丘には大学の附属病院がある。その小児病棟には、他の病院では治せないような重い病気の子がたくさん入院している。

 いつもの年は、校長先生が選んだ何匹かのこいのぼりが病院を訪ねて、仕事をする。おじいさんやおばあさんのこいのぼりが多い。こういうことには、やはり、経験が必要なのだ。

 狙いどおり、子どもたちはみんな、こいのぼりからのプレゼントを喜んでくれる。お父さんやお母さんも、朝になってその話を聞くと、決して「寝ぼけてたんだな」「夢でも見たんでしょ?」などとは言わずに、「よかったなあ」「よかったね」と喜んで、泣き笑いの顔になって子どもたちの頭を撫でてくれるのだ。そんな家族の光景を思い浮かべるのがこいのぼりにとっても励みで、それがあるからこそ、次の年まで、真っ暗で湿っぽい押入や物置で過ごす長い日々にも耐えられる。

「でも、今年は、とにかく、希望ヶ丘の子どもたち全員だからな。町じゅうのこいのぼりを総動員しなくちゃ追いつかない」

 ツバメは、いまごろ希望ヶ丘の町を細かく回っているだろう。お屋敷の庭で泳ぐ大きなこいのぼりから、マンションやアパートのベランダに飾られた小さなこいのぼりまで、一匹ずつに校長先生のメッセージを伝える。

 今夜だぞ――。

 日付の変わる頃に、尾びれを思いきり振れば、こいのぼりを竿につなぎとめている紐が、するりとはずれる。

 こいのぼりは夜空を自由に泳げるようになる。

「みんな手伝ってくれるといいけどなあ」

 女子が心配そうに言う。

「だいじょうぶよ」

 保健室の先生が優しく言った。「わたしたちは、子どもの幸せのためにいるんだから」

 その話を引き取った校長先生は、「問題は、初めての連中がうまく泳げるかどうかなんだが……」と苦笑して、「ご先祖さまから受け継いだものを早く思いだしてもらわないとな」と言った。

 もともと、こいのぼりは夜ごと泳いでいたのだ。いたずら好きのタヌキやキツネが暇つぶしに人をだまし、河原では河童が身をひそめ、ときどき天狗が山から降りてきていた頃の話だ。

 こいのぼりは真夜中に、子どもたちにそっと声をかける。

 起きなさい、さあ、外に出よう――。

 そして、おとなたちは誰も知らない、こいのぼりの秘密の仕事が始まるのだ。

 いまでは、その仕事はほとんど忘れられている。こいのぼりが泳ぐには、真夜中の町は、もう、明るすぎるのだ。

 それでも、年に一度だけ、限られた子どもたちのために、こいのぼりは昔のように夜空を泳ぐ。今年は、限られた子どもたちが、そっくりそのまま、町じゅうの子どもたちになってしまったのだ。

「ねえねえ、校長先生」

 男子が言った。「ぼくも手伝いたいんだけど、だめですか?」

 それを聞いて、女子も「わたしも!」と声を挙げた。

「ありがとう。でも、きみたちはいつものとおり留守番だ」

「えーっ……」「残念……」

 残念なのは校長先生も同じだ。手伝わせてやりたいのはやまやまでも、子どものこいのぼりには任せられない。この仕事になにより必要なのは、夜空を力強く泳ぐたくましさと、人間の子どもが安心して身も心も委ねられる頼もしさ――要するに、おとなの優しさなのだ。

「でも、ベランダのこいのぼりは、ぼくたちより、もっと小さいんじゃないですか?」

「小さくても、真鯉も緋鯉も、おとなだ」

「だって……」

「おとなにしかできない仕事なんだよ、これは」

 諭すように言って、話を終えた。

 ほんとうは、子どものこいのぼりに留守番をさせる理由は、別にある。

 子どものこいのぼりが元気いっぱいに夜空を自由に泳いでいると、それを見る人間の子どもたちの中には、フクザツな思いになってしまう子もいるかもしれない。いいなあ、楽しそうだなあ、と元気のよさをうらやましく思って、ひるがえって自分のことを思うと、寂しくなって、悲しくなって……。

 せっかくのプレゼントが逆効果になってしまってはいけない。

 夜の闇に紛れ、星の光に導かれて、こいのぼりが訪ねるのは、部屋の外に出られない子どもたちの夢の中だから――。


     *


 長い入院生活を送っている子どもは、ときどき空を飛ぶ夢を見る。

 戦争や災害や、その他いろいろな事情で、しばらく外で遊べなくなっている子どもも、そう。

 科学的に理由を考えるなら、おそらく「無意識」や「深層心理」、あるいは「抑圧」「願望」「解放」といった言葉が並ぶはずだ。

 でも、それだけでは説明がつかないこともある。

 この国では、子どもたちが空を飛ぶ夢を見た報告が最も多く寄せられるのは、四月の終わりから五月半ばにかけて、だという。


     *


 その夜、おとなたちが寝静まった頃、現実の希望ヶ丘の夜空は、子どもたちの夢の世界の夜空と入れ替わった。

 満天の星の下、何十匹ものこいのぼりが空を泳ぐ。それぞれの背には、子どもたちが乗っている。

 校長先生は、入学したばかりの一年生を五人も背に乗せた。まだ一度も教室で友だちと会っていない五人は、とてもうれしそうに空から町を眺め、おしゃべりをして、笑っていた。

 保健室の先生が乗せた六年生の男子二人は、外で遊べない欲求不満がよほど溜まっていたらしく、先生の背中でプロレスごっこを始めてしまい、「ねえ、落っこちないでよ」と先生をはらはらさせる。

 町じゅうの子どもたちが空を飛び交って、歓声を挙げて笑い合う。静かすぎた春の寂しさを埋め合わせるように、星明かりのもと、子どもたちははしゃいで遊ぶ。

 こいのぼりのほとんどは、子どもたちを乗せて空を泳ぐのは初めてだった。最初のうちはさすがに危なっかしい泳ぎ方で、子どもたちがヒヤッとする場面もないわけではなかったが、一匹また一匹と、ご先祖さまから受け継いだものがよみがえって、すいすいと泳ぐようになった。ツバメは張り切りすぎて、スナック菓子のおまけについていた紙製の真鯉にまで声をかけていた。校長先生も最初は正直、まいったなあ、と思っていたのだ。ところが、いざ仕事を始めると、その真鯉が最初にこいのぼりの本分を思いだして、みごとな泳ぎっぷりを披露したのだから、この世界もなかなか奥が深い。

 小児病棟の子どもたちもいる。

 まわりの子より頭一つ大きな少年が、こいのぼりの尾びれにまたがって、背筋をピンと伸ばしている。細くすぼまった尾びれに乗るにはコツが要る。颯爽と乗りこなす少年は、これで三年連続、空を飛ぶ夜を過ごしている。小児病棟ではすっかり古株だ。

 ああ、今年も、なんだな……。少年を背に乗せたこいのぼりのおじいちゃんは、心の中でつぶやく。退院できなかったのを悲しむべきなのか、再会できたことにとりあえず安堵すべきなのか。よくわからないまま、おじいちゃんは、少年が落っこちないよう加減しながら身をくねらせる。

「いいぞ、もっともっと!」と、少年の元気いっぱいの声が夜空に響く。現実の少年は、数日前から容態が悪化して危篤状態に陥っている。気管に人工呼吸器のチューブを挿入されて昏々と眠りつづけ、お父さんにもお母さんにも、もう「さよなら」の一言すら届けることはできないのだが。

 初めてこいのぼりの背に乗る子もいた。先月入院したばかりの女の子だ。まだ小学校に上がる前のその子は、最初は怖がりながら下界を覗き込んでいたが、慣れてくるとどんどん元気になって、知らない子と空中ですれ違ったときには、ハイタッチまで交わした。

 それを見た別の子どもたちもハイタッチを真似するようになり、やがて声もかけ合うようになった。

「学校が始まったら遊ぼう!」「うん、約束だよ!」「元気になったら一緒に遊ぼう!」「待ってるよ!」「また会いたい!」「会えるよ、絶対に!」……。

 背中に響く子どもたちの声を聞きながら、こいのぼりたちは、ちょっと泣いた。

 だからその夜遅く、希望ヶ丘には少しだけ雨が降った。



(「こいのぼりのナイショの仕事」了)


ほかの短篇は、『かぞえきれない星の、その次の星』書籍でお楽しみください。

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