アナタは誰?

 ちょっと前までのフィクションに倣った隠密行動ごっこはどこへやら、ユノアは猛ダッシュで移動していた。時折、勢いが余って壁に激突するが、気にせず走り続ける。

 やがて、ユノアは目的の部屋の前に到着した。

 無機質なプレートに記されたshowerの文字に、翠色の瞳が輝く。

 落ち着きを取り戻し、優雅な足取りで部屋に入ると、ユノアは印象通りの内装を目にする。

 広い鏡が備えられた洗面台。壁に敷き詰められたロッカー。そして部屋の中の扉を開くと、小奇麗なタイル張りの床、仕切りによって守られた個室のシャワールームが並んでいる。

「フフフフ……」

 ワザとらしい笑い声をこぼし、ユノアのテンションは一気に跳ね上がった。

「アバターか憑依か分からないけど、だからって不衛生のままでいられるかっての。いざっ!」

 声高らかに、ユノアは自身の纏うドレスの肩を掴み、バサッ、と豪快に脱ぎ捨てる。

 そんなイメージを思い浮かべつつ、冷静にドレスを掴む手を放した。

「うん、まあ……普通に脱ぎますよ、はい」

 トボトボと鏡の前まで移動し、ユノアは改めてドレスを見てみる。

 同時に、着替えをどうしようかという問題にも気付き、なんとなくありそうだなぁ、と壁際のロッカーを確認しに行く。

 ロッカーは3種類あり、小さい物と大きい物、縦長の物とで分けられていた。

 小さい物は空っぽ。銭湯やプールなどである預ける用のロッカーだ。

 大きい物にはバスタオルなどの雑貨やボディソープなどが各種揃えられ、縦長の物には質感の良いバスローブが掛けられていた。

「下着は……無いか」

 不満そうに言いながら、ユノアは雑にロッカーを閉め、バスタオルを肩に掛けて鏡の前へ戻る。

「さてと」

 まずは腰に手を伸ばし、紐を解いてコルセット風のベルトを外す。

 次いで装飾としてある背中のフリルをかき分けてファスナーを降ろし、肩を少し下げてストンとドレスを落とした。

 そうしてラフに脱ぐことで、知らずに着用していたインナーを目にする。

「うおぉぉ……」  

 これまたドレスと同じ色合い、黒と紅紫色こうししょくを基調としつつ、あえて崩したような花形の装飾が魅惑的に散りばめられているブラとショーツ。

 ちょっと大胆過ぎないかと、ユノアは頬を染めると共に引きつらせた。見せる相手もいないのに、とも思いながら。

 恥じらいを堪えるように瞼を閉じ、慣れた手つきで下着を脱ぐ。これをまた着なければならないのか、と悶々としながら、横髪にある星と花を組み合わせたような装飾も外す。

 バスタオルやボディソープ、シャンプー等、必要な品々を脇に、ブーメランのカードを手に控え、シャワー室へと踏み入った。

 それからしばらく、潤いの憩いを堪能し、ユノアは肌艶の輝きを取り戻す。諸々を終えると、バスローブを纏い、洗面台に備え付けられていたドライヤーを何の疑いもなく使用し、髪を乾かす。心なしか、普段より丁寧に髪を触っていた。

「さあて、これからどうしようかと言うと……」

 努めて丁寧に畳んだドレスを横目に、ユノアは渋面を浮かべる。

 服が汚れたならば洗濯をしたい。そして、今いるシャワールームの直ぐ近くに、ランドリールームがある。

 慣れない場所をバスローブ一枚で徘徊するのは嫌な刺激だが、仕方がない。ユノアはシャワールームを出て、急ぎ足でランドリールームへ向かった。腰紐をギッチリと締めていても、風呂上り特有の涼やかな感触がなんともむず痒く、顔が熱くなる。

 逃げ込むようにランドリールームへ入ると、利用した事の無いコインランドリーの 風景と目の前の設備が見事に一致し、ユノアは現実味の強い未知の雰囲気に少しだけ気後れしつつ、業務用洗濯機の蓋を開いた。

「……いいのかな、ドレスをそのままぶち込んで」

 洗濯の経験はあるにはあるが、殆んど自分の使う衣類のみだ。寝具は親に頼りきりだし、学校の制服もクリーニング屋さんへ持ち込む。

 手にした質感から、良い素材なのだろうなぁ、と思いつつ、チラホラと見える汚れが気になるドレスを前にしてユノアはそこそこ長考する。

 意を決してドレスを真っ白な洗濯ネットの中に収め洗濯機に放り込む。次いで隣の 洗濯機にも、同じようにして分けておいた下着も入れる。

 室内の戸棚にあった洗剤も共に投入し、それらしいイラストアイコンが記されたボタンに導かれるようにして、適当に操作し、洗濯機を回す。

 動き出した事を見届けると、ユノアはランドリールームを更に探索する。代わりの着替えはないかと切望したが、見つかるのは洗濯カゴやハンガーと言った雑貨類が殆どだ。

「アイロンも置いてるんだったら着る物くらい置いといてよ」

 作業台としてのスペースが設けられた壁に向けて苦言を吐きながら、ユノアはアイロンとアイロン台を用意する。

 その後は、ただぼーっと乾燥を待つばかりになった。

 室内の中央に並べられたベンチに座り、重厚な稼働音を奏でて回る洗濯機を、ユノアはつまらなそうに眺め続ける。

「はぁ、ゲームしたい……って、ゲームみたいな世界で何言ってんだ」

 自分に突っ込みながら、ユノアは手に控えているブーメランのカードを使って、台座を出現させた。

 硬化、ビルドアップ、槍、地図、レーダー。

 それらのイラストに挟まれたユノアのイラストは、かなり情報量を含んだエフェクトを纏ってカオスな状態に見える。ちなみにユノアは、シンプルisベスト、てんこ盛り、どっちも受け入れられる派だ。

 多分フル装備なのであろう自身のイラストを見て、ユノアはこれまでの旅路(?)を思い返す。

 作り物めいた廃墟にそびえる塔の玉座で目を覚まし、不思議なカードを手に入れて謎の恐竜ロボと戦った。

 地図を手に入れ、夢中でそれを広げた先で寝落ちすると、普段の日常に戻った。

 かと思えば、またこの世界にいて、飛行する船を絶賛探索中である。

「ホントに何なんだろう、この世界は……」

 きっと文明はあるのだろう。廃墟然り、飛行する船然り。

 だが、未だに人とは出会えていない。遭遇するのはユノアの知る地球ではありえないモンスターが殆どだ。

 自分以外の人間は何処にいるのか?そもそも人間は存在するのか?

 疑問が頭の中で連鎖し、ユノアは思考を縛られるような感覚に陥る。

 若干の不快感。それから抜け出す為、ユノアは暫定的ざんていてきな結論を出した。

「ダメだ、大概わからん」

 思考放棄。情報が足りないので、これ以上考える事を止めた。

 そもそも分かった所でどうするという所でもある。

 特に指示や助言をしてくれる天の声は無いのだ。結局は自分の好きにするだけなのである。

 しばらく経ち、洗濯機が乾燥を完了させて停止した。

 ユノアはドレスを取り出すと、準備していたアイロンを使ってアイロン掛けをする。普段から服のシワを気にしている訳ではないが、品質の良い物は丁寧に仕上げたい気持ちが湧いたのだ。

 温もりの匂いに包まれたドレスの袖に、ユノアは勇ましさを感じる所作で袖を通し、横髪に髪飾りを付けた。

「……念のため」

 小さく呟いて、ユノアはランドリールームを出て、シャワールームに戻る。

 目的は、ちゃんと着用で来ているかの確認だ。

 備えてある鏡の前に立ち、台座を出現させて、自身のイラストと同じポーズを取る。 

「よし」

 満足げな顔で、やっぱりイイね。とユノアは自我自賛する。

 色々とスッキリした後は、不足している物を満たす番だ。

 急激に空腹感が湧き、ユノアは忙しない足取りで移動を開始する。

 ここまで一切カロリーを摂取していない。本来の身体でないと仮定しても、看過できる状況ではないのだ。そうした考えの下、マップ上に表示されている赤点は後回しにして、ユノアは船のダイニングルームへと急いだ。

 幸いな事に、シャワールームから然程離れていない位置にダイニングルームはあり、ユノアは駆け込むように侵入する。

 そこは、ドラマなどで目にするようなザ・食堂、といった内装で、幾つかの長テーブルと椅子が並べられ、厨房らしき場所が奥に見えた。

 ユノアは足を進め、奥の部屋に入る。

 コンロや流し台などが備えられ、壁際にはこれまた大型の冷蔵庫が設置されている。

 迷わずユノアは冷蔵庫の扉に手を掛け、豪快に開いた。

 そこには、丁寧に敷き詰められた色取り取りのパッケージがあり、ユノアはその一つを手に取る。 

 鳥の照り焼きらしき写真とchicken《チキン》の文字が表記されていた。

「この世界……鶏とかちゃんといるんだ」

 微妙にずれた突っ込みと自覚しつつ、ユノアは厨房を見回して、電子レンジを発見する。

 パッケージ裏面にあるイラストの手順に従って、解凍を開始し、その間に厨房を更に探索して、インスタントではあるが白米とスープの素を入手する。これらもイラストによる分かりやすい手順が表記され、楽々と解読し、ユノアは待ちに待った食事にありつく準備を進める。

 やがて、長テーブルにインスタントだが料理が並び、食欲をそそる湯気と香りが立ち昇る。

 原材料とか成分とか生産工程とか、不明で不安な要素も盛りだくさんだが、気にした所で仕方ないだろうと、ユノアは箸を片手に握り締め、椅子に腰かけた。

 仰々しく手を合わせ、穏やかに告げる。

「いただきます」

 粛々と箸を運び、ユノアは食事を始める。

 一口、また一口と、命の糧を甘受し、3分の1ほど食べ勧めた所で思った。

「すっごい、フツー」

 美味ではあるのだ。空腹も相まって、美味しい感じも強い。けれどもなんとなく、物足りなさを覚えてしまう。

 例えるならば、料理の手間を渋り、コンビニで適当に済ませてしまうような味気無さ。しかしコンビニでの食品やインスタント食品は、なにかしらパンチの利いた味付けも多いので満足感があるのだが、今ユノアが食べている料理は、恐らく良い意味で質素なのだ。調味料を少しばかり足せばもっと良くなる。

 何か取って来ようかな、と考えるユノアだが、食事の席から立ち上がる事に地味な億劫さを感じ、今回はいいや、と割り切った。

 そうして十分に腹を満たし、小休止した後、ユノアは諸々を片付けるべく動いた。

 あちこちと回り、最後にダイニングルームの近くにあったトイレから爽やかな表情で出てくると、地図に表示された船の中枢部、そこにある赤い点を見据えた。

「さて、そろそろ行きますか」

 意気揚々と宣言し、ユノアは船の中枢へと移動を開始する。

 ここまで特にトラップなどは無かったので、堂々と通路の真ん中を進み、着実に目的地へと近づいて行く。

 程なくして、ユノアは目的のエリアに通じる扉の前に辿り着いた。

 目に見えて重要な場所であると感じさせるメカニカルな隔壁扉を前に、ユノアは少しばかり緊張しつつ、進展を期待して踏み出した。

 センサーが作動し、自動ドアが左右に動いて開放される。

 中に踏み入ると、まず目に入るのは中央にある円柱状のカプセルだ。そして、その中身を見てユノアは驚愕する。

 薄い青色の液体に満たされたカプセルの中で、一人の女の子が浮かんでいたのだ。

 質素なデザインをした白地の水着のような衣服を着ていて、二の腕と太腿に計測器のようなケーブルが繋がれ、顔には空気を供給しているのか、人工呼吸器で使うようなマスクが装着されている。そこそこ長い黒髪が漂っている事も相まって、顔はよく見えないが、可愛い子だとユノアは直感した。

 気持ちを整え、ユノアは中枢部の室内を観察する。

 しかし、カプセル以外にあるのは、右側の壁際にロッカーが一組あるくらいだ。

 あとはカプセルの下部分に、制御盤と思われる機器が設置されている。恐らくこれを操作して、中の少女をどうにかするのだろう、とユノアは想像するが、近付いてみると、そこにある入力装置らしき部分の様子に唖然とした。

「これは……」

 ユノアの目の前にあるカプセルの制御盤らしき機器。そこには、透明なカバーによって蓋をされた緑色の押しボタンスイッチが一つあるだけだった。

 つまり、この制御盤でカプセルの操作を行う場合、この緑色のボタンを押す以外に、何もする事が出来ないのだ。

 もしかしたら、制御盤を解体して中の回線類を弄れば他の操作もでき得るかもしれないが、ユノアにそれを実行するスキルは無い。

 ボタンを押すか、押さないか。今のユノアには、この二択しか選ぶ事が出来ないのだ。

「どうしよう。見た感じ、押しても良さそうな色だけど……」

 これが赤い色のボタンであれば、危機感はもっと強かっただろう。しかし、緑色のボタン。

 信号機ならば進んでもいい色なので押しても良さそうな気がするが、この世界の色に対する価値観が自分たちと同じという確証はない。イラストによる説明や、文字、数字の存在があるにしても、迂闊に判断するのは危うい気がして、ユノアは難しい顔になる。

「押したら出て来るよね、間違いなく。そしたらすぐにバトルとか……」

 ここまで遭遇する動物(?)には悉く襲われた経験から、不安を強くするユノアだが、ようやく見つける事が出来た自分以外の人間だ。もっとよく考えようと、冷静に思案する。

 まず問題なのは、この少女が何者なのか。

 情報が足りないので推測しか出来ないけれど、この飛行する船の設備にいるという事は、何かしらの関係があるのは瞭然りょうぜんだ。そして、この飛行する船は、人間が生きていく上で必要となる設備や食料が充実している。先刻まで、ユノアもその恩恵を受けたばかりだ。

 つまり、飛行する船は人間にとって有益な物であり、それと共にいる少女も、人間の味方である可能性が高い。パッと見た感じ、カプセルに入れられている事以外は普通の女の子にしか見えないので、人間の味方云々と考えるのはナンセンスだ、とユノアは何となく反省した。

「よし」

 決意を固め、ユノアはボタンを押す事にした。

 深呼吸し、慎重にボタンの蓋に手を添える。

 そこでふと、横に表示させたままのマップを一瞥した。ゲームであればこれはイベントに繋がるフラグないしトリガー。マップはそれを表示していたのだろうかと気になったのだ。

 ビタリ、とユノアの手が止まる。

 船のブースターと思われる場所に赤い点が出ていた。それも、今いる船の中枢部とは違い、数は一つではなかった。

「1、2、3……ん?え?これ重なってる?」

 赤い点は微かに動いているようで、正確な数を把握するのが困難だった。

「うわぁ……こんなタイミングでか~」

 船の飛行を担う場所で、何かが起きている事は明白だ。もし船の飛行に支障が出るような事になったら、最悪、船は墜落するかもしれない。そうなったら自分も、カプセルの中の女の子も、タダでは済まないな、とユノアは肩を落とす。

「仕方ない」

 優先順位を考え、赤点の発生した場所へと急行する事にした。

 名残惜しそうにカプセルを一瞥しつつ、ユノアは踵を返して駆け出した。

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