遺書

バブみ道日丿宮組

お題:僕が愛した旅行 制限時間:15分

遺書

 これは、僕が生きてた記録みたいなもの。一般的には遺書と呼ばれるものに属するものだろう。

 世の中にこれが出たというのであれば、おそらく僕は死んでる。

 そのことについて、誰かが悲しむなんてことは望まない。最後まで笑って過ごして欲しい。笑ってこの遺書を読んでて欲しい。

 僕は後悔はしていない。20年も生きた。だいぶ長生きできたと思う。

 高校にも大学にも行かず、日本一周旅行を許可してくれた親には感謝しかない。旅行先で出会った人々にも謝辞を。

 SNSには悪い人しかいないという世間の目からすると、いい人しかいなかったような気がする。

 他人の家、知らない人というのは、いろいろな感情をくれた。ホテルもよかったけれど、やっぱり家族という枠組みで暮らしてる空間というのはとてもあたたかいものだった。自分の家がそうではないとは言わないけれど、客観的に見えるためまた違った。

 こうしていざ遺書を書くことになったきっかけは、不治の病であると中学1年の時に診断されたことがきっかけ。

 その時はもう数年も生きられないという事実がほとんど理解できなかった。

 おじいもおばあも生きてる中、誰かが死ぬという実感がわかなかった。それが自分自身となれば、余計に理解しづらかった。

 診断結果を聞いた時、両親は泣いてた。友だちも悲しそうな表情を向けてきた。

 ただ……僕はそんなにも絶望する神経を持ってなかった。

 あと数年という言葉が、まだ数年という言葉でとられてた。

 だからこそ、日本一周の旅行なんてものを思いついたのだった。

 北海道から、沖縄まで、たくさんの人と交流した。秘境であったり、事故物件だったり、深海であったりと、いろいろなものもみた。それらの思い出は色褪せることはない。

 死んで旅立ったのが天国や地獄であっても、希望のように残り続けるに違いない。


 ありがとう。さようなら。


 その言葉をおそらく僕はいえなかった。

 突然死ぬ病気であるならば、なおさらだ。

 とはいえ、5年も旅行をしてるわけはない。

 普通に考えて、数ヶ月。

 それでもだいぶ長い時間だった。

 20年というのが短いと認識できそうなくらい長くて短かった。

 これから書くのは各所についてのレポート。

 感想文のようなものだから、読まなくてもいいというよりかは、長く書きすぎてもはや小説並み。

 だから、ここまで読んでくれてありがとうと、最後にまた残しておく。

 

 生まれてよかった。子どもでよかった。さようなら。

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遺書 バブみ道日丿宮組 @hinomiyariri

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