第41話 深層心理に潜むのは
もしかして子ども? たしか一歳数か月までは頭にすき間があるって教わった。名称は忘れたけど、確かに細かい骨が多いし各部のバランスを見るに……たぶん胎児か、生まれて間もない赤ちゃんの頭蓋骨だ。
疑問が一つ解けた以外、わけが分からないが。それがいるだけでなぜか強い違和感を覚えた。ここにあってはいけないもの。吐き出さなくてはいけない異物なのだと理解した。
『あなたは誰? どうして上から来たの?』
『……』
『あたしも上に行きたいんだけど、方法が合ってないのか難しくて。もがいているうちに底の方まで来ちゃってさ』
『……』
骸骨が虚ろな双眸を上に向けた気がした。
つられて自分も、遥か高い天上をぐるりと眺める。
無数の記憶の光が暗闇を漂い、そのまま沈まずに昇っていく。
まるで水面に浮かぶ泡粒。あたしを導くひとすじの道のように見えればもっと良かったのだが、さっき潰れた頭から漏れ出ていた自らの輝きのことを思うと、とてもいい状態ではなさそうだ。今もあたしの外へ、魂が薄皮を剥がれそこから出血をし続けている。この身体にも時間はあまり残されていないと言う事だろう。
ただ、あの光の向かう先が意識の外なのは間違いない。記憶の輝きと同じ、この暗闇に漂うイメージを作り、流れに乗るように身を任せて集中する。
【起きろ。目を覚ませ】
声に反応し、ゆっくりと浮かび上がる動きが始まった。目覚める時に似た兆候……やっぱりここは自分の深層心理の中だ。ちゃんと声が届くようになっている。それともあたしという存在が北川愛理の深層心理そのものなんだろうか? どちらにしてももっと心の声に耳を傾けた方がいい、それは確かだ。
本当ならここはもっと狭くて、自分自身の無意識で抑えつけられていたはずだけど。あたしの中の壁や扉は呪いのバケモノによって砕かれ、壊された。その場所がどこなのか、どんな記憶を閉じ込めていたのかも分からない。
もう目と鼻の先に輝きが集まっている。
あたしの意識がわざわざ降りて来て、起こそうとしているみたいだった。
『ア゛ア゛ァ……、エ゛エ゛エェ……』
誰? 泣いてる……? 声のした方へ視線を降ろす。
底はもう遠すぎて見えない。その深海のような延々と広がる空間から、泣き声とともに何かが這い寄りだした。無数の輝きがまた浮かび上がったのかと一瞬思ったが、違った。つやのない白。小さな指と手の骨は、暗闇に夥しい跡をべたべたと付けてこちらに向かってくる。声の音量が上がって鮮明になっていった。しだいにしだいに骨のすき間が埋まり、子どもの手形に限りなく近くなる。
『……ナ……デ』
『え?』
『……カ、ナイ……デ』
ここまで全然感じなかった息苦しさを、急に思い出した。
早く、早く。あの輝きに……! 手を伸ばそうとすると、さらに苦しさが増した。ノドの辺りが妙にだるい。その何とも言えない重さを理解した時、ぶよぶよしたものが首に巻き付いているのが分かった。
白い蛇? 白い魚?
正しく想像できるまで少し時間がかかった。なぜならその手には爪がなく、骨に白い肉が乗っかってるだけだったから。白い手がぎゅっと自分を締め付けて来る。
『ぎっ……』
『行カナイデ』
無理矢理首をねじるようにして振り返る。
叫ばずにいられたのは距離が近過ぎたからだ。目の前には白いわたあめみたいな塊と暗い穴が二つ開いていた。唇のような膨らみがあり、小さく開いているのが見えた。そこから漏れているのは、言葉というより原始的な感情のようだった。同じ気持ちを、ただずっと繰り返し主張している。
団地から離れ絵画から離れた過去。倉田さんの呪いの根源。埋められていた欠片。赤ちゃんの骨。絵の中の倉田さんの未練を遺した視線も、散歩道で遠くを見つめていたのも。この子のことを想っていたから……! そりゃあ三十年以上も消えない訳だ。でも親子の繋がりが、どこをどう間違えれば母の愛情が……こんな呪いの念になる?
白い腕を引き剥がそうにも、この子の離さないという気持ちの方が強い。意志がそのまま力になるのだとしたら、子どもの誰かを求める想いに敵うわけがない。
お前がっ……勝手にここに来たんだよ! ここはあたしの場所だ!
って言葉をぶつけようとして、止めた。
パパにいつか教えてもらった記憶を手繰る。乱暴な言葉や感情は、そっくりそのままトゲになって自分に突き刺さる。この状況、赤ちゃんの癇癪一つで自分の命は握り潰されてしまうのだから。そして正確に伝わるとも思わない。今は流れに身を任せ、この子を背負ってでも浮上するのが先だ。
至近距離の泣き声は振動と化して、自分とこの場所に響き渡っている。顔中が口になったように喉の奥をふるわせて。ビリビリとあたしの魂にひびを入れていった。
……大丈夫だから。離そうと考えるな伝えるな。
一緒でもいいって思えば怖くない。気持ち悪さや焦り、沈む重力を自覚する前に深層心理の外に手を伸ばす。あの輝きに触れて――
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