第5話 二人だけの展覧会
「こっちに来てくれないかしら」
呼ばれると、座った倉田さんの横に二枚の絵が並べて置かれていた。段ボールの中には絵が入っていたらしい。額縁も外された形で軽かったのも頷ける。
一枚目はイチョウ並木の絵。
たぶん、ここの団地の散歩道だ。敷き詰められたイチョウの黄色い道を、若い男女二人が歩いている。カップル? にしては距離が空いていて隙間があるから、すれ違う前の歩調が合った瞬間を絵にしたのかな。木の影と空の切れ目のわずかな光が良いコントラストになっていて、落ち葉の一枚一枚が輝きを放っているように見える。構図に関しては素人なのでよく分からないが、中心の男女をより引き立たせている印象を受けた。
二枚目は……ん、白い。
下のキャンバスの色じゃない。もうちょっと濃い感じの白。若干の陰影があり、それが膨らみや厚みを表現している。少し青みががっているような……わたあめ? 煙の中? 向こうの部屋のテーブルとも、北川さんの髪の色とも違う白色のみが塗られている。さっきの絵よりも全体的に小さめだ。絵のサイズが違うのかもしれない。
「二つの絵。貴女にはどんな印象に映る?」
「このイチョウの絵、とても暖かい感じがします。真ん中の二人の表情は後ろ姿で見えませんが……黄色と赤、それと光の色使いでそんなイメージが湧くみたい」
「もう一つの絵は?」
「ええと、白いです」
「ふふ。そうね、白いわよね」
「でも描き方が……何て言うんだろう、ただ白を塗りたくってるだけじゃないような。丁寧さがあるみたい」
「本当にそう思うの? ただの白一色なのに?」
「うまく言えないんですが、その、さらりとは描いてない気がして。大事に、慎重に筆で塗ってる印象です」
倉田さんは自分の言っていることを確かめるように、白い絵に触れた。ゆっくりとなぞっているその指使いも同じく丁寧さがある。思い入れのある絵なのかな?
「この絵はどこかに展示されていたものでしょうか」
「どちらかと言うと、個人的なコンテストって言うべきかしら。そこからようやく帰って来たのね」
「郵送にしては緩衝材も梱包もなし……ぷちぷちしたヤツとか、普通入れますよね? 倉田さんの大切な作品なのに」
「まあまあ、そこまで大層がるものじゃないわ」
「……でもひどいです」
「ありがとう。なら戻って来たこの子たちを、飾ってあげましょうか。きっと喜ぶと思うから」
倉田さんは趣味で描いた絵を、駅や市民ホールの一般公募で展示することがある。前に聞いた話だと最寄りの駅に飾られているそうだ。ぜひ見に行って今みたいに感想を伝えたいんだけど……電車で出かける用事を無理矢理にでも作った方がいいか。
倉田さんが手慣れた様子で絵を描く台に乗せる。
誇張なく、いま完成したかのように絵が輝きを増した気がした。雰囲気が違うというか、絵に力が満ちてるというか……いつも見させてくれた絵は製作途中だったり、額縁に入っていない物が多かったからかな?
「飾るとより迫力がありますね」
「そうね。北川さんだけに見せる展覧会、ってところ……」
「あとでまた鑑賞します。拭き掃除の後は、食材の――」
「出て」
「え?」
「出て行きなさい! 出てけ! 今すぐっ!」
倉田さんに突き飛ばされて、床に手をつく。
すごい形相で睨んでいるのを、呆然と見上げる。こんな顔、今まで一度もされたことない。訳を聞こうと口を開こうとしたら、筆や鉛筆が飛んできて後ろのテーブルや壁に当たった。
息を荒くして更に投げるものを探すように右手が彷徨う。そして、段ボールを開けた切り出しナイフを掴み、その刃先をこっちに向けてくる。
「倉田さん!?」
「でて! でてっ!」
「やめっ……」
身の危険を感じ、そのまま玄関まで追い立てられると外へと逃げた。倉田さんの手がすぐに届かない範囲まで距離を取り様子を伺う。すぐにドアの内側でカギがかかり、チェーンロックのじゃらじゃらした音が団地の廊下に響いた。
額に汗が滲む。起きたことを上手く頭で考えられなかった。でも、助かった……? もし倉田さんの足が悪くなかったら、私は捕まって……命は無かったかもしれない。肩で息をするが苦しくなる一方で、刺された訳じゃないのに背中がズキズキと痛む。
無事だったのはいいけど、倉田さんを怒らせて完全に締め出しをくらってしまった。何がいけなかったんだ? ちゃんと理解した上で謝らなければ……
「どうして……」
その呟きに答えるように、勢いよく格子窓が閉まった。
曇りガラスにはまだ倉田さんがぼんやりと映っている。私を突き飛ばし刃物を向けた時と同じ顔をしているのが分かる。
早く帰れ。来るな。
そんな拒絶の意思がガラスを割りそうなほどに伝わってきた。
やがて倉田さんが廊下の方へ引き返し、足を引きずって遠ざかる音も聞こえなくなった。……まだ契約時間内だし夕飯の下拵えが残ってる。散歩だってするはずだったのに。
私はドアの前で呆然と立ったまま……途方に暮れていた。
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