第28話 岡崎さんの幼馴染
「亡くなった岡崎さんとナミノキョウイチは同じ人物。そして愛理さんは訪問介護の時に面識がある……」
「私のローテーションに入ってない方だから、一回っきりだけど」
「ということは倉田さんの繋がりは……よし。かなり考察が進みます。凄いです。俺と理子じゃ気付けなかった」
涼くんが頷きながら携帯に文字を打ち込んでいる。
二人のやりとりは主語とかが省いてあってかなり簡潔だ。理子は私に対してメッセージを送るときは短い返事かスタンプしか押さない。私が箇条書きでつらつら細かく打つのがダメなようで、だいだい話が長くなる時は家で話したがる。こういうツーカーの関係というか以心伝心な感じ……羨ましいな。私たち姉妹が小さいときは出来ていたけど、もう昔の話だから。
「理子は駅の用事が済んだらここに来るのよね?」
「はい。ただこれから聞き込む予定の棚橋さんとは会わせない方がいいでしょう。あいつがいると余計こじれそうだ」
「……うん。まあ言えてる」
岡崎さん宛の溢れそうな投函ポストを通り過ぎ、階段を登る。昨日聞いた話だと四階。ナミノキョウイチの事も知った今、より踏み込んだ話が出来るかもしれない。ただ別に約束を取り付けたわけじゃないし、そこは……日ごろの行いに頼るしかない。
4階の一番奥に棚橋さんの表札はあった。
二人は昔から馴染みの関係を匂わせていた。大人になっても気心の知れた仲。でなければ日常の投函物をまとめる役をお願いしたり引き受けたりするのはちょっと考えにくい。
チャイムを鳴らす。その音で倉田さんの訪問をした時の記憶が蘇る。あの部屋の匂いも。倉田さんのドアへ寄る気配も全部思い出せるのに、もう彼女には会えないのだ。
「――誰? 何か用事?」
「すみません。昨日、少しお話した北川です」
棚橋さんの声は昨日と同じで神経質そうだった。不機嫌って訳じゃなくて、これがこの人の普段の様子なんだと思う。
「ああ北川さん? なんていうか災難だったわね。犬に噛まれたと思ってすぐ忘れなさい。あの悪魔女は……いないようだけど」
「実は棚橋さんにお聞きしたいことがありまして」
「あいつに頼まれたり、脅迫されたから来たの?」
「違います。岡崎さんの……ナミノキョウイチについて確かめたいことが、私個人の問題で残っているんです」
「入って。後ろの方は?」
開いたドアから、じろっと棚橋さんは涼くんを睨む。
昨日の理子の一件もあり警戒しているようだ。ホント申し訳ないウチの妹が……当の涼くんは字のごとく涼しげな笑顔を向けて会釈する。
「池屋といいます。付き添いで来ました。込み入った話になるならここで待ってますよ」
「あら、隅には置いとけないでしょ。あなたも来なさいな」
* *
部屋は掃除が行き届いていて、一見したところ日常生活も不自由してない感じだ。別に介護認定で来たわけじゃないのに余計なことが頭の片隅によぎった。
棚橋さんに畳の部屋のテーブルへ案内される……倉田さんの所の間取りとそう変わらないから、奥の部屋を見るときにちょっとした勇気が湧いたが、特に何もない。恐らくは布団を敷いて寝る場所なのだろう。
「座って」
「いきなり押し掛けてすみません」
「あの悪魔女とかじゃなければ、ほとんどの失礼は笑い話で済むものよ? それに、そこまで申し訳ないって顔、なかなか今の若者は出来ないわ」
「昨日の件は誠に……」
「いいからいいから。今までナミノキョウイチと岡崎
「仕事上知る機会がありました」
「ああ、介護で……交友関係をほとんど避けてた人だし、偶然ってこと?」
「はい」
「仕事で得た情報を使ってまで、わざわざ訪ねて来るなんてよほどの事情ね。貴女誠実そうだもの。それで何が聞きたいの?」
「彼の絵画について、どんな活動をしていましたか?」
「40歳くらいまではどこかにあるアトリエで筆を振るっていたらしいけど。いつからか団地の部屋と創作活動は分けるようになった。絵を描かなくなってからはほどんどここに籠りきりでね。道具すら置いておかないって感じだったわ」
この場所から画材を遠ざけた理由……なんだろう。倉田さんも絵から離れた時期があった。何か関係があるのかもしれない。
「あの人はずっと絵を描いてた。それこそ子どもの頃から一日中ね。自分の頭に浮かんだもの、作りたいものを形にできる。画家として一時代を築いたのも当然よ。そんな才能が誰より優れていて、ひたすらに伸ばし続けたんだから」
「昔から知っているんですね」
「小さい時に近所付き合いした程度よ。仕事始めるようになってここを借りた時、偶然同じ階だった……もう数十年以上前の話」
棚橋さんは立ち上がり、懐かしむようにぐるりと歩いた。
思い出したようにタンスの引き出しを開けて、何かを探し始める。
「ごめんなさい。あまり役に立てそうにないわ……貴女が参考にできる絵とか有ればよかったのにね。ナミノキョウイチの絵は各地の美術館に行けば作品を観れるけど……家にはこんなのしかなくて」
棚橋さんがそう言ってテーブルに出したのは年賀状の束だった。消印がないことから岡崎さんが直接郵便ポストに入れたか、新年で顔を合わせた時に手渡されたものに違いない。
古い順から確認してみると筆で書いた短い挨拶の横に、その筆で描いたと思われる十二支の水墨画が印象的に映った。
絵がいきいきと躍動している。一筆書きのように少しも留まらず始めからそこにあるかのような。空白の賑やかしに松や梅、南天の実を描いた部分も、風の揺らめきさえ感じ取れるくらいだ。倉田さんのラフスケッチにもモチーフにした場面以外にちょっとした動物や省略画が描かれていて、どこか似てなくもなかった。確かにこれは才能と言える――
ん、この年から絵が無い? 簡単な挨拶だけの年賀状になっている。逆算して……ナミノキョウイチが24、5歳の、彼の作品が評価され始めた頃。団地で絵を描くということ自体を止めていたのか? ならその後10年ちょっとの活動期間を経て引退したってことになる……でも理由が分からないな。
涼くんがあの、と声を出した。
「最近、岡崎さんから何か聞いていたことはありませんか」
「ないと思うけど……どんな内容?」
「例えばあなたにお願いをしていたり、普段と変わった行動をしていたらそれを教えて欲しいです」
「ん、そうね……普段と違った、と言うなら宅急便の送り方を聞かれたわ。難しそうなら手伝おうかって言ったけど、自分で送るって断られた。その宛名も知らない。確かに何か……いつもより様子が変だった。まあ後日お礼を言われたから、ちゃんと手配は出来たんじゃないの?」
倉田さん宅に届いた二つの絵。あの段ボール。
もしかしたら岡崎さんが送ったもの……? どんな関係が……。倉田さんが描いたって何の疑いも持たなかったが、前提からして違う? でも自分の作品だって言ってた気がする。
分からないことがもやもや広がるだけの自分をよそに、涼くんは何か考えているようだった。
「……岡崎さんは絵画の助手や弟子を取ったりしていましたか?」
「さあ? さっきも言ったでしょ? 売れて有名になってからアトリエを使うようになったから、それからは全然知らないの」
多少ぶっきらぼうな調子で答える。何か含みのある言い方だ。私も涼くんもじっと言葉を待った。棚橋さんは私たちを見て、ちょっとバツの悪そうに口を尖らせる。
「あの部屋で誰かに教えていた……とは違うけど、パートナーが少しだけいたのよ。絵も何も売れなかった苦しい時期に、一人の若い女性が入り浸っていた。お互い競うように絵を描いていたみたいでね。その女には直接会うことはなかったし名前も知らないけど。嬉しそうに絵とそいつの事を語るのよ。人嫌いだったくせに……」
「岡崎さんは誰かに恨みを持たれていたりは?」
「さあ? あらゆる人付き合いを遠ざけてたからね。あとはまあ、絵の腕前だけでのし上がれば、妬み嫉みを受けるくらいはあったでしょうけど……ただ、確かに何か後悔しているみたいだった。一蔵が自由に絵を描けなくなる程の何か。昨日、あの黒服の女には誤魔化したけどね? 誰にも言えない秘密が、きっとあるのよ……私はそう思ってる」
絵に関わる秘密は分からないけど、ナミノキョウイチと関わった絵描きの女性は、きっと倉田さんだ。こんなすごい絵を描ける人と張り合えるのは、彼女しかいない。何があった? 何があれば、二人ともあんな壮絶な死に方になるんだ?
「そ、その絵で競い合っていた女性は……」
「さあ……しばらくしたらいなくなってた。文句のひとつでも言ってやりたかったけど、会えずじまいで残念。彼にとって、疫病神だったのかもねえ。一蔵の絵が評価されて人気が出たのはその後だから。消えてくれてせいせいしたわ」
「……」
「だって私が……ひっ」
「どうされました?」
「ひ、あっ。あれ? 北川さんが、あの悪魔みたいな女そっくりに見えたのよ! 気のせい……やあねえ。服の雰囲気が似てるからかしら」
「そうですか」
この服とメイクは妹の趣味だし合ってますよ。棚橋さん。
それ以上に姉妹だから、似通ったところはある。流石に睨むだけで人を震えがらせる目までは真似できないけど。
棚橋さんは、じっとこちらを見ている。さっきまでの親しみのある顔ではない。どことなく私に対しての不気味さを憶えているようだった。
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