第3話 「だから朝の時間は少し楽しみなんだ……」 嬉しそうな表情を見せた。

 土日を明けて月曜日の昼休み。

 俺は自作の弁当を持って千垣ちがきのいる空き教室を目指していた。


 いるかいないかはわからないけど、年が明けてからまだ話していないので話したくなった。


「千垣、いるか~?」


 ギターの音や歌声などは聞こえなかったが、ノックをしながら声を掛けてみる。


「いるよ……」

「お。入るぞ?」

「どうぞ……」


 返事があったので、扉を開けて中に入る。

 ここの教室はちゃんと暖房が入っていて暖かい。

 一応自習教室ということになっているから冬でも暖かいのだ。


 そんな教室の中央辺りに、ノートを広げて何かを書いている千垣がいた。

 もちろん近くの机にギターケースと大きな重箱のような弁当箱がある。

 よく見ると伊達眼鏡も置いてあった。


「明けましておめでとう、千垣」

「明けましておめでとう……」


 俺がペコリと頭を下げると、千垣も立ち上がってペコリと頭を下げた。


「何か用……?」

「いや、年明けてからまだ話してないから話に来ただけ」

「そういえばまだ会ってなかったね……」

「はいこれ弁当」

「あ、悪いね……」


 千垣は弁当の包みを丁寧にほどくと、いつも通り写真に収めた。

 そして、ノートを近くの机に移動してから弁当を食べ始めた。


「何書いてたんだ?」

「それは内緒……」

「そうか」


 なんか最近忙しいとか言ってたからその関係だろうか。

 テスト勉強とかでもなさそうだし。


「あ、そうだ。一つ聞いていいか?」

「なに……?」

「図書室ってそんなに人来てないのか?」

「そうみたいだよ……」


 お便りで見たりはしているが、実際に行ったことがないのでわからない。

 いや、そういえば入学したての頃、図書室の説明ということで一度クラス全員で来たかもしれない。


 そうだ、結構大きな図書室で驚いたんだ。

 あんなに大きなところなのに誰も利用しないなんてちょっともったいないな。


「図書室に私の友達がいるから聞いてみるといいよ……」

「朝一緒にいる人か?」

「そうそう……。三つ編みで眼鏡の……」

「ああ、いたね」


 千垣が朝、いつも一緒にいる二人のうちの一人。

 黒髪の三つ編みで、眼鏡を掛けた大人しそうな女の子。


「図書室のことは彼女が一番詳しい……」

「千垣よりもか?」

「もちろん……。たぶん、図書室に来た人の顔と名前、学年にクラスまで憶えてると思うよ……。何日の何時に来たかまで正確に……」

「そ、そいつはすごいな……」


 それはたしかに頼りになるだろうし、図書室のこともきっと詳しいんだろうけど……。

 なんだかちょっと怖いぞ。


「その子はいついるんだ?」

「基本的には図書室にいると思うよ……。朝も昼も放課後も……」

「もしかして、千垣が一緒にいるやつらって朝の登校以外はバラバラに動いてるのか?」

「ま、そうなるね……」


 それはまた随分と斬新な関係のようだが……。


「だから朝の時間は少し楽しみなんだ……」

「そっか」


 一瞬だったが、千垣がとても嬉しそうな表情を見せた。

 千垣がこうして楽しそうに人の話をするのは、初めて見た気がする。


「それじゃ、ありがとな。今から行ってみるよ」

「うん……。またね……」

「おう、また」


 俺は綺麗に包まれた空の弁当箱を千垣から返してもらい、空き教室を後にした。



※※※



 俺は一旦教室に戻って弁当箱を片づけてから図書室に向かった。

 図書室の辺りはとても閑散としており、人の気配もしない。

 本当に中に人がいるのかすら怪しいほどだ。


 少し緊張して、扉を開けるのを躊躇してしまう。


「なんでこんなに緊張しなきゃいけないんだ……」


 意を決して扉をゆっくりと開く。

 部屋の奥にはびっしりと本の詰まった本棚がこれでもかと並んでいた。


 左の方に視線を向けると、中央の辺りにはテーブルと椅子が並んでいて、二人の生徒が座って本を読んでいた。その奥にはさらに本棚が並んでいる。

 反対側の扉は完全に閉鎖されており、今俺が入った扉からしか入れないようになっていて、向こうの扉の前には本棚が並んでいた。


 俺は扉を閉めつつ中に入り、正面を見た。

 右手の方にカウンターがあり、そこに一人の女の子がいるのがわかった。


 カウンターが大きいのか、はたまたその女の子が小さいのかわからないが、ほとんど隠れてしまっている。


 テーブルの方に座っている生徒は、男子生徒が一人と女子生徒が一人。

 その女子生徒は三つ編みじゃないのでこの子じゃない。


 ならばとカウンターの方に向かい、少し覗き込んでみると、そこにはたしかに三つ編みの女の子が静かに本を読んでいた。


「あの、すみません」


 小さな声で話しかけると、三つ編みの女の子は静かに本を閉じ、一瞬だけ俺のことを見た。

 目が合ったと思ったけど、すぐに視線は下に向いた。


 目の合った一瞬しか顔を見れなかったけど、かなり整っているように見えた。

 そういえば、図書室に一見地味だけどめちゃくちゃかわいい子がいるという話をどこかで聞いたことがある。

 たぶんこの子のことだったんだろう。今度千垣に聞いてみよう。


「初めての利用ですよね……? どの本を借りますか……?」

「あ、ごめん。本を借りに来たんじゃないんだ」

「……?」


 相変わらず下を向いているが、困惑していることは伝わってきた。


 そういえば、千垣から名前を聞くのを忘れていた。

 たぶん相手も俺のことを知らないだろう。

 さすが、図書室に来たのが初めてだということは見抜かれたようだが。


「えっとごめん。千垣に紹介されたんだけど……」

紗夜さよちゃんに……?」

「そうそう。図書室のことで聞きたいことがあって……。えっと、ごめん。名前を聞き忘れてたんだけど……」

「わたし、二ノにのせって言います……。二ノ瀬、朝音ともねです……。朝の音って書きます……」

「二ノ瀬さんね。俺は神城かみしろ康太こうたって言うんだ」

「神城さん……」


 二ノ瀬さんは下を向いたままだけど、こくんと頷いている。

 千垣の言うことが本当なら、俺のことを覚えたのかもしれない。


「とりあえず、場所変えましょうか……?」


 たしかに図書室だとずっと小声で話さなきゃだからなかなか大変だ。


「大丈夫なの?」

「少しなら……」

「じゃあお願い」


 二ノ瀬さんは離席の札を立てると、カウンターから出てきて扉に向かった。

 俺もそれに続いていく。


 廊下に出ると、くるりと振り返った。

 立ち上がって見てわかったが、二ノ瀬さんは千垣と同じくらいの身長のようだ。

 千垣よりもほんの少しだけ高いだろうか。

 これは下を向いていたらカウンターに隠れてしまうわけだ。


 まぁ、今も相変わらず下を向いたままだけど。


「それで、聞きたいことって何ですか……?」

「あ、そうそう」


 危うく忘れるとこだった。


 しかし廊下で話すのは少し寒い。

 手短に話を済ませよう。


九条くじょうとおるっていう人は図書室に来てる?」

「はい……。今もいましたよ……?」


 あの男子生徒はやっぱり九条徹だったのか。


「放課後のことはわからないですけど、朝も昼も毎日います……」

「なるほど……」


 九条の言ってることは本当だったわけだ。

 別に嘘をついてるとは思わなかったけど、なんとなく知っておきたかった。


 ……麗の時のこともあるし。


「ごめん。これだけ聞きたかったんだ。寒いのにありがとう」

「いえ……。図書室もたまには利用してくださいね……?」

「わ、わかりました……」


 それだけ言うと、二ノ瀬さんはペコリと一礼して図書室に戻って行った。

 図書室の中だから声が小さいのかとも思ったけど、ここでも小さめだったな。


 あ、また聞くことになるかもって言い忘れちゃった。

 でもたぶん、図書室を利用し始めれば許される気がする。

 本当に本が好きなんだろうなぁ。


 まだ時間あるし、千垣のところに行って会えたって報告しに行くか。

 少し体も冷えてきたし、早く行こう……。


 走らないながらも急いで千垣のいる空き教室に向かう。

 空き教室の扉をノックをすると、中から返事があった。


「よっ、千垣」

「神城……。トモとは会えた……?」


 千垣は二ノ瀬さんのことをトモって呼んでるのか。

 千垣が愛称で呼んでる人なんて初めてだ。


「ばっちり会ってきた」

「ならよかった……」

「人見知り……なのかな?」

「まぁそうだね……」


 結局最初の一瞬以外ずっと目を合わせてくれなかった。

 そもそも顔を上げすらしなかった。

 あれで人見知りじゃないと言われたら驚きだ。


「かわいいからって手を出したらダメだよ……」

「出さねぇよ!?」


 たしかにかわいいとは思ったけどさ。


「あれでもおっぱいはなかなかだからね……」

「そういうことは言うもんじゃないと思うんだけどなぁ……」


 そもそもこんな話をするなんて千垣らしくない。

 よっぽど二ノ瀬さんと仲がいいのだろうか。


「そういえば、図書室をたまには利用してほしいって言ってたな」

「トモは読書が大好きだからね……。利用者が少ないと図書室が無くなるかもしれないからって利用者を増やそうとしてるんだよ……。そんな話は出ていないのにね……」

「そうなのか」


 読書とかは全然しないけど、やってみるのもありかもしれない。

 麗もよく本読んでるし、今度一緒に行こうかな。


「そろそろ時間だから私は教室に戻るね……」

「あ、俺も」



※※※



 その日の放課後も俺はバイトに勤しんでいた。

 今日も琴羽は一緒じゃなく、なんとな~くバイトの時間が過ぎていく。


 最近琴羽とあまりシフトが被ってないなぁ。

 避けられてたあの時と違ってたまたまなんだけど。


「ありがとうございました~」


 これで今いる客が全員いなくなった。

 もし、祐介ゆうすけが来るとしたらそろそろだな。


「いらっしゃいませ……祐介か」

「おっす康太」


 最近店に来てるのを見てないからそろそろ来る頃かと思っていた矢先に来たな。


 祐介に適当な席を選んでもらい、注文を取る。

 相変わらず今日も頼んできたのはオムライスだった。

 注文を厨房に伝え、テーブルを拭いたりして過ごす。


 祐介はスマホを見ながらニコニコとしていた。

 姫川ひめかわさんとメッセージのやり取りでもしてるのだろう。


 やがてオムライスが完成し、祐介の席に運んでいく。


「お待たせしました~」

「お、ありがとう」

「姫川さんとやり取りでもしてたのか?」

「なんでわかった?」

「顔がにやけてたぞ」

「まじかよ顔に出てたか」


 そういえば、今までもスマホをいじって待っていることはあったけど、こうして顔に出てはなかったかも。

 もしかして、最近出るようになったな?


「仲がよろしいこって」

「そういう康太だっていつも藍那あいなさんとイチャコラしてんじゃん」

「イチャコラは……してるか?」

「傍から見てりゃイチャコラ以外のなにもんでもねぇよ」


 そう言われて俺たちがどう過ごしているかを考える。

 普通に話しているだけだけど……。


 たしかにカップルが仲良く話していると、それだけでイチャコラしてるように見えていたかもしれない。

 かつての祐介と姫川さんのカップルを見ている時は実際俺もそう思っていたしな。


「でもなんか祐介はさ、前よりも姫川さんと仲良くなった気がする」

「そうか?」

「ああ。前も仲良かったけどさ、今はもっと距離が近づいたというか……」

「あ~それはたしかにそうかもな。かなでが料理を作ってくれるようになってから変わったかも」

「祐介もお返しとか考えてんの?」

「実はな。もしかしたら康太に相談するかも」

「俺は構わないぞ。いつも助けてもらってるしな」

「いつも助けてるつもりはないけど、その時は頼むよ」

「おう」


 話を終えて別の仕事をするためにバックに戻る。

 物を動かしたりしていると、客がまた一人、店にやってきた。


「あ……」


 九条……。


「神城くんはバイト熱心だね」

「金の亡者なだけだ」

「またまた。カルボナーラを頼むよ」

「かしこまりました」


 今日はナポリタンじゃなくてカルボナーラなのか。

 別に好みだったわけじゃないのか、それとも単純に飽きたのか。


 厨房に伝えて、一旦仕事に戻る。

 チラッと九条のことを見ながら仕事を進める。

 九条はスマホを触りながら過ごしていた。


 やがてカルボナーラが完成し、九条の下に持っていく。


「お待たせしました」

「ありがとう」


 九条は普通にカルボナーラを食べ始めた。

 丁度その頃、祐介が帰るようだったので、レジに立つ。


「康太、知り合いなのか?」

「同じ高校の一組の生徒らしいぞ」

「そうなのか。見たことないな」


 他クラスならやはり見たことないというのは普通のことだろう。


「九条徹って言うんだけど、なんか知らないか?」

「知らないな。なんか気になってんのか?」

「まぁ少しな」

「ふ~ん……?」

「なんか話してると調子狂うんだよ……」

「康太がそんなこと言うなんてな」


 さっきのちょっとした会話だけでもなんだか嫌な気分になった。


「言い方は悪いけど、なんだか気味が悪くてな……。なんか話してるとぞわっとする」

「まぁ見た目と話し方のギャップはあるよな。さっきチラッと聞こえてたけど」

「そうなんだよ……」


 九条の話し方はとても爽やかなんだよな。

 しかしながら前髪が顔を隠していて不気味だ。


 話してると調子が狂うというのもわかるだろう。


「まぁあんまり気にすんなよ」

「そう……だな」

「じゃ、また明日な」

「おう、また」


 祐介はそう言うと、店を出て行った。


 気にするな……か。

 琴羽の反応がある以上、なかなかそういうわけにもいかないんだけど……。

 まぁまだ祐介には言わなくていいか。必要とあれば相談させてもらおう。


 俺は別の仕事に戻った。

 それからしばらくすると、当然九条が会計にやってくる。

 俺はレジに立って九条の会計を済ませた。


「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました」

「そういえば、今日の昼休み、図書室に来ていたね」

「ああ、そうだけど」

「本に興味があるのかい?」

「いや、そういうわけじゃない。ちょっと二ノ瀬さんに用があっただけだ」

「そうなのか。それは少し残念だ。まぁ気が向いたら本も借りてみてよ」

「そうする」

「それじゃあまたね」

「ああ」


 九条が店から出て行く。

 俺はそんな九条の後姿をボーっと眺めてその背中が見えなくなるまで見続けた。

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