ハードラックウーマン
諸星モヨヨ
第1話
モコと出会ったのは大学の時。それから6年が経つ。関係性はどう変わった? いいや、何も変わってない。
髪をドギツイピンクに染め、ロリータファッションに身を包み、常に誰かしらの男を連れている彼女と、一日二箱はタバコを吸い、髪は耳より下に伸ばしたことのない自分が、そもそも馬など合う訳ないのだ。
趣味や趣向はまるで逆だし、共通点と言えば性別と二六という年齢ぐらい。
友情。物事を客観的に観察できるとっても偉い人は、自分たちの関係をきっとそういう。だけど、人間と言うめんどくさくて愚かな生物の関係性は、もう少し入り組んでいる。
これにはピッタリの言葉ある。七瀬は思った。
腐れ縁だ。
「あーッもうッ! 最ッ悪ッ!!」
ホテルの部屋へ戻ってくるなり、モコはそう叫んだ。黙っていれば可愛いのに、七瀬はつい反射的に思う。自分とモコが切り離しても手遅れなほど、腐り切った縁で結ばれているように、世の中の大抵の物は何かとセットになっている。
鈴木 モコと「黙っていれば可愛い」も世の中に溢れるセットの一つだった。特別なことなど何もない。
そう、だからモコのわがままに付き合い、彼女をこうして中国、盤錦まで連れて来てやったのも別に特別じゃない。彼女に何か特別な思いがあるなんて考えたくもない。こーゆーのはよくあること。破綻しかけた関係性の成れの果て。
『私、英語も中国語も出来ないしさ、七瀬が来れば全部解決じゃん!』
こんな事になるのであれば、そうやって誘ってきた時に断っておけばよかった。なぜ、断らなかったのか。いや、断れなかったのか? レザージャケットの襟を直し、ハンガーへかけながら、七瀬は自問した。
「ねぇ、七瀬ッ!」
クローゼットから顔をのぞかせると、モコが備え付けの冷蔵庫を指さし眉をしかめていた。
「オレンジジュースがないんだけどォ!?」
白く冷たい光の中に、ミネラルウォーターが2本と炭酸水の瓶がぼやけてみえた。
「普通、こういうとこには置いてないと思うよ」
「おッかしいでしょ!? 七瀬ッ買ってきて!!」
わざとらしくため息を吐き、音を立ててクローゼットを閉める。
「今日は色々あったしさ、もう、やめとかない? そこにある炭酸水で乾杯しよ? 明日も早いんだしさ」
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだッ!私はオレンジジュースが飲みたいのッ!」
切ろう、そう思ったことがなかったわけではない。なら、どうしてここまで、深く立ち入ってしまうのか、七瀬には思い当たるフシがあった。モコが抱えている病気だ。彼女自身、はっきりとは明言しないが、モコは心に慢性的な風邪を抱えている。
『テンションが上がらない時ってあるじゃん。だから、お薬で、ちょっとだけテンションを上げてもらうの。そーすれば、いっぱい遊べるじゃん!』そんな事をモコが口走っていたこともある。
哀れみや同情で育む友情が、ロクな物にはならないことぐらい七瀬にも分かる。しかし、バッグの底にたまった錠剤やファンデーションで隠した手首の傷、そして彼女の両親のことを考えると心がキュッとなる。風で揺れるピンクの髪を思い出す。
だがそれでも、今日はもう限界だった。旅行の初っ端からあんなトラブルを片付けたのだ。今夜くらいは自分にも主張する権利があるはずだ。
七瀬は吠えるモコを尻目に炭酸水をグラスへ二つ注いだ。
「ほら、飲まないの?」
モコは眉を顰め、ジッとグラスを見た後、
「いらないッ」と叫び、手で払った。
回避しようとして、七瀬の手元が狂った。グラスは手を滑り落ち、モコの膝上へぶちまけられた。
そして、モコは爆ぜた。金属音めいた絶叫は「あ、ごめん」という七瀬の声をかき消してしまう。
「こんなとこ、こんなところ来るんじゃなかったぁッ!」
濡れたスカートを拭こうと手を伸ばした七瀬をモコは突き飛ばし、ベッドに突っ伏す。
「ほんっとうに、ほんっとうに最悪ッ! 七瀬も盤錦も、全部全部、全部ッ! このスカートお気に入りだったのにッ!」
足をバタバタとさせ、更にヒートアップするモコを無視して、七瀬は洗面所へタオルを取りに行った。乾いたタオルを見繕っている間もモコはずっと吠えていた。しかし、洗面所から出てくると声はピタッと止んでいた。
すぐに原因は分かった。彼女はベッドで仰向けになったまま、電話をかけていた。
「あ、かーくん?」
彼女の甘い言葉で電話口の相手が大手企業社員の彼氏だと気づいた。無意識の中で七瀬は聞かないようにした。怒りや苛立ちとはまた違った感情が腹の辺りでムズムズと動き回った。
「うん……うん、ううん。ちがう。今は中国。そう、海外。一人で来るわけないじゃん。……え?ちがうよぉ、ただの女友達。そう、大学の時の。ううん、全然そんなんじゃないって」
こぼれた水を拭き終え、明日のチケット、パスポートを確認する。頭の中で行程や時間を何度も何度も反芻した。そうすることで、モコの会話を耳から追い出すつもりだった。
「うん………うん。結婚? 分かってるよ。うん………髪? うん。分かってる。うん………………日本に帰ったら、元に戻す」
七瀬は手を止め、ベッドライトの下に艶めくピンク色の髪を見つめた。人工的で明らかに場違いな色が周囲を拒絶し、反射している。
電話を切った彼女の顔は嘘みたいに笑顔だった。七瀬は持っていた布巾を強く握った。
「ねぇ、七瀬! 明日さ、朝一で日本帰ろ? なんかね、かーくんがお金出してくれるんだって。で、七瀬は予約の変更の電話して欲しいの。もう、あそこは行かなくていいからさ」
フッと何かが切れるような感じがして、次の瞬間にはすべてが口をついて出ていた。しまった、と思ってももう後の祭りだった。
「いい加減にしてよッ! 一体どれだけわがまま言えば気が済むわけッ!? それに、それに―」
不思議な気持ちだった。ポカンとしたモコの顔を見ていると怒りの感情はたちどころに消え、恥ずかしいという気持ちが湧いた。紅潮した頬と込み上げてきた嗚咽を隠すようにして、七瀬はホテルの部屋を出た。
つづく
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